010譚 裏切りの聖騎士(上)


 騒々しい商人の街で、幾人かの通行人たちは「なんだなんだ」と足を止める。

 そこには数十といるマカヴォン傭兵団の一行と、異国人の若い娘。それからすらりと上背のある旅人。旅人はダークグレイの外套マントで姿を隠していて、年齢も職業も判からない。だが、その低く鳴らされた声からして男であろうことだけは伝わった。

 ケルバンはマカヴォンとアラニスを見比べた。街に入ってすぐに彼らがいたので声をかけたが、何がどうなって彼らが共にいるのかは判らない。だが、何となく察しはつく。どうせ身体目的に近寄った男たちに絡まれているのだろう。この女、肉付きだけはいいから。

 

「おいてめえ、何だ急に割り込んで来やがって」

 

 マカヴォンが熊のように大きな体で威嚇する。上背のあるケルバンよりも長身な男だ、ケルバンは動じることなく彼を見上げ、淡々と答える。

 

「お楽しみ中悪かったな。こいつ、俺の雇い主なんだ」

 

「はあ?」

「え?」

 傭兵団一同だけでなく、アラニスまでも声を上げる。確かに、あの村までの間は護衛を任されてくれていたが。ケルバンはぐいとアラニスを抱き寄せて、

「踏み倒されたから、取り立てに来たんだよ」

「あ……お給金……」

 アラニスはようやく心付いた。こっそり村を出るさいに、約束の銅貨を置いて来るのを忘れた。

「おいおい。よくわからんが、それならその後は自由にして良いってことだよな?」

 傭兵のひとりが返す。アラニスはさあっと青ざめる。それもそうだ。

「まあ、そうだな」

 ケルバンはあっさりと答えた。アラニスはいっそう蒼白になる。アラニスはマカヴォンたちには聞こえぬよう、ヒソヒソ声でケルバンへ声を掛ける。

「あ、あの」

「何?帰る気にでもなった?」

 ダークグレイの外套マントの下で、黄金の瞳が冷たく煌めいた。わずかに包帯を緩めており、その隙間からまなこが覗いているのだ。

 その冷ややかな視線に、アラニスは翡翠を揺らがした。強く唇を噛みしめると、アラニスはついと視線を逸らし、懐から銅貨三枚を取り出す。

 

「……いえ。助けていただいて、ありがとうございました」

 

 おのれが招いた事態。恐ろしいけれど、自力で何とかしなければ。アラニスは恐怖で手が震えるのを必死に堪えた。その様子を見下ろしていたケルバンは、突然にアラニスの腕を引いて背後へ下がらせた。


「ヒュウッ。あんちゃん。これを避けるたあ良い反応じゃねえか」


 嗤ったのはあの熊のような傭兵だ。彼の丸田のように太い腕が振るわれ、その拳をケルバンが受け止めていた。アラニスの後方で、この大男が闘志を燃やしていたのをケルバンは捉えていたのだ。そして予想通り、拳で襲い掛かって来た。

 ケルバンは黙してじっとその受け止めた拳を見つめた。大きく、重たい拳だ。その手から腕へ走る筋肉も太く、よく鍛え上げられている。おそらくこの男がこの傭兵たちの親玉で、一番強いのだろう。

 だが。


(この程度か)


 弱すぎる。はっきり言って、やろうと思えば片手で伸せる。だが、そうすれば彼らのメンツは総潰れ。逆恨みされても困る。

 ケルバンは拳を掴んだまま、マカヴォンだけに聞こえる声で言い放つ。

「あんたと殺り合うつもりはない」

 だがマカヴォンは引き下がらない。じりじりと力をさらに籠めて、ケルバンへ詰め寄ろうとする。

「おめえ、戦士だな」

「だから何だ」

「しかも強い。戦士たるもの、その女を掛けて拳で語り合おうや」

「断る」

 きっぱりと言い切るケルバン。少し現実を見せてやろうと、こちらも僅かに力を籠める。

退け」

「そんな女々しいことできるかい。戦士の男なら死んでも戦うぜ」

 なんて面倒で厄介な「戦士」頭である。ケルバンは思案した。向こうはさらさら退く気がないらしい。いっそ軽く一発殴られておくか。そうすれば飽きてさっさと去ってくれるだろう。そんなことが頭に過切る。だがふと、視界の端で涙目をしてこちらを見る黒い髪の異国娘がちらりと映る。


