018譚 聖騎士の治める街(上)


 荒々しい男たちの乱闘はヒートアップして、ケルバンたちのいる酒場にまで人間(喧嘩相手だ)が飛んできて、テーブルや酒瓶、皿を破壊してほどになった。数人の酒場客はそれを娯楽に見立てて「やれやれ!」と声援を掛けたり、「どっちが勝つと思う?」などと賭け事を始めたりする始末。

 それを店主は困り果てて、やめてくれらと叫んでいる。だが乱闘騒ぎの当事者が耳を貸すはずもなく、騒々しさは拍車がかかる。

 我関せずを決め込み、呑気にスープを飲もうとしていたケルバンの手を、ティララがにっこり笑顔で止めた。

 

「ケル(ケルバンの愛称)、止めてきて?」

 

「は?」

 ケルバンはすかさず返す。だがティララは気迫のある笑みを向けたまま、

「だって、汚いのは嫌いなんだもの。止めてきて、ね?」

「……」

 神々が人間の事情を気にかけてくれるはずもない。忠告だって、そんな気分になればするし、そうでなければ放って置く。人間と神々ではそもそも倫理観が違うので、それを薄情だと思ってはいけない。とは言え、人間たちは彼らの力を借りる側。無下にはできない。ケルバンは深く息を落とすと、立ち上がった。

「え、ケルバン?どこへ行くんですか?」

 アラニスは驚いて呼び止めようとする。だが、ケルバンは殴り合いをする男たちの元へすたすたと歩いて行く。

 

「おい」

 

 いつもの、感情を感じさせない声。ケルバンのその呼び声で、ふたりの男は顔を茹でダコにして振り返る。

「あん?何だこの外套マント野郎」

「外野はすっこんでろ!」

 喧嘩をしていた割には声が揃っている。意見までピッタリ。

「まあ、そうなんだが」

 あっさりとケルバンは認め、外套マント越しに頭を掻く。何しに行ったんだ、あの男。周囲の見物人は呆気に採られた。だがそれも束の間。ケルバンが片方の顔に拳をクリーンヒットさせた。ドゴッとかなりいい音が立てられた。

 あっけなく転倒したその男は頬を押えながら、

「ぐ……何しやがる!」


「悪いことは言わない。帰れ」


 言葉が足りていないが、機嫌を損ねるのはケルバンではなく、後ろでニコニコ笑顔をして見守っている緑髪の神である。

 だがそんな隠された言葉の意味を彼らが汲み取るはずの無い。青筋を立てて、もう片方が腕を振りかぶる。

「この野郎!」

 ケルバンはひらりとそれを躱し、軽く往なして床へ叩きつける。鮮やかな手付きである。男が「ギブ!ギブ!」ときいきい叫んでいる。すると、初めに転倒した方の男が好機チャンスとばかりに飛び掛かった。

「うぎゃ!」

 容赦なく、床に叩きつけていた男を盾にして、ケルバンは凌いだ。ギブアップしていたのに、憐れだ。相手が驚いて面食らっているところを、掴み寄せ、頸に遠慮なく手刀を振り落とした。

 あっという間に乱痴気騒動は収められた。アラニスはケルバンに駆け寄ろうと立ち上がり――その瞬間。

 

「こら、そこ!何をしている!」

 

 酒場に新たな男が現れた。モスグリーンの外套マントの下に、鮮やかな赤と白のチュニックに、細やかな刺繍の施された革紐ベルト。腰に携えた剣も細工が細やかで、いかにも高貴そうな男だ。がっしりとした体躯で、ケルバンほどではないが上背がある。髭に縁取られたその神経質そうな顔がそこそこに整っている、二十代後半くらいの男。


「うひゃあ。聖騎士来ちまったな」


 アラニスの後方より、聞き覚えのある声が鳴らされる。振り返れば、熊のような大男。目を見開いてアラニスは小さく声を上げた。

「マカヴォンさん、いつの間に」

「いやあ、数分前、あいつが止めに入る辺りから見てたんだけどよお」

「それより聖騎士って……」

「ありゃあ、裏切り者の代わってここの領地を任されている聖騎士のエイルビーて奴だ。あのキャンキャン叫ぶ感じは聖騎士に見えねえけど、一応聖騎士サマだ。でもやっぱイケメンだな。若く見えるし。あれで三十後半だぜ」

 チッと若干私怨の入った舌打ちをするマカヴォン。リア充滅びろとまで呟いている。明らかに逆恨みである。

 

「貴様、何の騒ぎだ」

 

 聖騎士エイルビーの声で、アラニスは我に返ってケルバンのいる方へ視線を戻す。ケルバンはノックダウンした男たちの前で、返答に悩んだ様子で外套マント越しに頭を掻いていた。

 エイルビーはなおも言葉を続く。

「喧嘩は多いに結構。だが、店を破壊するような迷惑行為は断じて許さん」

 冤罪も甚だしい。だが、傍目には、店の壁を大破させ、男たちを昏倒させた現行犯だ。本当の実行犯たちは泡を吹いて気絶をしているので、話をさせようにも叶わない。

 周囲にいた男たちも巻き込まれまいと、知らぬ存ぜぬで無関係者を装っていてまったく役に立たない。アラニスはそうだ、とばかりに傍らにいたはずのティララを探した。


(ってティララさまー!)


 ティララは興味を失ったのか、厨房へ引っ込んでしまった。神々は気まぐれで頼りにならない。

「貴様、名は?どこの者だ?」

 エイルビーは無言のケルバンの胸ぐらを掴み、ダークグレイの外套マントのフードを無理やり外そうとする。

 アラニスは咄嗟に飛び出して、その手を止めた。

 

「あ、あの!」

 

「……なんだ、異国女」

 エイルビーの冷ややかな青い目が下ろされる。

「その方の連れです。それと、その方は止めに入っただけで、壁を壊したのは……」

 アラニスにつられて、エイルビーの視線が足元へ移る。そこには白目を剥き、陸に上げられた魚みたいにピクピクと痙攣している。

「せ、聖騎士様。本当のことにございます」

 今さらになって供述する店主。揉み手をしながら、へらへらと笑っている。聖騎士エイルビーは青筋を立てて口端をひくひくさせている。

「なぜすぐに言わない!」

「いやあ、そのお……」

 店主が目を泳がせる。どうせ、この威圧的な聖騎士と会話したくなかったのだろう。今度はケルバンへ詰め寄り、エイルビーはかっと目を見開く。

「貴様も貴様だ!なぜ自分で言わない!」

 いや、言っても信じないだろう。等と言い換えしても無駄なので、ケルバンはひと言。

「はあ……」

 もう少し言葉を考えないのか、とアラニスは啞然とした。エイルビーは床に転がった男たち――おそらくその屈強な体格から傭兵である――を一瞥すると、低く吐き捨てた。

 

、傭兵は好かん。こんな奴ら、害にしかならん」

 

 その言葉にケルバンが息を呑んだのを、アラニスは心付いた。エイルビーは部下の兵士に男たちを運ばせて、店の外へ出た。石頭の聖騎士エイルビー。彼のおかげか、荒くれ者ばかりであるはずのこの街は然程荒れていない――ケルバンは小さく、言葉を落とした。

「変わらないな」

 その声は、騒がしい店の雑踏にかき消された。

 

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