020譚 しんしんと降る雪に眠る(上)


 白夜はくや常闇とこやみの神官。

 

 それはすなわち、「白夜はくや常闇とこやみ」を司る神々に仕える神官――「白夜はくや常闇とこやみの神」を崇めひれ伏し、伝える者。

 

白夜はくや常闇とこやみの神ってまさか――……)

 

 アラニスにとって、その神は神だ。けれども、、聞いたことがある。それも、重大なところで。

 

 アラニスは息を呑む。

 

(それじゃあ、

 

 生のやり直し。その失敗。欺いた、謎の神に仕える神官。

 まさか、

 しんしんと降る雪の中で、ケルバンはまた、背を向けた。目の前の墓の前に対峙するように、静かに佇んでいる。アラニスはケルバンの後方まで歩き寄り、立ち止まる。

 

 ボーエンの子、聖騎士ギャラガー

 ギャラガーの孫、ビルギット


 そう、墓石には掘られていた。その下にはあまり目立たないように、神詞かむことばで同じ名前が記されている。これは、ケルバンが彫ったものだ。ケルバンは王国の文字が読めない。だから、せめて読める文字で印を付けたのだ。またここに、戻ってくれるように。

「この方々は……どなたですか」

 ケルバンの後ろで、アラニスが尋ねる。

 

「俺の前任者と、その孫娘」

 

 前任者、とはすなわちケルバンの前の聖騎士。ケルバンの聖騎士としての師匠。傭兵だったケルバンの才能を見出し、平民であろうと別け隔てなく聖騎士として必要な知識と技術を授けた。ビルギットはそのひとり孫娘はだ。気の強い、跳ねっ返り娘。ケルバンとは年齢としが近かった。

 ケルバンは手袋を外し、やおらその手に歯を立てた。たらり、と血が滴ると、静かに神詞かむことばで詠唱する。


「〈幾千幾万の神々よ、我に力を。死者に手向け知らせる花々をこの手に〉」


 言い終えると同時に、甘やかな匂いと、色鮮やかな花々の束が現れる。ケルバンはその数本を墓石の前に添える。

「お亡くなりになったんですね」

 ゆっくりと歩き寄り、ケルバンの隣に立ったアラニスが静かに言葉を落とす。ケルバンはじっとその墓石を見つめて、掠れるような声を鳴らす。

 

「俺が、

 

「え……?」

 茫然とするアラニスを置いて、ケルバンは残りの花束を手に、ついとその場を離れる。またゆっくりと上へ上がって行く。

「知ってるだろう。俺は裏切り者だ」

 ざくざくと、雪を踏みしめるたびに音が鳴る。一面銀世界の墓場で、鳴らされるのはその足音くらいだ。その音ですら、雪が吸い込んで、かき消そうとしているように思われる。

 ケルバンは他の墓から離れた、小さな墓石のある場所を訪れた。盛り土の上に、手のひらサイズの石が立てられている――手作りの墓だ。その墓石の一部には神詞かむことばで、


 グルアの子、戦士ラウロス

 グルアの子、戦士オーヴラ


「これは……ラウロス傭兵団の方々の?」

 アラニスは翡翠を瞬かせる。打ち首にされたという、傭兵団。その遺体は手に入ることはない。これらはすべて、きっとケルバンが作った、仮の墓だ。

 ケルバンはそのうちの、オーヴラの名が彫られている墓石を撫でた。それは、マカヴォンに対して名乗ったさいに用いていた「父親の名」だ。

「オーヴラだけは、先に死んでいたけど……それ以外は皆、。オーヴラが俺を拾って名付け、そして育てた。そんなオーヴラを死んで、行く先を失った俺をラウロスや他の傭兵どもがそばに置いてくれた。俺はその恩をあだで返した。俺は……そいつら全員を裏切った」

 ケルバンはその墓石たちの前にそっと屈み、花を供える。

 

「俺が、皆死んだ」

 

