012譚 神々へ呼び掛ける者(上)


 小さな宿屋へ辿り着くと、ケルバンは銅貨を数枚置いて、一室を借りた。こじんまりとした部屋で、相部屋だ。寝台はひとつしかない。その寝台の上にアラニスを下ろすと、ケルバンは背に携えた荷物も下ろす。外套マントも脱いで床へ放るとひと言。

 

「脱げ」

 

 アラニスは思考停止させた。

 脱げ……?

「へ!?な、何を!?」

 自分の体を庇うように、両腕で上半身を覆いながら、アラニスは寝台の上で後ずさる。だがすぐに壁に打つかり、慌てる。さらにはその衝撃で挫いた足がズキリと痛み、思わず声を上げる。

「痛ったあ!」

 痛みで涙目になりながら、アラニスはその足を抱えた。ズキズキする。かなり激しく痛めたらしい。もしかすれば骨を折っているかもしれない――足首をさすりながら、はっと我に返り、おそるおそるケルバンを見る。ケルバンはその包帯の隙間からすんと、冷ややかな目を見せていた。


「……お前、何馬鹿なこと言ってるんだ?」


 気まずい沈黙。へ?などと声も上げられない。ケルバンは深々と嘆息すると言葉を加える。

「靴下脱げって言ってんだよ」

 ああ、そういうこと。心臓に悪い。そうならそうとはっきり言え――等と言えるはずもなく、恥ずかしさでアラニスは口をもごもごさせた。

「まぎわらしいです……」

「勝手に早とちりしたの、あんただろ。ほら、さっさとしろ」

 アラニスはすごすごと靴を脱ぎ、靴下を縛る紐を外して靴下を下ろす(ゴムのようなものはないので、紐で縛っている)。すると、そこには赤く腫れた足首が露わにさらた。想像以上に大きく膨れ上がって、熱を帯びている。

 ケルバンはその傷を一瞥すると、顔の包帯を解き、手袋も外した。


(あれ、そう言えば。顔、元に戻ってる)


 今さらに、彼の顔にあの赤黒いケロイドが無くなっていることに心付く。あれは見間違えだったのではないかと思われるほどに、白く滑らかだ。それに対して、露わになった手は傷だらけ。痣のような跡もあって痛々しい。

「じっとしてろよ」

 ケルバンは冷たく言い放った声に、アラニスははっとした。彼はおもむろにアラニスの前へ片膝を立て、まるで跪くように座った。

(え?なに?)

 自分の足元にあるケルバンの姿に、アラニスはドキリとする。いったい何をしようとしているのか――アラニスはごくり、と固唾を呑み、彼を見守った。

 すると張り詰めた空気の中、アラニスの足元で片膝を立てるケルバンが矢庭に己の手に噛み千切った。

「え!?ケルバン?血!血!」

 唐突な自傷行為に、アラニスは思わず頓狂な声を上げる。ケルバンの傷だらけの手に新たな噛み傷が刻まれ、そこからドクドクと赤い血が溢れ出す。

 ケルバンは黙したまま、その血のついた手でぐいとアラニスの足首を掴む。アラニスは驚いてびくりと体を震わせるが、ケルバンはその足を離さない。

 すうっと小さく息を吸うと、ケルバンは静かに声を鳴らした。

 

「〈幾千幾万の神々よ、我に力を。汚れを払い落とす清らかな水と、燃え盛る熱を鎮める冷気をこの手に。血肉を成す支えをその中に〉」

 

 アラニスはぽかんとした。アラニスはその言葉を知っていた。神詞かむことばだ。

に……?しかも……)

 彼の紡ぐそれには独特の抑揚があるが、その意味を聞き取ることはできた。それはこの大地の処々しょしょに在る神々へ呼び掛け、力を借りるための言霊。

 ケルバンはその呪文を淀みなく、そして歌うように詠唱をしている。その声は、これまで聞いてきた彼の声の中で一番、澄み切っているように感じられる。


 すると、足首がひやり、とした。


 血の滲むケルバンの手から、濁りひとつない水が溢れ出しているのだ。そばには水瓶も、水を貯める革袋もないというのに。その水はアラニスの足首を覆い、傷口に入った石粒や泥汚れを洗い流しては消えていく。何とも不思議な光景だ。

