019譚 聖騎士の治める街(下)


 領主である聖騎士エイルビーが立ち去った直後、酒場にいた者はそれぞれに散った。食事に戻る者もいれば、さっさと宿へ戻る者。女遊びへ繰り出す者。

 傭兵マカヴォンがドタドタと足音を立てて、ケルバンのそばへ大股に歩き寄った。

 

「おめえ、やっぱり強えなあ!」

 

 店中に響く大声である。何をしても五月蝿い奴だ。ケルバンは嘆息すると、ダークグレイの外套マントをくいと引いて正す。

「ただなして無力化しただけだろ」

「被害が広がらんよう、できるだけ小さく気い配ってたじゃねえか。周り見ながら戦えるってすげえぜ」

 マカヴォンが周囲を見渡した。ケルバンは自分の動きによる被害だけでなく、相手が襲いかかってくる面積も制限するように動いていた。手や足でさり気なく相手の動ける場所を限り、腕の攻撃だけに留めることで自分の動きもコンパクトに。それでいて、今回は殺してはいけないので、力加減も絶妙に。場所と状況で戦い方をしっかり変える。咄嗟にできることではない。

 だがケルバンはけろりとして、

「偶然だろ」

「またまたー」

 何が嬉しいのか、マカヴォンがケルバンに肩を組んで絡む。この熊男の中で、この細身の戦士を勧誘したい気持ちは高まるばかりで、もっぱらの興味の対象なのである。

 ケルバンは軽くマカヴォンの太い腕を払い、冷ややかにあしらう。

「やめろ」

 それから飯代である銅貨一枚を懐から出してテーブルへ置くと、

「疲れたから、先に戻る」

「おいおい、またかよ。夜の楽しみはこれからだろ」

 やはりと言うべきか、夜の店へ行くのに誘いに来たのである。マカヴォンは勧めの店を言い並べて、共に行こうではないかと大きな声でせがんでいる。女であるアラニスの前でよくもまあ、そんなことを言えるものだ。ケルバンは背を向けたまま何も答えず、店を出た。

 

「待って、ケルバン!」

 

 アラニスは走って追いかけた。またこのパターンである。必死に走って、先を行くケルバンへ追いつこうとする。

「きゃ!」

 そしてまたしても足を滑らせる。今度は凍結した地面に。この街もグルネ同様に雪が積もってはいるが、雪掻きされて、道脇に避けられている。だが、それでも雪はまた積もるし、凍る。そこをうっかり。アラニスは後ろにひっくり返って、あわや後頭部を強打しかける。

 だが今度は、ケルバンはすぐに駆け寄り、転倒しかけるアラニスの腕を掴み、支えて止めた。

 

「あんた、転びすぎ」

 

「ごめんなさい……」

 しゅんとするアラニスを、ケルバンはそっと立たせた。雪が履いたブーツの隙間から入って冷たい。そのブーツにおさめられているアラニスの足はすっかり治っている。だからこうして、駆け寄ることができているのだ。だがまた捻られては面倒極まりない。

 アラニスはふと、ケルバンが向かっていた先を見つめた。

「あの……こっち、宿じゃないですよね」

 ここは大通りから大きく逸れた、急坂に繋がる細い道。宿とは反対方面である。ケルバンはついとアラニスから離れると、また雪道を歩き始めた。

 

「寄りたい場所がある」

 

「寄りたい場所……?」

 ケルバンは黙して、坂を登り始めた。厚い鈍色の雲がしんしんと雪を降らせ初めている。またいっそう雪が濃くなりそうだ。ケルバンはその、はらはらと舞う雪の中をゆっくりと上がっていく。

 このずっと行った先には、領主の住まう屋敷のある場所だ。ケルバンはそのを見上げながら、一歩一歩進む。


「……十五の時にこの街を治めてたって本当ですか?」


 ケルバンの背後で、何となくアラニスが尋ねる。この地は聖騎士が管理を任されている土地。つまりは、その聖騎士に選ばれた彼もまた、一時期といえど、あの生真面目なエイルビーのように領主を務めていたことになる。

 背を向けたまま、ケルバンは静かな声で返す。

「実質管理は、別の奴の手を借りていた。元傭兵のガキに、そんなことできるわけないだろ」

「文字も読めないですもんね」

「たった一年半でマスターできるかよ」

 つまりは、ケルバンは十三の時に聖騎士見習いとして引き取られた、ということだ。そういう意味では、ほとんどの人生において、聖騎士見習いや聖騎士だった時期は短い。たったの二年少しである。

 だと言うのに、たったの一年半で後継者に選ばれた。怒涛の快進撃である。

 だがさすがに、それまで戦う以外の能力を必要とはされていなかった一傭兵に領地の管理なぞできようはずもない。さすがに、そこまで完璧とはいかない。

 アラニスはケルバンの背を見つめながら、さらに問いを加える。


「エイルビーという方はお知り合い?」


「兄弟子」

「徒弟制を取っているんでしたっけ。ケルバンが一番下?」

「そうなるな」

 即答だ。ケルバンは今年十八。エイルビーは三十後半。十五以上の開きがある。そんな元傭兵の小僧にその地位を奪われて、今の聖騎士はどんな気分であっただろうか。

 アラニスはふの、この街へ辿り着く前のことを思い起こす。グルネの街の宿。彼は酷くうなされていた。その時しきりに呟き、叫んでいた言葉。このティスカールの街へ到着するまで、その言葉について尋ねる機会はなかった。常にマカヴォン傭兵団の目があったからだ。


「ひとつ、聞いていいですか」


「なんだ」

 変わらず、無感情そうな声。

 ケルバンはただ前を見据えて、ちらりともアラニスの方を見ない。足を止めることもない。いったいどこへ向かっているのだろうか。

 

「失敗したってなんですか?――やり直すことに失敗した、て」

 

 ケルバンの足が止まった。アラニスの言葉に留めたわけじゃない。目的地へ辿り着いたのだ。アラニスはその前方に広がる光景に、息を呑む。

「ここは……墓地ですか?」

 そこには整然と、墓石が連なっている小高い丘。どれも形の違う墓石で、丸かったり尖っていたりする。一部の墓石には枯れかけの花輪が掛けられている。誰かがだいぶ前に墓参りしたのだろう。

 ケルバンはその中を静かに上がって行く。

 しんしんと、雪が降る。降り注いで、墓場を白く埋めていく。

 ケルバンはひとつの墓石の前に立ち止まった。

「その言葉の通りだ」

 しんしんと降る雪の中に、澄んだ青年の声が鳴らさる。その声もまた、雪のようだ。曇天の空より下ろされ、ひとときの間だけその白さを見せ、そして溶けて消える。

 

「俺は、んだ」

 

「やり直すって何をですか?」

 アラニスは少し高い位置にいるケルバンを、その翡翠で見上げ、寒さでかじかむ唇を、震わせる。

 

「すべてだ。生のすべて。あの夜の塔で、あの「白夜はくや常闇とこやみ」の神官に欺かれて、俺はここにある」

 

 ダークグレイの外套マントの奥で、密かに黄金が煌めいた。

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