025譚 白夜の常闇に仕えし者(下)


 神官。

 

 それはこの光の王国において、神々の偉大さを「言葉」で伝え、神々のために民を導く者たち。


 神々の力を借りて戦力とするこの国にとって、神々の機嫌を損ねることは死活問題。ゆえに神々を喜ばせ、満足させることはこの国にとって必須なのである。

 そこで、いわゆる神々への「ご機嫌取り」を率先して担うことで神官たちは、その地位を確固たるものにしているのだ。神々が呼びかけに応じるのは、おのれたちのお陰である……といった風に。

 それらの神官たちが崇めそして伝えるのは幾千幾万の神々「すべて」。だがその神官たちの中には、高位の神々のうちのひとりを定めるものがある。彼らは神の代弁者で、その代弁者たちは他の神官たちを束ねる立場になるのだ。――そう。「白夜と常闇の神官」とはまさにこの代弁者のうちのひとりなのだ。

 

「ひとつ、聞いていいか」

 

 ケルバンが言葉を差した。聖騎士ブライアンが眉を顰め、低く応じる。

「なんだ」

 

「その元神官の宰相とやらはよく戦場にも出張ると聞いている」

 

 元異国の神官だというだけでも十分に驚かされるのに、さらには兵士に混ざるとは。アラニスはきょとんとしてケルバンとブライアンを見比べた。老騎士は立派な髭を手で撫でつけると、静かに答える。

「そうだな。実際、何度かガヴェインにも訪れてる」

 聖騎士領ガヴェインは少し南にあるティスカール同様、国境沿いだ。戦が起きやすい位置にある。正確には、そういう「要塞」となりうる場所に聖騎士領を配置しているのだ。聖騎士はどんな戦士よりも戦力を有する。いざとなれば、ひとりで数百という敵兵を手玉に取れる。

 ケルバンはダークグレイの外套マントのフードを引き、被りなおすと、淡々とした声で尋ねる。

 

「今日は来てないのか?」

 

 ケルバンにしては饒舌だ。日頃の彼は、あまり疑問を口にしない。それどころか、必要でない時は決して話さない。だというのに、今は彼から積極的に声をかけている。

 ふと、アラニスは意識を留める。

 

(確か、ケルバンの「失敗」に関わっていたのも……)

 

 白夜と常闇に仕える神官だ。

 あの雪の降る夜、ティスカールの墓地で、ケルバンは確かにそう言っていた。白夜と常闇に仕える神官が彼を欺き、「失敗」させたのだと。

(まさか、と思っていたのだけれど)

 あの執拗に光の宰相に関して探りを入れる様子。

 

(もしかして、同一人物?)

 

 ケルバンを貶めた神官と、この国の宰相が同じ。その予感はアラニスを胸の奥でひやり、としたものを感じさせた。白夜と常闇の神。それは、アラニスのよく知らない神。けれども、神――アラニスは焦燥のようなものを感じて止まない。 

 だが一方で、この老騎士がケルバンやアラニスの事情など知るはずもない。呆れた風に嘆息すると、

「なんだ。ミーハーな奴だな。残念ながら、今回はいらしていない」

 きっとこの男は、ケルバンが田舎者の好奇心で尋ねているのだと思ったのだろう。だが、彼はそんな男ではない。ケルバンは外套マントの下でにっこりと嗤って言った。

 

「そうか。それは実に残念だ」

 

 決して嗤っていない声だ。そして静かで、どこか含みのある。外套マントの下でケルバンは密かに黄金を鈍く光らせていた。

 


 その晩。宿の中でアラニスは夢を見た。

 

 その宿までどうやって辿り着いたのか、あまり覚えていない。ずっと胸の奥がモヤモヤしていたから。ケルバンやマカヴォン傭兵団に付いて氷の壁の間を過ぎて、ガヴェインの外門をくぐって……それからは記憶にない。気がつけば固い寝台の上で丸まって――眠ってしまっていた。