 そして――ふつり、とズキズキとした痛みと熱が無くなった。

「……へ?」

 おのれの身に起きたことに驚き、アラニスはまた頓狂な声を上げる。足首を見れば、赤く大きく腫れていた箇所が、少し赤く腫れている程度に収まっている。

(すごい……)

 アラニスは素直に感心した。彼はニ種類以上の神々への呼びかけているのには、その言葉から知っていた。

 呼びかけたのはすべて、低位の神々。低位の神々は大きく分けて「物質系」の神と「運動系」の神に分かれる。(高位であれば、両方または複数の性質を併せ持つ)

 彼は傷口の汚れを洗い流すために「物質(水)」を司る神々に呼びかけ、炎症を抑えるために「運動(熱/下降)」を司る神々に呼びかけていた。さらに、鉄や脂、塩など複数の物質を司る神々の力を使って組み合わせ、負傷した骨や肉を支えたのだ。さすがに完治させるほどの物質を借りられなかったようだが、それでも驚くべき応用方法だ。

 

「すごいんですね……」

 

 改めて感動したアラニスは、ついその気持ちを声に出していた。

「は?」

 アラニスの足元で、ケルバンが顔を顰める。脈絡もなく称賛したので、不審に思ったのだろう。だがアラニスは説明することもなく食い気味に、

 

「今の、『精霊術』ですよね!」

 

 興奮しすぎて、アラニスは一部だけ自国の言葉になってしまう。ケルバンはその言葉の意味が解せず、眉間の皺をいっそう増やす。アラニスは自分で気付いたらしく、はっと我に返り、しゅんとする。

「あ、ええと……今の水とかを出すやつのことです」

 

「――「神々への呼び掛け」のことか?」

 

 神々への「呼び掛け」。または「交渉」。アラニスはきょときょとして、その言葉を反芻する。

「こっちだと……そう言うんですね」

「そっちの国にもあるんだな」

「はい。わたしも少しだけ、使えます」

「そうなのか?」

 ケルバンが目を見開き、何度か瞬かせている。よほど驚くべきことだったらしい。

「はい。わたしの国では、たいていの人は少しくらい使えます。『精霊様』がとにかく多いので、混血の人も多いんです」

 また異国語である。

「……何が多いって?」

「あ、えと……こっちだと何と言うんでしょう。火や水なんかをお借りする時に呼ぶ方々のことなんですけれど……」

 

「神々……神と呼ばれる類のことか」

 

「カミ……カミサマって言うんですね。発音難しい」

 それは本当のことらしい。アラニスの「神」の発音は妙に訛っていて奇妙だ。

「とにかくわたしの国はカミサマの人口比率?が多いので、自然と血が混じってる人がたくさんいるんです」

「それでなんで、この国に負けたんだ」

 今度は呆れの嘆息。アラニスはその言葉に驚き、目を点にする。

「わたしがどこの国の出身か、わかってたんですね」

「あんたのところは特徴的な見た目してるからな」

 それもそうである。光の王国の人間は、白い肌に茶に近しい髪色をしている。目は青っぽい。対してアラニスは黒髪で、赤銅の肌に翡翠色の瞳。顔も独特に骨張っている。気付かない方がおかしい。

 アラニスは苦笑すると、おのれの黒髪に触れながら、語りかけるように言葉を落とした。

「――わたしの国は、小さな部族の集まる国で、組織立っていませんから。仲間割れも多くありますし。そうこうしているうちに……」

「属国化ね」

 そして、アラニスが王都を目指す理由もそこにある――だが、アラニスはそのことを告げず、すっとケルバンへまっすぐな翡翠を向けた。

 

「わたしの国ではあなたのような人を『精霊師』と言うんですが――この国では、「聖騎士」や「神官」と言うんですよね?」

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