014譚 雪空の下の再出立(上)


「ケルバン」


 ブルネットの髪の娘が、呼びかけた。ツンとした雰囲気のある、そばかす顔の娘だ。決して美形の類ではない、年の近い娘。

 娘はふわり、とこちらに歩きよって静かに尋ねる。


「どうして、貴方は生きているの?みな、貴方のために死んだというのに」


 それは呪いの言葉だ。


 ふとその娘の後ろを見れば、幾人ものの屍がある。家族のようだった男たち。自分を認めまいと言いつつも、良きライバルだった若者。そして、唯一無二の友。

 彼らはみな、死んだ。自分がいたせいで。自分なんかが。

 娘は血みどろの顔を向けた。眼窩には眼球はなく、深淵が覗いている。彼女は恨めしそうに、ゆらゆらとにじり寄って声を轟かす。

  

「どうして、の――?」



「うあああ!」


 ケルバンは悲鳴を上げて、飛び起きた。

 息が荒い。服に汗がぐっしょりと染みている。何か厭な夢を視たような気がするのだが、ひとつの言葉を除いて、思い出せない。ケルバンはひゅうひゅうと呼吸音を鳴らしながら、その言葉を独り言つ。

「……なんでやり直すことに失敗した、か……。そんなこと、俺が聞きたいよ……」

 ふとそこでようやく、前方にアラニスがいるのに心付いた。


「大丈夫……ですか?」


 黒髪に赤銅色の肌をした娘は心配そうにケルバンを覗き込んでいる。寝台から降りてきたらしい。その後方へ目を向ければ、狭い部屋には朝日が差し込んでいて、旅荷もすべて昨晩のまま散らかっている。

 再びアラニスへ視線を戻すと、彼女は相変わらず翡翠を不安そうに揺らがせて、

「酷くうなされていたみたいですけど」

「……あんた、出て行かなかったのか」

 何よりもそのことに驚いた。てっきり、夜中に逃げたかと思っていた。わざとでなく、うっかりだが結構ぐっすり眠ってしまっていたので、絶好のチャンスだったはず。なのに、この娘は相変わらず自分の前にいる。

 当の異国娘は呑気に小首を傾げて、「え?」等と言っている。

「殺すだの何だの言ってる男と同じ部屋に残るか?普通」

「その……」

 アラニスが困惑顔をして、きょときょとしている。そこは不思議がるのではなく、我に返れ。ケルバンは頭を抱えた。

「危機感なさすぎだろ、あんた」

「そうかもしれないです……」

 そう思うなら、今すぐにでも逃げるべきだ。そうでなくてもせめて、距離を取るとか。

 だというのに、アラニスはガバリとさらにケルバンへ詰め寄って来る。寝起きもあってか、ケルバンはその勢いに押され、あえなく床に倒れ込む。


「わたし、あなたにお願いしたいんです」


 アラニスは食らいつくように、ケルバンへまっすぐと翡翠を向けている。それに対し、ケルバンは眉を顰めて、低く尋ねる。

「何を?」

「護衛です」

「…………は?」

 面食らい、ケルバンは思わず間の抜けた声を上げる。アラニスはなおもケルバンへ伸し掛かるようにして、言葉を続ける。

「わたし、やっぱり王都へ行きたいんです。そのためにはあなたが必要です」

「馬鹿なのか?他の傭兵探せよ」

「嫌です。あなたがいいんです。わたし見る目がないんです。また逃げられてしまうかもしれないでしょう」

「殺人鬼かもしれない奴そばに置くよりマシだろ」


「わたし、外国人なので難しい単語解りません。箱入り娘なので難しい話は解りません」


「困ったら解らないフリすんな、おい」

 ついつい、声を荒げてツッコんでしまう。何と言うか、強情を通り越して図々しい。アラニスはケルバンの胸ぐらを掴むと、まるで駄々をこねる子どものように、声を鳴らす。


「とにかく、わたしは王都へ行って、姉さんに会うんです。それまではあなたと一緒に行くんです」


「……「姉さん」?」

 それは初めて聞かされる理由だ。ケルバンが顔を顰めると、アラニスは「はい」と言って、小さく頷く。

「わたし、姉を探しにこの国へ来たんです。お願いします。わたしを無事、王都サラスまで送ってください。今度はしっかり、銅貨三枚後払いです。踏み倒したりしません」


「……押し倒してるけどな」


 ケルバンの指摘に、はた、とアラニスは自分の姿勢に目を留めた。アラニスは床の上に寝転がるケルバンの上で馬乗りになっている。何とはしたない。

 ようやく状況を理解したアラニスは一気に顔を赤く染め上げて、

「きゃあああ!」

 反対側の壁まで飛び退いた。これまで見た彼女の動きでもっとも素早さのある動きだ。アラニスは赤銅色の肌をもっと真っ赤にして、翡翠を涙で潤ませている。

「いや、それは俺の台詞だ。あと、足首腫れてるんだから気をつけろ」

 いつの間にか、ケルバンの口調はいつもの淡々としたものに戻っている。ケルバンは小さく嘆息すると起き上がり、床に放られていた包帯と手袋を拾い上げる。

 アラニスは赤面して涙目になったまま、ケルバンが黙々と手袋をはめ、包帯を顔に巻き直すのを見つめていた。こうしていると、昨日の激しい怒りをぶつけていた彼とは別人のようだ。

 包帯を留め終わり、ダークグレイの外套マントを目深に被ると、ケルバンはおもむろに口を開いた。


「俺も王都に用事がある」


「……へ?」

「だから、その護衛。引き受けてやる。どうせあんた、帰る気ないんだろ」

 ケルバンは背を向け、腰元にある革鞘シースやその中に納まる短剣の状態を確認している。護衛のための準備をしているのだ。

 アラニスは目を輝かせ、思わずケルバンの腕を取った。

「ありがとうございます!」

 握手のつもりなのか、ぶんぶんと腕を振る。興奮気味だ。ケルバンは呆れた風に嘆息すると、アラニスの手を払って言い放つ。

「わかったから、さっさと支度しろ。朝飯を食いに行く」

「はい!」

 アラニスは急いでボサボサになった髪を結い直し、簡単な身支度を終わらせた。化粧はしていないし、着替えはしていないので、後は防寒用の外套マントを羽織っておしまい。とは言っても、薄手の外套マントなので、あんまり寒さを防げていない。

「……あんた、もう少し厚手の上着持ってたほうがいいぞ」

 ケルバンは包帯を少しだけずらして、そのぺらぺらな外套マントを見ている。

「生まれ故郷が暖かい場所にあったので……持ってないんです」

 アラニスはしゅんとする。アラニスは暑がりというわけではない。今も十分寒くて、指が凍りそうだ。

「王都はここより北にある。出発前に買い揃えておくぞ」

「はい!」

 曇り無い満面の笑み。まるで遠足前の無邪気な子供だ。ケルバンは呆れ顔をしながらも包帯をもとに戻し、アラニスと共に宿を出た。

 外は、変わらずの曇天の雪空であった。

 

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