013譚 神々へ呼び掛ける者(下)


 聖騎士と神官は共に、神々と関わる者たちだ。「言葉」でもって神々について説き、伝える者が神官ならば、その「力」でもって神々の偉大さを示す者が聖騎士だ。


 聖騎士。


 それは神々と血を分かち、神々の力を我が物のように駆使し得る者へ与えられる「称号」。光の王国ではたった十三人にのみ授けられる、名誉ある地位だ。そしてあの農村でも、酒場でも話題に上がった「裏切り者」もまた、その聖騎士であった――。

 

 暫し沈黙したのち、ケルバンはすっと立ち上がった。その黄金の瞳は冷ややかで、感情を感じさせない。ケルバンは眉ひとつ動かさず、低く声を鳴らした。

 

「――だとしたら、何だ」

 

 人間味のない、平坦な声だ。

 アラニスはじっと上背のあるケルバンを見上げて、静かに言葉を継いだ。


「やっぱり、あなたが皆さんの噂する「裏切り者」なんですよね」


 ケルバンは答えない。ただしんとした静けさを保つ黄金を向けて、黙している。アラニスはそっと、腫れがだいぶ引いた足首に触れた。

「どうしてわざわざ、バレるかもしれないのに、治療をしてくださったんですか?」

 あの時の痛みは、ただ捻ったにしては激しいものであった。きっと骨が折れていた。そしてそのことに、ケルバンも気付いていた。異国人のアラニスを医者に連れて行くのは困難なことであろう。だが放っておけば悪化して、一生片足を引きずって歩くことになっていたかもしれない。


(きっと、本当はとても優しい人なんだわ)


 自分を追って怪我をした――そんな負い目があったのかもしれない。だがおのれの立場を考えれば、何も出来ないふりをするのが吉。

 だというのに咄嗟に助けようとする。それは、「神々に愛される者」として相応しい人品じんぴん。「聖騎士」と呼ばれる、国の民を守る者に値する心根。

 アラニスは翡翠をまっすぐに向けて、さらに言葉を次ぐ。

「本当に、人を――王宮の人たちを殺したんですか?あのラウロス傭兵団と呼ばれる傭兵の方々は本当に、あなたと共謀して、国を裏切ったのですか?」


 ケルバンの黄金がわずかに鈍く光った。


「――だとしたら、どうする?」

 その奥に隠されているそれはまるで、怒りだ。激しく燃え盛る憤怒。その爛々と輝く黄金の瞳には、荒れ狂う感情が潜み、留められている。――まるで自分たちと同じ、「人間」だ。否。獣だ。飢えた猛獣の目だ。

 ぞくり、とした。

 彼はいつも、こんなにも感情を押し殺していたのか。アラニスは我知らず、寝台の上で後ずさる。小さな寝台だ。無論、すぐに壁に当たって止まる。

 そんなアラニスを追い詰めるように、ケルバンは寝台の上へ上がり、逃げ場を塞ぐようにアラニスのすぐ横の壁へ手を付く。 


「裏切り者の俺を、国へ突き出す?それはできないよな。家出しているんだから。なら、逃げるか?」


「そんなこと……」

 アラニスは言い淀む。

「冤罪、なんですよね。それとも何か、事情があるのか――そうですよね?」

「それを聞いて、何になる?」

 何にもならない。冤罪であろうと、なかろうと、きっとこの国は彼を救いはしない。噂が本当ならば、彼は元傭兵。つまりは、平民だ。貴族社会のこの国にとって、平民ひとりの命を摘むなど、容易いことだ。


 けれども。


「あなたは、生きているんです。それなら、本当のことを知っている理解者は――欲しいじゃないですか。ひとりでも多く、味方がいるほうが、心強いじゃないですか」

「それにあんたがなれると?異国人の、しかも属国の民のあんたが?自分の身すら守れないあんたが?」

 アラニスは翡翠を大きく揺らした。

 確かに、立場の弱い異国の人間に味方されても、何も嬉しいことはない。ことにアラニスのような、何の取り柄のない者ならばなおのこと。何かあった時に庇えるだけの発言力もないし、身を呈して守るだけの戦闘力があるわけでもない。

「確かにあんまり、支えにはなれません。けれど……わたしは、そばにいてくれる人がいると安心します。この知らない人ばかりの土地で、あなたのように話せるようになった人がいてくれると、ほっとします」

「お花畑がすぎる。少し一緒にいたからって、気を許すな」

 息がかかるほどに近くある、その爛々と底光りする黄金が歪められる。

「またそうやって、冷たくしているようで忠告してくださる。あなたは優しい人。だから、安心できるんです」

 アラニスは叫ぶように、声を鳴らした。それは心からの言葉だ。だが、ケルバンはそれを「はっ」と鼻で嗤って、否定した。


「馬鹿馬鹿しい。優しい?俺が?あんた、なんで俺が今こうして生きているか、知ってるか?他の奴らが皆死んだのに、こんなにのうのうと」


 まるで、自責だ。生き残ってしまったことへの深い後悔。ケルバンの声は、だんだんに普通の青年のそれになっていた。哀しみを、憎しみを露わにする普通の、男の人。

 ケルバンは自分に言い聞かせるように、言葉を続ける。

 

「殺してやる。すべてを奪った奴を。嬲り殺してやる――そのためだったら、なんだってしてやる」

 

 アラニスは茫然と、眼前の青年を見上げた。ケルバンの黄金はもはやアラニスを見ていない。ここにいない誰かに向けて、

 ケルバン、と声をかけようとしたその矢先、突然にふつり、と糸が切れたように、ケルバンは項垂れた。アラニスの逃げ場を塞いでいた手も下ろされて、彼は自分の頭を押さえている。

「喋りすぎた。もう寝ろ――俺も、休む」

 ケルバンが寝台から降りる。彼は床で眠るつもりらしい。ふらふらと寝台から離れた壁の方へ向かい、座り込む。

 アラニスはそんな彼を見守っていた。ケルバンはもう、何も言わない。引き篭もるようにダークグレイの外套マントを頭から被ってそのまま膝を抱えてうずくまった。

 

(姉さん)

 

 アラニスはここにはいない姉へ呼びかけた。無論、その声は届かれない。

 

(姉さん。この人は――わたしが思っている以上に複雑な事情があるみたい。なのに、それを押し隠している。まるで、、抱え込んで)

 

 ふと、アラニスは部屋の小窓を見た。小さな、穴をくり抜いただけの窓。その外では、真っ黒に塗り込められた空の下、しんしんと雪が降っている。すべてをその白さで覆い隠すように、雪が降り積もって行く。

 

(姉さん。わたしは、この人も助けてあげたい。それは傲慢なことかもしれないけれど、それでも)

 

 あなたに似て、強くて弱い。そんな彼を救ってあげたい――アラニスはそっと目蓋を閉じて、眠りについた。

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