白夜はくや常闇とこやみの神官の差し金で?」

「そうだな」

「やり直すって……新たな命になるってことですか?」

「そうなるな」

 その返答に、アラニスは顔を顰める。そんなこと、神々にだってできるはずがない。……たぶん。この大地にはとにかく神々が溢れかえっている。だから、アラニスの知らない神々もいる。この大地に住まう人間すべてが知らない神々もいる。

 でも、それでも。

「そんなこと、できるはず」

 人間にそんなこと、できるはずがない。そうでなければならない。あまりに人知を超えている。そんなことができてしまうなんて。

 ケルバンはふっと自嘲するように嗤う。

「ない、だろ」

「あなた、そんな話、信じたんですか?」

「なんで、信じたんだろうな」

 静かに外套マントを下ろし、緩んでいた包帯も解く。その下で、黄金の瞳が幽光ゆうこうを放っている。ケルバンはその黄金を揺らすと、やおら空を見上げる。

 冷たい。

 すべてがこの雪とともに溶けて消えてしまえたら。

 ケルバンはただ、降り注ぐ白い雪を仰ぎ見、そしてまなこを閉じる。


「神々の血を引く者の命と引き換えに、その願う者の命を新たにする――馬鹿馬鹿しいだろう?」


 その青年の背からは哀愁を感じさせる。アラニスは何も言えず、ただその背中を見守る。

 ふと、ケルバンが口を開く。

「だから」

 おもむろに立ち上がる、つい先程までの物悲しさはそこにはない。

「俺が、殺すんだ」

 

「俺が、







 翌朝。

 ケルバンは眠ると行って外に出ないので、アラニスだけで外へ出かけた。


「あれ、ケルバンはいねえのか」


 宿から出てすぐに、熊のように大きな傭兵がアラニスへ声をかけた。アラニスは毛皮の外套マントを手で寄せながら、ひとつ頷いて、


「もう少し寝るそうです」

「なんだあ。つまらんなあ」


 なぜそこまで構いたいのか不明なほどの執着心である。戦士として彼によほど何か光るものでも感じているのか。アラニスは苦笑して返すと、静かに言葉を落とす。

「わたし、何か食べるもの買ってきます」

「おー、いってら」

 アラニスは宿から離れ、ケルバンに何か、パンなどつまめるものを与えようかと、求めに行った。

 ティスカールの街は、相変わらずの真っ白な街である。その中を行く人々の多くが戦士なので、何処か物々しさがある。けれども、そのわりには整然としていて、それはひとえに、あの神経質そうな聖騎士のおかげなのだろう。

 ふと、アラニスは昨晩の出来事を思い出す。

白夜はくや常闇とこやみの、神官。もし、わたしの知っているだとしたら)

 

 白夜はくや常闇とこやみの神

 人生のやり直し

 

 ――その者はなぜそんな突拍子もない提案をした?

 

 次期国王の暗殺

 傭兵団と前任者の処刑

 ひとりの娘の死

 


 ――これらの目的は?

 ――誰が、どんな意図でなしたことなのか?

 ――これらはすべての「死」の意味は?


 これはケルバンが自らやったこと?それとも――?

 

「あ」


 アラニスは声を上げ、足を止めた。

 目的のパン屋の前。石窯で焼いたパンが数種類だけ売っているような、小さなパン屋だ。その入口前には聖騎士エイルビーの姿があった。彼はマメな性格らしく、自らの足で街を見回っているらしい。彼は黒髪に赤銅色の肌の娘を認めるや、その神経質そうなきりりとした眉を寄せた。


「貴様は確か、昨日の」

「あ、昨日はどうも……」


 小さく一礼して見せる。見様見真似の一礼なので、ぎこちない。だが異国人に自国の礼儀を求めるほどの押し付けがましい性質ではないらしく、エイルビーは呆れた風に嘆息する。

「無理しなくてもよい」

「それは……ありがとうございます」

 アラニスはエイルビーの隣に並び、陳列されたパンを見る。彼もまたパンを見ているらしく、気まずい沈黙が流れる。


「……あ、あの」


 声を振り絞って、アラニスはエイルビーを見た。

「少しだけ……お話してもいいですか?」

 アラニスの申し出に、エイルビーは切れ長の青目を瞬かせた。

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