006譚 顔を隠した同行者(上)
ケルバンとアラニスは、山道を途中で下りた先にある小さな村を訪れた。
貧しく、寂しい村だ。土色の畑の間に転々と小さな茅葺き屋根の平屋が立っている。その畑にはまだ何も生やされていない。種蒔きの終えた麦畑はひっそりと冬越えを待っているのだ。あれらは暖かくなるとようやく芽吹いて、暑くなったころにその穂を刈り取られるのだ。
「おや、今日はお客が多いねえ」
出迎えた初老の男がそう言った。このあたりの畑一帯の切り盛りを任されている者だ。つまりは村長。その村長はぼうぼうの白髪混じりの髭を手で撫でつけて、
「すでに、兵士の方々がいらしていてねえ」
と続ける。
こんな辺鄙な村に兵士の集団。近くで戦争があったわけでもないのに。その返答に、黒髪に赤銅の肌をした娘は翡翠を瞬かせる。
「兵士?傭兵団か何かですか?」
「いいえ。正規兵の方々です。何でも極悪人の目撃情報があったとかで。このあたりの村々を回っているようで」
「へえ……極悪人、ですか」
アラニスはきょとんとする。それに対し、さしずめ、盗賊か何かですよ、と村長は答えた。それなら先程谷底へ落ちていったが――とアラニスが返そうとするとそれまで黙していたケルバンが一歩前へ出た。
「とにかく、宿は借りられるか?雨風を凌げれば、馬小屋でもいい」
この村へ辿り着く前。山道の途中で彼はまたダークグレイの
アラニスは不思議にも思い尋ねてみたくもあったが、あえてなにも口にしなかった。また銀貨を巻き上げられでもしたら面倒だというのもあるが、いちいち服装に口出しするのは気が引けるからだ。根掘り葉掘り、人のあれこれを問いただすのはよくない。人にはそれぞれ、事情がある。
ううむ、と考え込むアラニスの横で、ケルバンが懐から数枚の銅貨を差し出して見せた。ざっと十枚はある。それを見て、村長は目の色を変えた。
「私の息子の家の物置小屋で良ければ、お貸ししますよ。女性の方がいるのに、馬小屋はいけません」
にこにことそのどうかを受け取っている。ようは金に目が眩んだのだ。アラニスはその額の高さをまったく理解していないようだが、銅貨を通常より多く提示したのだ。
ケルバンはそんな村長に対してとくに何も言わず、淡々として「それは助かる」と返した。
村長は村の少し小高い丘の上にある数軒の茅葺き屋根の家屋のうちの一軒へケルバンたちを
案内された家から夫婦の男女が現れて、ケルバンたちを迎えた。村長そっくりな髭男と、恰幅のいいそばかす顔の女だ。このふたりの子どもは
「この物置小屋を使ってくだせえ」
村長の息子が、家屋の隣にある小さなほったて小屋の扉を開けた。
ケルバンがふたりぶんの荷物を下ろすと、その後方で、にこにこと村人の息子が言葉を続ける。
「ようこそ、旅のお方たち。細やかながら、食事も用意しやすよ」
にこにことした表情まで父親そっくりな男だ。
すると今度は、その横に控えていた息子の妻が訝った目を向ける。
「あんたら、どんな関係だい?」
不審がるのも仕方がない。
「雇用関係」
と返した。そうは見えないが、事実だ。そして、この言い方では、どちらが雇用主なのかははっきりしていない。そしてこのそばかす顔の奥方はケルバンを雇い主と勘違いしたらしい。
「おやまあ。とんだ失礼を。ホホホ。そういやあんた、ずっと顔を隠しているけど、どうしたんだい」
その指摘に、アラニスはなぜかドキリとした。確かに、ずっとフードを被っていては不審極まりない。だがわざわざ顔を隠しているのに、外していあのか。だがその緊張をよそに、ケルバンはやおらフードを下ろす。
(顔に包帯?)
アラニスは驚きで目が点になった。ケルバンはいつの間にか、目元から額にかけて包帯をぐるぐると巻いて顔を隠していたのだ。
妻の女も吃驚したようにケルバンを見て、頓狂な声を上げる。
「まあまあ、怪我したのかい?」
「そんなところだ」
さらりと虚言を吐くケルバン。そんなはずはない。つい先程まで、アラニスへしっかりと琥珀を向けていたのだから。アラニスは呆気に取られてツッコミを入れそうになったが、ケルバンにさり気なく足を踏まれ、押し黙る。ようは黙っていろ、ということだ。
呆気にとられながらも夫人はさらに言葉を継ぐ。
「あれまあ。それじゃあ、前が見えないんじゃないかい」
それもそうである。あの包帯はその奥にある瞳をまったく垣間見せないほどに分厚い。とても向こうが透けて見えていそうにはない。
(え、じゃあ……)
アラニスははっとした。ケルバンは山道の途中からずっと
「耳だけで何とかなるものだ」
なるのか。果たしてなるのか?アラニスは目を剥くが、なおもケルバンが足を踏んで黙らせる。さらには、夫婦に見えな角度でアラニスの
「ぐえっ」
突然に呻き声を上げたアラニスに、夫人は驚いて声を上げる。
「おや、お嬢さん。どうしたんだい?」
「気分が悪いらしい。外の空気を吸わせてもいいか?」
ぺらぺらとよくもまあ、嘘がここまで出てくるものだ。ケルバンは相変わらずの真顔で、アラニスの体を支える振りをして、口を塞いでいる。
「気分が悪い?それは大変だ。何かいるかい?」
「大丈夫。慣れないことで目が回ったんだろう」
「そうかい?」
女が心配そうにアラニスを見守る中、ケルバンは有無を言わずアラニスを家の外へ連れ出した。周囲に人の目と耳がないことを認めると、ケルバンはようやくアラニスの口から手を離した。
「ぶは!突然殴らないで下さいよ!……というか……あの、どういうことなんですか?」
アラニスはゲホゲホと咳き込みながら、困惑顔をしてケルバンを見る。そんな疑問だらけの彼女に対し、包帯で顔を隠したまま、ケルバンはけろりと答える。
「見ての通りだ。妙なこと、話すなよ」
「何で顔を隠すんですか?」
「目立ちたくないからだ」
きっぱりと答えるケルバン。アラニスはいっそう当惑した。彼は美形だ。それもうっとりとするような。確かにあの顔をさらして歩けば、周囲の目は釘付けにされることだろう。だが、それは名誉ある注目だ。わざわざ隠して歩く必要があるのだろうか。
アラニスはその疑問を直接、ケルバンへ尋ねることにした。
「綺麗な顔だと思うのに。なぜ、隠すんですか」
「だから、厭なんだ。じろじろと見られるのは好きじゃない。ハズカシイんだよ」
「え――……」
そんな注目されて緊張するようなシャイ・ボーイには見えないのだが。されど、それ以上の言及をケルバンは許さない。そしてその断固として言葉を受け付けないという態度をアラニスが振り切ることも叶わない。
ぐっと強くアラニスの肩を掴んで、ケルバンは低く言い放つ。
「解かったら黙ってろ。口止め料として、今晩の宿賃は俺が持つ」
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