 その夢はまだ祖国、海の国にいた頃の夢だ。海に囲まれたら常夏の、精霊たちの揺り籠。その中の南西部。そこに、グィー族は暮らしていた。周囲の部族が内部で割れて、互いを奴隷として光の王国へ切り売りして繋いでいる間、長らくグィー族はその高い戦闘力で自立を貫いていた。

 

「姉さん、見て見て!ようやく、そよ風を吹かせられるようになったのよ」

 

 わたしは嬉しくてたまらなくて、双子の姉さんの元へ走った。

 平凡なわたしなんかと違って、姉さんはきれいで、強い。十数人いる兄弟姉妹の中で一番精霊さまの血を継いでいて、一番精霊さまたちに愛されていた。

 

 姉さんは巫女姫と呼ばれて、一族の長になることが決められていた。

 

 それも当然だ。姉さんが髪を撫でてと言えば、そよ風がその髪を梳くし、姉さんが歌ってといえば、疾風はやてがびゅうびゅう啼く。姉さんは統べる者として、十分な資格を持っていた。

 

 わたしはそんな姉さんが大好きだったし、姉さんもまた、わたしを好いてくれた。

 

 きれいな、きれいな姉さん。

 

 まるで精霊さまみたいに、艷やかな黒髪に、透き通った大きな翡翠の目。赤銅の肌はすべすべで、造り物みたい。

 姉さんはわたしを見つけるとにっこりと微笑んで、

「どうしたんだい、アラニス。ぼうっとして」

 と言った。

「ううん、何でもない」

「ふふ、おかしなアラニス」

 

 大好きな、わたしの片割れ。

 わたしたちはずっと一緒。

 

 生まれたときから、歩き始めるときも、そして――立ち止まるときも。そう、思っていた。


「姉さん、それ、誰?」

 姉さんは突然、見知らぬ男を連れてきた。異国の黒服を纏った、長身の男。顔はわからない。その黒い外套ローブで隠してしまっているから。

 姉さんは言った。

「彼は白夜はくや常闇とこやみを司る者だ」

 何それ。

 わからないよ。ちゃんと説明して。

 けれども、姉さんは答えない。感情を表さない顔をして、わたしにこう言った。

 

「アラニス、よくお聞き。ぼくは彼とともに、光の王国へ参るつもりだ」

 

「何をしに?」

 

手に入れるために」

 

 そうして、姉さんは旅立った。


 その後、人伝てに聞いて初めて知った。

 姉さんは光の第一王子へ嫁いだこと。そして、あの男は「白夜はくや常闇とこやみの神官」で、王国の宰相をしていること。


 姉さん。

 大好きな姉さん。


 何を抱えて、ひとりで行ってしまったの?





 アラニスが宿で眠っている頃。

 ケルバンは宿の外で、マカヴォンと会っていた。マカヴォンはひどく気落ちしていた。それもそうだ。あの大雑把な聖騎士のせいで数人の部下たちが重症を負い、さらには馬も旅荷も失った。これは大変な痛手だ。

「おらあ、暫く無事な奴らとガヴェインに雇ってもらうことにした。あのクソジジイからはきっちり金をせしめねえと気が済まねえからな」

 熊のような傭兵が言った。ケルバンは黙して、彼の言葉を聞く。そんないつも通りに冷ややかなケルバンに、やはり愛着が湧いていた。

 

「おめえはどうすんだ、ケルバン?」

 

「必要な荷物を揃えたら、サラスへ行く」

 

 きっぱりとした答えだ。予想通りが過ぎる。彼には名残惜しさというものがないらしい。

「そっか……俺たちの所へ来る気は……」

「ない」

 即答である。マカヴォンはつい、苦笑する。

「まあ、そうだわな。じゃあ、ここでお別れか」

「そうだな」

 マカヴォンは残念そうにしながらも、それでも白い歯を見せて、清々しく笑う。

「じゃあ、元気でな」

 ケルバンは黙して答え、あっさりと背を向けて離れて行った。その横を、強く冷たい風が吹き渡る。その風は北へ、王都サラスのある方角へと運ばれて行った。

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