021譚 しんしんと降る雪に眠る(下)


「話……?」

 エイルビーはようやく声を鳴らす。訝しげにきりりとした眉を上げて。アラニスは重ね着をしたスカートの裾を掴み、言い淀みながらも、言葉を継ぐ。

「はい。その……昨日の言葉が気になりまして」

「言葉?」

 

「……傭兵は、お嫌いですか?」

 

 乱闘騒ぎを起こした男たちを連行する際。この聖騎士は去り際に言った。好かない、傭兵など害にしかならない、と。確かに、気の荒い彼らは強奪も強姦もする。渡り歩く生と死の狭間で見出した愉しみなのかもしれないが、奪われる側からすれば堪ったものではない。

 でもここは、傭兵が必要な街だ。

 国境沿いは常に侵略の危機に曝されている。そんな街の戦力の一部を、傭兵が補っている。それを雇う側が、傭兵を害として扱う。考えられないことでもないけらど……。

 エイルビーは眉間の皺を寄せると低く、吐き捨てる。

「ふん。あんな野蛮人、好めるとは思えん」

「前任の聖騎士さまが傭兵だったからですか?」

 アラニスはまっすぐと翡翠を向ける。エイルビーは暫し沈黙すると、顎で「外へ出るぞ」と示した。パン屋で話す話題ではない、と判断したのだろう。

 アラニスとエイルビーは領主の邸宅へ向かう道を辿った。空はどんよりと鈍色のままで、降り積もった雪が乱反射して眩しい。エイルビーはその道の途中――昨夜訪れた墓場で足を止めた。

 

「貴様は、なぜ裏切り者の話を聞きたいのだ?」

 

 エイルビーは突然に切り出した。鋭い青い目をアラニスへ向けている。アラニスは口籠った。近くにいて、知ってみたくなった、とは言えない。アラニスはそれらしい理由を探し、口にした。

「なぜ、ですかね。わたしの国も「奪われた」国なので、そういう話に敏感なのかもしれません」

「ああ……その顔はか。貴様の国の者で自由に歩き回ってるとは珍しい。昨日の戦士の奴隷か?」

 やはり、アラニスのひとり歩きは怪しいらしい。とりあえずアラニスは、「そんなものです」と答えておいた。本当はアラニスが雇い主なのだが。


「前の聖騎士さまは何をしてしまったのですか?」


 アラニスは静かに問う。エイルビーは顔を歪めると、心からの憎んでいるような、そして嫌悪しているような声で悪態付く。

「あれは聖騎士などではない。あんな奴を聖騎士になど、すべきではなかった」

「何があったんですか?」

 エイルビーはさらに顔を険しくし、低く言い放つ。

 

「虐殺だ」

 

「虐殺?」

 

「ある日突然、第二王子とその一派である貴族たちが惨殺された」

 

 次期国王の暗殺。農村でも酒場でも聞いた話だ。アラニスは瞳を揺るがし、それでも言葉を継ぐ。

「それに、前任の聖騎士様が?前任の方が、その殺戮を行った、と?」

「さあ……そうだろう、と言われた」

「え?」

 エイルビーの返答は意外なものであった。彼の中では確信されていないのだ。こんなにも毛嫌いしているので、てっきり真っ先に、ケルバンこそが犯人であると思い込んでいるに違いない、と踏んでいたのだが。エイルビーは嘆息すると、


「これはわりと知られていることだったが、奴は第二王子と懇意な仲だった。何かと第二王子が奴を指名するほどにな。元傭兵の分際で、いかようにして近づいたのか、さしずめ、あのお綺麗な顔で色仕掛けしたのだろう等と噂されたものだ」


「あなたは、違うのですか?」

「そんなに器用な奴じゃないことは、この私が一番知っている」

 きっぱりと、言い切るエイルビー。彼は前任者を忌み嫌いながらも、その一方でその性格を熟知し、信頼している。兄弟弟子関係であったと同時に、ライバル関係のような、そんな「良き」関係だったのではなかろうか。

 エイルビーは「ボーエンの子ギャラガー」と記された墓石の前へ行く。その墓石前に供えられた、色鮮やかな花束を見て、わずかにその青い瞳を揺らしたが、すぐに不機嫌面になって、その墓の前で膝を付いた。

「その後、すぐにあいつは夜の塔へ連行された。わりとあっさりとあいつは従った。弁明もなかったから、奴がやったんだろう、とされた」

「そんな……元傭兵の方だから、発言権がなかったのでは?」

 アラニスは両手を胸の前で組む。聖騎士といえど、元傭兵。そんな彼に、抵抗するだけの権限はあったのか。それとも、あった上で、彼は素直に従うことを選んだのか。


「そうかもしれんな。その後、共謀したという疑いをかけられ、ラウロス傭兵団一味が一斉検挙、そして死刑に処された。まあ、奴の古巣で、当事国王直属軍の補佐をしていたからな」


 すると、エイルビーは拳を強く握り、震わせた。そこには、悔しさと憎しみの情が篭められているように思われる。

「何よりも許せなかったのは、私たちの師匠――ギャラガー様までことだ」

 ギャラガー。それはこの墓の主で、ケルバンの前の聖騎士の名。アラニスは翡翠を揺らしながらも、静かに問い返す。

「巻き込んだ、とはどういうことですか?」


「無論、あいつを推したのは前任者であるギャラガー様。責任を取る形で打ち首に処された。あんな、誰に対しても別け隔てない素晴らしい方を。十三人の聖騎士様方の中で最も聖騎士としてのお役目を果たされていた方を……あいつは見殺しにした」


 ドンッとエイルビーが地面を殴りつける。彼の背からはひしひしと悔しさが滲み出ている。きっとギャラガーという聖騎士を尊敬していたのだろう。

「その後、ギャラガー様のたったひとりの孫娘で、私の婚約者であったビルギットが自害し――間もなくして、あの愚か者が脱獄した。あいつはその間ずっと何も言わず、何も叫ばない。奴は誰の弁明もしなかった薄情な、恩知らずだ」

 なぜ、沈黙を貫いたのか。本当に、沈黙していたのか。

 俺が殺した。

 彼はそう言っていた。

 巻き込んだから?それともあえて沈黙したから?それとも……。

 アラニスはふと、エイルビーの手に目を留めた。彼の、地面を打ち付けた拳は血が滲んでいる。自傷してまで、その悔しさを晴らしたかったのだろう。

 そっとエイルビーの横へ膝を付き、アラニスはその血に滲んだ手を握る。

「――あなたは、前任者が犯人ではない、とお考えなんですね」

「……嫌なことに、そう考えざるを得ないからな。だが、それでも奴は聖騎士に相応しくなかったと考えている。出しゃばらず、平民のままであればきっと、こんなことは起きなかった」

 元傭兵で敵の多いであろうその前任者は利用されたに違いない、きっとそう考えているのだろう。――でもそれは、この聖騎士の主観によるもの。

 

(これには、関わっているの?)


 すべてが判らない。あまりに、散らばっていて。アラニスは小さく息を落とす。せめて、話をしてくれたこの騎士にちゃんと礼をしなければ。

 アラニスは努めて柔らかな微笑を浮かべ、頭を垂れた。

「色々お話いただいて、ありがとうございます」

「……ふん。まったく、奇妙なことを知りたがる異国女だ」

 エイルビーの低い声が、ちょうど吹き渡った北風に乗せられ、雪の中へ溶けて消えた。

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