011譚 裏切りの聖騎士(下)
「裏切り者……その聖騎士や傭兵団は何をしたのですか?」
アラニスは翡翠の瞳をマカヴォンへ向けた。ケルバンは何も言わない。杯を持つ手を止め、ただただ沈黙している。
マカヴォンは熊のように太い腕を組み、熊のように野太い声を鳴らして答える。
「とある聖騎士サマが何を思ったのか、国家転覆を図ったのさ」
「国家転覆?」
「ようは下剋上だな。次期国王の王子を暗殺し、数十という貴族や兵士を殺して回った。そりゃあ、何人も殺されて、王宮が血で染め上げられたって話さ。で、その手伝いを、その傭兵団はしたって話さ」
「なぜ?」
「その聖騎士サマは元傭兵。その古巣が、ラウロス傭兵団だったのさ。奴らは王国一の傭兵団。奴らの手にかかりゃあ、そこら辺の兵士はあっという間さ。ほとんど一方的な虐殺と言っていいだろうな」
「そんな……」
アラニスは震える手で口元を覆った。まさか、そんな恐ろしいことをして「裏切り者」になったとは思いもよらなかった。
「だが他の聖騎士が束になってかかりゃあ、普通の兵士は敵わねえ。それがラウロスだろうと。あえなく奴らは捕まり、首チョンパ。例の聖騎士が一番手こずったらしいが、それでも夜の塔へ連行された。不相応な願いを持っちゃいけねえってことさ」
「夜の塔?」
「最大級の犯罪者が幽閉される場所だ。なんでもすんげえ極寒の場所で、周囲に逃げ場がないらしい」
夜の塔。それは光の王国の最北端。氷の海に囲われた断崖絶壁の岬にある、高い、高い塔。そこに囚えられた者は刑が執行されるその日まで飢えと寒さと孤独を耐え続けなければならない。いつ訪れるかも分からない死という恐怖にさらされながら。
傭兵の数人が、ゲラゲラと嗤い、次々と言葉を鳴らす。
「それでも、その裏切り者の聖騎士サマは逃げ出したんだってえんだから、すげえよな」
「だからすんげえ金が掛けられてるよな。その首」
「捕まえりゃあ、一生遊んで暮らせるってえやつだ」
ふと酒場の壁を見れば、あの農村で見た手配書が貼り付けられていた。女の子のような少年の顔が描かれている、人相書きの羊皮紙。その下には金額が記されている。識字のできるものならば、その金額の多さに目を剥くことだろう。
アラニスはまた、ケルバンへ視線を戻した。彼はダークグレイの
「だがしかし、もったいないことするよな」
傭兵のひとりが大声を上げた。アラニスが驚いて声のした方向を見れば、少し離れた席に座っていたマカヴォン傭兵団の一因だ。
「黙って国王さんたちに従ってりゃ、お貴族さんの仲間入りしてたのによ」
「しかも美形。人生ウハウハじゃねえか」
「それに、歴代の聖騎士の中でもトビキリの美人だったんだろう」
「俺、見たことあるぜ」
その言葉に、何人かのメンバーが立ち上がる。
「マジ!?」
「就任式のとき、王都に行っていてよ」
「そこらの美女でも敵わねえよ。まるで神サマが
「最年少だっけ?」
また少し離れた席にいる男。「そうそう」と返し、実物を見たという傭兵が答える。
「当時十四とか十五とか。他のが早くて三十代なのによ」
「しかも確か、前代の聖騎士に弟子入りして一年そこそこだろ?」
とまた別の男。その言葉に、アラニスは小首を傾げる。
「弟子入り?」
「聖騎士は、弟子を何人か取って、引退する時に一番気に入った弟子を後継者にするんだ」
その返答にアラニスはきょとんとして、
「息子さんとかじゃないんですね」
「たいていは息子だって言うぜ」
何とも複雑だ。ならなぜ弟子を取るのかとアラニスは訝るが、その答えは傭兵たちも知らない。すると、別の男が声を上げた。
「ということは、「準聖騎士」の時期もねえんじゃあ」
「らしーぜ。弟子入りして、見習いからぽーんと飛び級して聖騎士」
聖騎士の弟子は「見習い」として弟子入りし、後継者に選ばれるのを待つ「準聖騎士」となる。多くの弟子は「準聖騎士」でその人生を終える。憐れだ。そのことは一般市民でも知っており、なおのこと
「うひょー。ほんと、人生棒に振ったなあ」
と思うのだ。
「――もういいか?」
突然に、ケルバンが立ち上がった。ダークグレイの
「飯代も渡したし、もう
マカヴォン傭兵団の男たちは驚いてケルバンに注目する。ケルバンは数枚の銅貨を座席に置くと、くるりと背を向ける。マカヴォンは我に返ったのか、大きな声でケルバンを呼び止めた。
「おおい、どうせなら付き合えよ」
「断る。こっちは疲れてんだ。先に失礼する」
相変わらずきっぱりと物を言う。マカヴォンはつまらなさそうに唇を尖らすと、さらに言葉を次ぐ。
「俺らんところに加わること、考えておいてくれよ!」
よほど気に入られたらしい。だがケルバンは返事をすることなく、すたすたと酒場を出る。アラニスも慌てて彼を追った。
「ま、待ってください。ケルバン!」
必死にアラニスは走って、前を大股で歩くケルバンを追った。あの長い足で速歩きをされたら、なかなかに追いつけない。
「きゃあ!」
アラニスの叫び声で、ようやくケルバンは足を止めた。路を埋める煉瓦の裂け目に、アラニスは足を引っ掛けたのだ。無様に蹴躓いたアラニスは地面にスライディングするように倒れ込んでいた。
「……おい」
歩いてそばへ寄ったケルバンが手を差し出した。そこは紳士を見せてくれるらしく、掴まれ、と言っているのだろう。アラニスは擦り剝いた鼻先を押さえながら、その手を取る。
「うう……ありがとうございます……」
だが立とうとしたその瞬間、アラニスは足首に走った鈍い痛みで声を上げる。
「痛っ」
靴下で隠れていて判らないが、足首がひどく腫れているように思われる。今ので足を捻ったのかもしれない。
ケルバンは小さく舌打ちすると、「仕方ねえな」と短く呟いた。
「ふえ?」
気が付けば、アラニスは抱き抱えられていた。しかもイケメンなことに、お姫さま抱っこ。おそらく、足首に負担を掛けまいとこの抱え方になったのだろうが、突然の親切に驚いて、アラニスは翡翠をパチクリさせる。
ケルバンはアラニスを抱えたまま歩き始める。今度はゆっくりな速度だ。
「宿までこれで我慢しろ」
「あ、ありがとうございます……」
アラニスは恥ずかしさで俯き、大人しくお姫様抱っこのまま運ばれた。
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