「……」


 ケルバンはだしぬけに、受け止める力を緩めた。そこことに感付いたのか、マカヴォンが眼尻を吊り上げ、

「おいてめ……!」

 続けようとした言葉は、「舐めるな」だろうか。だが、その言葉は続けられない。力を緩めた衝撃でやや前傾した男の服の裾を掴んでさらに前のめらせ、その勢いのまま、膝蹴りを見舞った。

「ぐえ!」

 マカヴォンが呻く。ケルバンの膝は熊男の腹へ深くめり込んでいた。マカヴォンはあえなく膝を付き、蹲った。

 傭兵団の面々も、アラニスも、そして周囲にいた街人たちもぽかんとしている。まさか、あの筋肉ダルマのマカヴォンに、細身のケルバンが勝つとは想像していなかったのだろう。


「おい」


 感情を感じさせないケルバンの声に、マカヴォンは顔を上げた。ケルバンはマカヴォンの前に膝をついて屈み、ダークグレイの外套マントの奥で包帯で隠した顔を覗かせている。その顔のない戦士は一枚の銀貨を弾いて見せると、低く言葉を鳴らした。

「今夜の飯代を持つから、逆恨みの類はなしだ――いいな?」

 マカヴォンはズキズキと痛む腹を抑えながら、イエスとしか答えられなかった。


  

「しっかし。強ええなあ、あんちゃん」

 

 移動先の酒場で、マカヴォンが声を上げる。腹の痛みもすっかり消え、気がつけばほろ酔い気分でご機嫌である。麦酒の注がれた杯をあおいでいたケルバンは、その杯をテーブルに置き、短く返す。 

「普通だろ」 

「おいおい、それだと俺が普通以下になるだろうが。くそ、次は負けねえぜ。リベンジしてやる」

「ひとりでやれ」

 ぴしゃりと言い放つ。

 マカヴォンはそのどこまでも淡白なケルバンに興味を抱いた。彼は仕事で数多くの戦士たちに出会ってきた。そして怒りに任せて隙を見せ、殺されて行った者を何人も見てきた。

 冷静な奴は強い。加えて、この男は実際に強い。マカヴォンはそこらの戦士には負けないだけの自負と実力があった。それを一発で仕留める。

 マカヴォンは「ガハハ」と笑い、ケルバンの肩を強くバシバシと叩く。

「その肝の座り方。気に入ったぞ!」

「そうかい」

 またしてもあっさりと返す。ますます気に入った。

「おめえさん、いっそ俺たちの所へ来い。俺たちはこの辺りじゃあ、一番儲けてる傭兵団だ。いい思いができるぞ」

「やなこった」

 ケルバンはぴしゃり、と言い放ってまた、麦酒を口に含む。酒に酔った素振りもない。マカヴォンはケルバンの肩を抱いて絡み、続ける。

「そう邪険にすんなって。かつてのラウロス傭兵団くらいの勢力だぞ」

 

「ラウロス傭兵団ってなんですか?」

 

 それまで見守っていたアラニスが尋ねた。荒くれ者ばかりの酒場で気まずく、ケルバンの横で縮こまっていたのだ。

 アラニスの問いに対して答えたのは、傭兵団の男のひとりだ。

 

「異国の奴は知らねえのか。数年前までこの王国一番だった傭兵団だぜ」

 

「今は違うんですか?」

「あいつらは間抜けにも、裏切り者と手を組んじまったからな。みーんな、打首だ。馬鹿だよなあ」

「裏切り者……?」

 翡翠の瞳を瞬かせ、アラニスはきょとんとする。裏切り者。それはどこかで聞いたような気がするワード。傭兵はゲラゲラと嗤って、言い放つ。

 

「黄金の聖騎士だよ」

 

 アラニスは密かに、息を呑み――傍らのケルバンへ視線を向けた。

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