004譚 異国娘との出会い(上)


 びゅうっと強く冷たい木枯らしがキオール山脈の中を吹き付けた。

 神々が大陸中を回って冬を知らせているのだ。知らせを受けて冬支度を始めた鳥獣たちは越冬の支度を始め、木々も冬の装いに変わるべくさわさわと音を立てて葉を落としている。

 

 その山脈の北西に走る山道の一角。海の国から王都サラスへ向かう「裏のルート」の道順の途中。ダークグレイの外套マントで顔を隠した旅人ケルバンは、ふと足を止めた。

 

 目の前には、わかりやすくもかどわかしをしようとしている荒くれ者の集団がいる。岩みたいに大きな連中だ。彼らはひとりの女を取り囲んで、切り立った絶壁側へ追い詰めている。

 それは、長い黒髪を結わえて後ろに下ろした、翡翠色の瞳の若い娘だ。

 赤銅色の肌に異様に骨張った骨格をしているからおそらく、異国人。年齢よわいは十代半ばくらい。決して醜女しこめではないが、美人でもない。ようは十人並みの顔作りなのだが、肌艶がいい。質素なチュニックのドレス越しに垣間見える靭やかな体つきといい、男たちの目を奪うには十分と言える。

 

 そもそもこんなにも薄暗く、人の目もない山道で若い娘が一人歩きをしている彼女も彼女だ。ある意味自業自得だ。

 

 この辺りは盗賊が出る。行商は必ず傭兵を雇ってこの道を通る。それでも小競り合いが起きて、あの絶壁から奈落の底へ突き落とされる傭兵は後を絶たない。

 だと言うのに護衛も付けず、身を守るすべも無さそうな小娘がひとり。よほどの世間知らずのお嬢サマなのか、能天気のお花畑なのか。

 どちらにせよ、放って置くわけにも行くまい。というより、そこを通過するためにはあの集団に退いてもらわねばならない。引き返してもいいが、それでは遠回りになってしまう。妙に時間と手間はかけたくない。

 

 ケルバンは深々と嘆息すると、おもむろに一歩前へ出る。

 

「おい」

 

 突然に鳴らされた第三者の声に、男たちは振り返る。

 

「ああん?何だ?」

 

 ぼうぼうに生やされた立派な髭、上半身を覆う外套マントに股下丈のチュニック、長ズボンとこの辺りではよく見かける部類のいで立ちだ。違うとすれば、物騒な剣を片手に眼をギロギロとさせて、どう見ても堅気かたぎには見えないことか。

 だがケルバンは臆さない。淡々と、

 

「そこ、退いてくれないか」

 

 感情というものを感じさせない、冷たい声だ。それでいて緊張感というものがない。まるで街の道端で近所の御婦人に話しかけているような。男たちは「あん?」とまた声を鳴らして眉をひそめる。

 

「そう言って退く奴がいるわけねえだろ」

 

 そうだそうだ、と他の者たちも続く。打ち合わせしてきたかのような、想像通りの反応。さらには、

 

「俺たちは盗賊だぞ?死にたくなかったら身ぐるみ全部置いていくんだな!」

 とお決まりの文句。

 

 まあ、そうなるだろう。ここで、「あ、はいどうぞ」と道を譲っては、盗賊の名がすたる。それにてい良くも、ケルバンの背には大きな旅荷がある。通すはずがない。じりじりとにじり寄る男たちに、ケルバンは小さく舌打ちをする。

 

「面倒だな……」

「おいおい、怖くなったか?」

 

 げらげらと男たちが嗤う。まったくそうではないのだが、彼らにはそう聞こえたらしい。きっと外套マントの奥でがたがたぶるぶる震えて蒼白顔をしているに違いない――なんて考えていそうだ。

 というかこの連中、ケルバンをなめている。目立つような長剣や槍は持っていないので仕方がないが、近寄り方が不用心だ。

 彼らはさらににじり寄って数人でケルバンを取り囲む。二、三はあの若い娘を取り押さえている。

 

