016譚 物好きな神さま(上)


 聖騎士領ティスカールの街の外壁は切り立って、物々しさがあった。あの西に連なる山々の向こうには、光の王国でない別の国の土地がある。


 日暮れ時。ケルバンとアラニスはマカヴォン傭兵団の一行とともに、関門を通過し、街へ入っていた。


 高低差のある街で、赤煉瓦の建物と木々の白(春になると青々とするらしい)のコントラストが美しい。鍛冶屋と宿屋が多く、道を行く人々の中にかなりの割合で傭兵がいる。男が多いと自然とそういう人が増えるわけで。胸をガッツリ開けたお姉さんもかなりいた。

 アラニスはそんな街をきょろきょろと見渡してひとり呟く。


「グルネとだいぶ雰囲気違うんですね……」


「国境沿いだからなあ。俺たちにとっちゃあ金ズルの街よ」

 マカヴォンにはオブラートというものがないらしい。ゲラゲラと下品に嗤っている。だがなぜ彼らがここを中心に据えていないのかというと、マカヴォン傭兵団のホームはここより東の南東部地域らしい。

 剥き出しで革布に包んだだけの大剣(大きいので、普通の鞘を突き破ってしまうのだ)をひらひらと振ってみせて、マカヴォンは言葉を続ける。

「まあ今回は剣の修理やらが目的だからな。こっちが金を払う側だがね。おめえらも何か見てくなりしときゃあいい。事前に伝えた通り、ここには二日泊まる」

 ケルバンがこくり、とひとつ頷く。すると、マカヴォンはケルバンへ尋ねた。


「おめえさんはこの辺り初めてか、ケルバン?」

「……ああ」


 無論これは嘘だ。だがそんなことを知る由もないマカヴォンは得意げに胸を張り、

「なら腕の良い鍛冶屋と美味い飯屋を教えてやる。ここには有名な歌い手がいるんだぜ」

「……そうしてくれると助かる」

「おう。任せとけ。お前らも羽根を伸ばしとけよ!」

 マカヴォンは後方を歩く傭兵団の一味へ振り返る。男たちは待ってました、とばかりに

「おう!」

 と返した。

 旅荷は宿に預け、ケルバンとアラニスはマカヴォンの言っていた酒場に行くことにした。ちなみに、ケルバンとアラニスはまた相部屋だ。女だからと別部屋を用意する金は無くはないが、節約のため。というのと、あのマカヴォン傭兵団の荒くれ者たちにちょっかい出されないようにするためだ。

 ふたりは宿屋から緩やかな坂になっている大通りに出て、少し歩いた先にある酒場を訪れた。


「いらっしゃい!」


 声を張ったのは、中年で恰幅の良い店主の男だ。彼は調理場で煮込んだスープを器に、杯に麦酒を、ダンッと音を立てて手前のカウンターに置く。配膳というには乱暴な手付きだが、こんな街で丁寧なもてなしなど期待してはならない。

 ケルバンとアラニスは壁際の端っこに座った。周囲には晩飯を取りに来た鍛冶職人や傭兵の集団の姿がある。とにかく、むさ苦しい。


「ご注文は?」


 矢庭に、鈴のような澄み切った声が降り注ぐ。

 きょとんとしてアラニスが見上げると、そこには儚げに美しい娘の姿がある。淡い柔らかな緑髪に、橄欖石ペリドットように光り輝く緑の目。豊かな乳房をエプロン・ドレスで慎ましやかに隠した、傍目には若い娘だ。

 だがひと目見て、アラニスはその正体を見破った。


「……『精霊様』?」


 思わず、自国の言葉を使ってしまった。これは比喩ではない。事実なのだ。その血を引く者ならば誰でも、彼女が人間ひとではなく、この地にあまねく幾千幾万の神々に類する者だと判ぜられる。しかも、高位の。その緑髪の女はアラニスを認めるとにっこりと微笑んで、

「まあまあ、可愛らしい南の旅人さん」

 と返した。

 頬に手を添える仕草も優美で、自然と目を奪われる。神々の血を引き、その血が濃い者たちが美男美女であることの理由を説明することは、簡単だ。神々が美形だからだ。神々はこの大地の何よりも美しい。人間に混ざって生活していても、その神々しさのある美麗さで一瞬のうちに見抜かれる。

 そのひとりである緑髪の女に、アラニスは顔を引き攣らせる。


「確かに、人に混ざるカミサマはいますけど……給仕をしているのは初めて見ました」


「ふふ、そうかしら。でもやってみると楽しいのよ。もうかれこれ、五年……あら、十年だったかしら」

 神々は長寿だ。そして流れる時が緩やか。彼女たちの時間間隔を信用してはならない。彼らの一年は十年以上ある。ついさっき、は一時間前だったり昨日のことだったりする。

 乾いた笑い声を溢して、アラニスは冗談で聞いてみた。

「もしかして、有名な歌い手さんってあなただったりするんですか?」

「十中八九、そいつのことだよ!」

 答えたのは店主だ。

 ジョークだったのに本当だったとは。まったく物好きな神さまだ。こんな荒くれ者の巣窟で働くなぞ。しかも歌まで披露してしまうなんて。

 見るだけでも心が満たされるような美人なのだ。こんな彼女を雇えているあの店主は幸せ者に違いない。

 緑髪の女はにっこりと柔らかに微笑むと、耳までうっとりさせる声を鳴らした。


「私は、ティララと呼ばれているわ。あなたは私と同じ筋のものの血を引く娘さんね。何かあったら、ぜひ呼んでちょうだいね」


「は、はい……」

「そちらの殿方は……」

 ティララと名乗る神が一瞬だけ口を噤む。その橄欖石ペリドットの瞳をケルバンへじっと向けて、黙りこくっている。アラニスはそんなティララを訝り、

「どうかしましたか?」

 すると、ティララはすぐにパッと笑顔を花開かせて返した。

「おふたりとも、何をご注文なさいます?ウサギのスープがおすすめよ」

 ティララが厨房へ引っ込むと、アラニスはそっとケルバンへヒソヒソ声をかける。

「もしかして、ティララさんとお知り合いだったりします?」

「……」

 ケルバンはダークグレイの外套マントで顔を隠して、沈黙を貫いている。その沈黙がむしろ、イエスと答えているようにも感じられる。

 そんなケルバンに対し、アラニスは冷たい汗を頬に伝わらせて、言葉を続ける。

「カミサマは顔を隠しても分かっちゃうと思うのですが……」

「まあ、あいつのことだから、深くは探らないだろ」

 やはり、知人だったらしい。地元人の彼が、確かに知らないはずもないが……。ケルバンはきっと、外套マントの下で、多量の冷や汗をかいているに違いない。


「はい、おまたせ」


 突然にまた鳴らされたティララの声に、ドキリとした。ふたりぶんのスープの盛った(流し込んだ)器とパンを乗せた盆をその手に持っている。アラニスは引き攣った笑顔を見せながら、その器を受け取る。

「ありがとうございます」

 ティララは「どうも」と答えると、去り際にケルバンの耳へ顔を寄せて、耳打ちした。


「ケル(ケルバンの愛称)。今日はエイルビー坊や、ティスカールこっちにいるわよ」


「……ご忠告どうも」

 ケルバンは低く、そして短い言葉で返した。

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