005譚 異国娘との出会い(下)


 ようやくすべての盗賊の姿が崖の下へ消え、山道に静けさが戻ると、ケルバンは深々と息を落とした。そしてくるりと踵を返し、地面に放り出された外套マントや旅荷を拾い上げて土埃を手で払う。

 

「あ、あの!」

 

 声を鳴らしたのは、あの黒髪に赤銅の肌をした娘だ。そばへ駆け寄って、ケルバンを見上げている。よくよく見ると、小柄な少女だ。

 

「何?」

 

 突き放すように、ケルバンは冷たく言い放つ。否。彼はずっとこんな冷淡な声をしている。感情を感じさせない音を鳴らしている。

 だが当の娘は挫けない。胸の前で両手を組み、声を大きくして、

 

「た、助けてくれてありがとうございます」

 

 きっと、そこらへんの男だったらくらりと来ただろう。美形でなく凡庸な顔立ちだが、その大きくくりくりとした翡翠の瞳の愛らしく、惹きつけるものがある。

 だがそれはそこら辺の男の話だ。ケルバンはちっとも動じず、変わらず冷ややかな視線を向けている。

  

「いや、そういう形になっただけだから」

「でも、結果として助かりました」

 

 声も女独特の喧しさがなく、甘く柔らかい。こういうのを好ましい特徴と言うのだろう。ケルバンはそれでも「はいはい」と適当にあしらう。

 だが娘は諦めがおそろしく悪い性分らしい。ケルバンを通せんぼをして逃さず、ずずいと距離を詰める。

 

「わたし、アラニスと言います。あなたは?」 

「……ケルバン」

 

 ケルバンは顔を引き攣らせた。何と言うか、何とも強情な娘を助けてしまったものだ。アラニスはにっこりと微笑みかけて、なおも言葉を続ける。

 

「ケルバン。本当にありがとう。あなたは傭兵さん?」

 

 盗賊ですら気が付かなかったというのに、彼女は気が付いていたらしい。

 アラニスの大きな翡翠は、ケルバンの腰元にある数本の革鞘シースにある。そこには小振りな短剣が収められている。体をすっぽりと覆い隠す外套マントを着ていて見えなかったのもあるだろが、そもそもこんなちっぽけな武器では護身用くらいにしか思われない。ゆえに、あの男たちはケルバンを傭兵と初めに断定出来なかったのだろう。

 ケルバンはわずかに眉根を寄せると、短く答える。 

「そうだけど」

「とっても腕が立つんですね」

「あんたは無謀で勇敢だな」 

 淡々としているのに、皮肉を籠めた返しだ。そんなことはしていないけれど、「はっ」と嘲笑するように鼻で嗤いそうな。そんなこと、してないけど。

 つまりは武器もそれを扱えるだけの技術もないくせに、こんな治安の悪いところをひとりほっつき歩くなど蛮行もいいところだと暗に言っているのだ。ひと言と言えば、「あんた馬鹿」。

 するとアラニスは顔を真っ赤にして言葉を返す。

 

「つ、連れはいたんです。でも、盗賊を前に逃げてしまって……」

 

 つまりは、外れクジを引いたのである。どうせ護衛の知り合いもその伝手つてもなくて、適当にそれらしいのを雇ったのだろう。それがあの程度のゴロつきを前に尻尾を巻いて逃げ出すポンコツだった、ということだ。

 

「とんだ護衛を雇ったんだな、あんた」

 

 またしても無感情な声で皮肉を吐く。「見る目なさすぎ」。この言葉に尽きるが、あえて言っていない。ケルバンの言葉の裏をさとってか、アラニスは頬をぷうっと膨らませた。ケルバンはそんな彼女から視線を逸らし、さっさとトンズラこくかとばかりに足を踏み出す。

 だが、アラニスがケルバンの袖を掴んで逃さない。再びその異国人の娘を見れば、しおらしく思い詰めた表情をしている。 

「本当にそうです……反省しています」 

 素直な娘だ。しゅんと肩を落としている。むしろ反応に困るというものだ。ケルバンは思わずたじろぎ、言葉を詰まらせる。

 

「で、でも!」

 

 アラニスは突然に大声を出す。

 ころころと表情のよく変わる娘だ。あのしおらしさがなくなり、今度は意志の固い、真っ直ぐな眼差しをケルバンへ向けている。そしてやっぱり、離してくれない。

 ケルバンが呆気に取られていると、彼女はまた、ずずいと距離を詰めて、捲し立てるように言葉を続ける。

 

「わたし、王都へ行かなくちゃいけないんです。どうしても。よろしければ、わたしの護衛をしてくださいませんか?賃金は払います。前払いです」

 

 いつの間にかその白い手には、硬貨が数枚握られている。銀貨だ。その金額に、ケルバンはぎょっとする。高すぎる。個人ソロの、しかも無名の傭兵を雇うのに銀貨だと。普通、銅貨だろう。そして、普通は後払いだ!


 ツッコまずにいられなかったケルバンは思わず、

「……あんた、逃げた傭兵にもその金額を前払いで出したのか」


 アラニスがきょとんとする。問われている意味が解せていないのだろう。愛らしく小首を傾げて、「そうだけど、どうしたの?」と返す。どうしたの、はこっちの台詞だお嬢さん。

 ケルバンは頭を抱えながら、呆れた風に言った。

「気をつけろよ。あんた、ネギ持ったカモだぜ」

 しかも高級なカモだ。あの盗賊たちも、この娘を奴隷として売り飛ばすより、きっと身代金を要求したほうが良かったのではなかろうか。

 まあ、全員もれなく崖の下で魂のない肉塊になっているだろうが。運が良ければ(そして打ち所がよければ)、下に流れる川に運ばれて、近くの村で救出されることだろう。もしくは木に引っ掛かって自力で脱出か。狼や熊がいないことを祈ろう。冬籠り前の奴らは凶暴だ。


 アラニスはようやく、ケルバンの意図を理解したのか、蒸気が出るのではと思われるほどに赤面した。

「いやだ、わたしったら」

 

「どこのお嬢さんなんだか。普通、銅貨三枚程度を後払いだ」

 

 ケルバンの指摘に、アラニスはいっそう顔を赤くする。もはや茹でダコだ。口をもごもごさせて、涙ぐんでいる。いい社会勉強になったな、お嬢さん。ケルバンは呆れたように肩を竦めて見せると、アラニスの手から銀貨を一枚だけ、取り上げる。

 

「とりあえず、近くの街までは送ってやる」

「あ、ありがとうございます……後払いで銅貨だったのでは?」

 

 ぽかんとして、アラニスはケルバンを見詰めている。ケルバンはその銀貨を懐にしまうと、けろりと 

「もちろん、それは後でもらう」

「え?」 

 アラニスが大きな声を上げる。ワケが解らない、と。ならばそのさり気なく受け取った銀貨は何だ。ケルバンは道端に転がっていた、おそらくアラニスの物であろう旅荷も拾い上げて担ぐと、まったく悪びれた様子もなく答えた。

 

「これは授業料」

 

 その返答に、アラニスは呆気に取られて唖然としている。ぽかーん、というのが音で鳴りそうだ。そしてようやくはっと我に返って、アラニスは声を張り上げた。

 

「詐欺師!泥棒!」

 

 だが残念。騙しもしてないし、無理やり聴かせてもいない。黙ってほいほい頷いているのが悪い。アラニスは泣く泣く、その銀貨を諦めた。今日は社会勉強のオンパレードだ。

 ビュウッと北西へ冷たく吹き付けてきた風が、アラニスの虚しさを掻き立てた。

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