あんちゃんもいっそ一緒に奴隷商に売り付けてやるよ。女よりは高く売れねえが、肉体労働くらいには使えるだろう」

 

 さらに別の男が言葉を添える。

「妙な親切心が仇になったな!」

 

 ああ、面倒だ。そしてひと言もそこの娘を助けにきたとは言っていないのだが。ケルバンはまた深く嘆息する。

 

「まったく、厭な時に遭遇した」

「何独り言言ってんだ!やっちまえ!」

 

 男の一人がびしりとケルバンを指差す。すると、一斉に男たちがケルバンへ襲い掛かった。近寄るといっそう岩のように大きな筋肉ダルマたちだ。そして髭がうじゃうじゃとむさ苦しい。ただでさえこの道は片側を切り立った壁が切り立っているというのに、さらにもう一枚壁聳え立っているような気分になる。まあ、ケルバンも背が高いので、さほど高さに違いはないのだけれど。

 ケルバンは軽いステップでひとりを躱し、往なすと容赦なく突き飛ばす。

 

「ぐあ!」

 つんのめった男が他の男を巻き込んで転倒する。まるでコントだ。

 

「こ、こいつ!」

 悔しそうにその男たちは声を鳴らす。


 そのかんもケルバンは他の男たちをのらりくらりと避けては蹴りで一撃をいれる。彼らもようやく、ケルバンがただの旅人でないことに心付いたらしい。だが非力。集団でかかれば何とかなる。と考えていることが警戒してはあるものの、未だに諦めていない様子から見て取れる。

 

「このクソ野郎!」

 

 ひとりが食らいついた。ケルバンの外套マントを掴んで、逃がすまいとする。

 だがケルバンは素早くマントの留め具を外し、外套マントごとその男を蹴り飛ばした。

 

「……それ、高いから後で返せよ」

 

 淡々と悪態づいたのち、ケルバンは小さく舌打ちをし――露わになったその顔を男たちへ向けた。

 

「……ヒュウッ」

 男のひとりが思わず口笛を吹く。

 

 美人だ。

 

 その言葉に尽きる。他の男たちも目を見開いて、目の前の傭兵に見惚れている。

 まるで神殿の彫像に息を吹き込まれたような色男だ。背は高いが、その顔には幾ばくかのあどけなさが残されている。年齢よわいは十代前半くらいか。

 すっと通った鼻筋に、猫の目のように切れ上がった黄金に光り輝き瞳。まだ髭を生やしていない、その白い肌はくすみひとつなく、まるで陶磁器のようにすべらか。

 衣服ではっきりとは判らないが、華奢で、すらりとして見える。ざんばらに短く整えられた赤茶の髪を伸ばしてドレスを纏えば、少し背の高い女人に見えるに違いない。

 前言撤回。肉体労働でなくても、愛玩用でも十分に値が付く。男たちは目の色を変え、声を上げた。

 

「捕まえろ!」

 

 顔をさらしたせいで、なぜか火が付いたらしい。ケルバンはいっそう後悔した。道を引き返して遠回りを選んでおけば良かった、と。

 だが悔やんでもどうしようもないので、ケルバンは旅荷を地面へ放ると、彼らの中へ飛び込み、迎え討つ。今度は手加減なく、思いっきり手刀や回し蹴りを打ち込み、容赦なく崖っぷちへ叩き落とす。

 

「この、クソ。こいつ、細いくせになんて力……!」

 男のひとりが唸る。

 

 腕が立つ、と言うレベルにしては素早く、そして力強い。軽く当てているように見える攻撃も、ひとたび食らえば卒倒させられる。そうこうしているうちに襟首を掴まれて断崖絶壁の底へ放り込まれる。先程までいかに手を抜いていたか、思い知らされる。

 

「おい、引いたほうがよくねえか?」

 やっと現実を受け取ったらしい。男のひとりが青ざめて声を鳴らす。

 

 だが、ケルバンは逃さない。彼らの背後に詰め寄って、 

「大人しく寝てろ」

 

 無慈悲にも頸に肘打ちを下ろされ、ノックダウン。漏れなく崖下へ放り出された。

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