015譚 雪空の下の再出立(下)

(やり直すことに失敗した……て何のことだったのかしら)

 

 ざくざくと雪を踏みしめて、アラニスは考えた。彼女は今、ケルバンとふたり、大荷物を背負って街の中を歩いていた。

 

(うなされている間も、そんなことを呟いていたわ)

 

 実を言うと、夜中もアラニスは起きて、ケルバンの汗を拭ってやったりしていた。苦しそうに呻き、誰かの名を呼び、ずっと叫んでいた。なぜ、、と。

 

(何のことだったのかしら……)

 それは、「裏切り」に関することなのか――それとも、「裏切」ことに関することなのか。

 

 ふと、アラニスは前方を見た。

 そこは見事な白銀の世界である。グルネの街は赤煉瓦も木々も土もすべてが雪化粧を施されている。道において、雪は深く積もり、足を踏み込めば、脹脛ふくらはぎはすっぽりと覆い隠されてしまう。

 けれども、グルネの街は賑わいを忘れない。幾人ものの人々が忙しなく行き交い、呼びかけ、そして語らい合う。その中には、このふたりと同じような旅人の思われる者たちもいるし、逆にこの街に暮らし生きる者たちもいる。

 それに対し、アラニスの横を歩くダークグレイの外套マントで姿を隠した傭兵はずっと無言だ。いつものことだが。何となしに、アラニスはやんわりと声を鳴らして声をかけてみた。

 

「ええと……携帯用の干し肉と、水と、毛布と、毛皮の外套や防寒用のブーツも手に入ったので……ひと通り揃ったでしょうか」


 その問いに、ケルバンは想像通りなくらいに静かな声で応じる。

「あとは出来れば馬だな。あんたは体力なさそうだし、徒歩だと時間がかかる」

「わたし、馬は苦手です……舟なら得意なんですけど」

「あいにく、山越えに舟は使えない。つべこべ言わず、乗るんだな」

「はい……」

 アラニスががっくりと肩を落とす。そんなのでよく、遠く離れた王都へ行こうと試みたものだ。ふたりは大通りを過ぎ、宿屋前を通る細路へ曲がろうとした。たがその時、見覚えのある大男とばったりと出くわした。

 

「お、奇遇だなあ」

 

 その屈強な体躯に相応しい熊の咆哮のような大声だ。ぬっと見下ろす傭兵に、アラニスは汗を伝わらせる。

 

「ええと……マカポンさん?」

「マカヴォンだ」

 

 すかさず熊男が切り返す。何とも可愛らしい名前に間違われたものである。マカポン。狸が腹をポンポコ叩いてそうだ。マカヴォンはこほん、と咳払いをすると、ケルバンたちの背負う大荷物を一瞥した。

「おめえさんたちも旅の支度か?」

「そんなところだ」

 とケルバン。マカヴォンは「ふうん?」と呟き、にやりと嗤うと、ケルバンへ肩を組んだ。

「どうだ。一緒に来ねえか?」

「傭兵団に加わるつもりはない」

 ばっさりと切り捨てる。そのことがいっそう、マカヴォンの「是非欲しい」という欲を掻き立てる。

 

「まあまあ。とりあえず一度だけでもいいから付いてきてみねえか?俺らこれからサラスへ行くんだ」

 

 すると、ケルバンがぴくり、と動きを止めた。珍しく脈アリだ。ケルバンは暫し考え込むように顎に手をやる。

 マカヴォン傭兵団はこの辺りでは有名な傭兵団だ。無論、それは王都サラスでも同様。名が知れているということは、関門を通る時に有利だ。

 どこかの商団の一行に混ざるつもりだったが、ケルバンは顔を隠していて、アラニスは異国人。説得するのには骨が折れる。すでに乗り気な彼らに乗っかるほうが時短になるだろう。

 

「……それならついて行ってもいい」

 

「え?」

 ケルバンの返答に、アラニスが翡翠を瞬かせる。対してマカヴォンはガッツ・ポーズを取り、

「よっしゃ!そう来なくっちゃなあ!」

「サラスまでだぞ」

 念を押すように、ケルバンが低く言う。それでも十分なようで、その間に「口説き落とす」のだと宣言する。本当にかなり、ケルバンを気に入ったらしい。

 ふとマカヴォンは「あ」と声を上げると、ふたりに向き直った。

「そういやおめえさんたちの名前、聞いてなかったな。てか俺も名乗ってねえな」

 それもそうである。昨晩はマカヴォンだけが傭兵団の名称から勝手に名前が知られた形になっていて、(マカヴォン含め)誰ひとり自己紹介をしていない。

「改めて俺から。おらあ、戦士ガスリーの子、マカヴォンだ」

 父親の名を添えた、正式な名乗りだ。ケルバンは暫し黙したのち、

 

「……オーヴラ……戦士オーヴラの子ケルバン」

 

 と返した。

「コーマックの子アラニスです。父の職業名は……訳し方がわからなくて」

「そうかそうか。おめえさん、あの天才聖騎士と同じ名前か!」

「どこにでもいる名前だろ?」

 ケルバンという名はそこら中にある名前であるのは事実だ。きっとそのへんの街の人を掴まえて聞いてみれば、数人にひとりくらいはいるだろう。そのことにマカヴォンも納得したらしく、

「それもそうさな!」

 と大声で言った。いちいち喧しい奴である。

 そして道すがら、なんと射止めてやるとばかりにウキウキである。するとまた、唐突にマカヴォンが「あ」と声を上げた。

 

「そうそう。後出しになっちまったけど、ティスカール経由でいいか?」

 

 アラニスはふと、ケルバンが一瞬息を呑んだことに気が付いた。少し動揺しているような気もする――そう思い、顔を覗き込もうとする。だがその時にはケルバンは外套マントをくいと手前に引き、

「――ああ、問題ない。集合はいつどこで?」

「明日の日の出頃、西門でいいか?」

「承知した」

 淡々と事務的なやり取りをして、ケルバンはさっさとマカヴォンの元から離れて行った。アラニスも急ぎケルバンの後を追おうとするが、何となく足を止め、マカヴォンへ尋ねる。

「あの」

「なんだあ?女」

 

「ティスカールってどんなところなんですか?行ったことがなくて」

 

「ティスカールは北西部国境の要塞都市のうちのひとつだ」

 ティスカール。光の王国の北西部にある大きな街で、グルアの街をずっと西に進んだ先にある要塞都市であり、商業都市。

 他の王国の国境にあり、その領土にある正規兵は王都の次に兵力がある。別名「鉄と鋼の街」。鉄は鉄錆臭い血を暗に意味しているのだとか。そして――聖騎士が領主を務める街のひとつ。そして。

 マカヴォンは愉快そうに言葉を続ける。

 

「かつて裏切り者の聖騎士が治めていた街だって話だぜ」

 

 光の王国は封建制度を採る国だ。このグルアの街だって、ある貴族の領土だ。そして裏切り者の聖騎士が特例で元平民だっただけで、聖騎士も貴族。その多くが国境付近に領地を持ち、その力を持って国を守る。つまり、そういう場所があったはずで。

 アラニスは顔が引き攣りそうになるのを堪えた。そしてマカヴォンへ例を述べると、急ぎケルバンの後を追った。ケルバンは何もなかったように、アラニスを待っている。


 その横を冷たく、強い風を過ぎて行った。その風は遠く遠く目的の場所へと運ばれて行った。






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