第三章

1.不穏な貴族街

 魔法界の王都は、王宮に仕える高名な魔法使いや貴族が多く住まう貴族街と【無星】や一般の魔法使いの住まいがある平民街、飲食や服飾などの店が立ち並ぶ商業区、そして王城と魔法省がある区に分かれている。

 王城と魔法省は北に位置し、貴族街はその右隣である西にある。商業区は反対の東。そして平民街は反対の、王都と地方を行き来する駅がある南だ。


 土地を最大限に利用しているせいで建物が密集している商業区や平民街と違い、貴族街は広々とした噴水付きの庭を持っている豪邸が多いが、まるで汚くないものは見たくないと言わんばかりに石畳の上にはゴミどころかチリ一つない。

 そんな中、王城から馬車に乗って一〇分で着く豪邸から、何かが壊れる音がした。

 音がしたその豪邸には、この貴族街の中では最も地位の高いやんごとなき御方が住まうことは、貴族街だけでなく平民街の子供ですら知っている。


 その人物の名は、コーデリア・エル・ヴィクトリア・ニュクス。

 前国王の末の王女であり、魔力の高さから先代【一等星】シリウスの元に嫁いだ魔女。

 しかしシリウスの代替わりによって、彼女は夫と息子と三人で暮らしていた屋敷を追い出され、今はこの貴族街にある一番豪華な屋敷で暮らしている。


 発生源であるサンルームの扉の前に立つメイド達が怯えた表情をしており、帰宅してすぐに早足で駆けつけた僕は、彼女らを見て申し訳なさそうな顔をした。

 僕の名前は、アレン・エル・クリストファー・ニュクス。

 母上――コーデリアの実子であり、王族の一人として籍を置いているため、王族の者しか名乗れない『ニュクス』の名を継いでいる。


 もちろん王族の親類縁者は数多くいるが、この『ニュクス』の名は親類縁者の中でも最も王族に近しい者にしか与えられない。

【二等星】である僕は、学園を首席で卒業した後、この王族の親類縁者という伝手を使って魔法省で働いている。

 純粋な魔法の腕より魔法道具を作る技術に長けているため、『魔法道具開発部』の部長として、一〇〇人近くの部下を指導しながら魔法道具を作る仕事をしているのだ。


 今日も仕事を終えて帰宅すると、サンルームにいると聞いた母上が癇癪を起こしてしまい、すぐさま駆けつけると無闇に近寄れずおろおろするメイド達を見つけた。

 彼女達は僕を見ると気まずそうに顔を逸らしたけど、気にせず「早く持ち場に戻って」と言って優しくその場から離れさせる。

 母上の癇癪は自分しか宥めることはできず、もし他の誰かが止めようと前に出るものなら、容赦のない平手と罵声の嵐を浴びることになる。


 実際、新入りのメイドが母上の癇癪を宥めようとしたら何度も平手を食らい、僕が止めた時には既に顔が何倍にも膨れ上がるほど真っ赤になっていた。

 そのメイドはすぐに辞職した後入院、治療費を含めた見舞金を支払ったことで事なきを得たが、それ以降コーデリアを宥めるのは僕の役目になった。

 周囲に誰もいなくなったことを確認してから、僕はゆっくりとサンルームの扉をノックする。


「母上、入りますよ」


 一声かけて扉を開くと、最初に目にしたのは僕が想像していた以上に荒れたサンルームだった。

 一流の職人に作らした調度品は爪痕のような鋭い傷がいくつもあり、王族御用達の食器はどれも無残に割られている。窓ガラスも派手に割れていて、毛足の長い絨毯の上には破片がたくさん散らばっていた。


 無残な姿となったサンルームの中央には、母上が蹲っていた。

 落ち着いたデザインをした深紅のドレスを身に纏い、その上に精緻な刺繍が施された白いショールを羽織った彼女は、老いても社交界の花と謳われていた美貌は衰えておらず、常に身なりに気を遣っていることもあり、切り揃えられた黒髪は艶を失っていない。

 しかしここ数年は体調を崩しがちになり、癇癪した後もあって青白い顔をしていた。


「ああ……アレン、アレン……」

「ここにいます。母上」


 僕の声を聞いて縋る母上は、まるで幼子のよう。

 少し痩せてしまった体を受け止め、優しく背中を撫でる僕は、きっと周囲から見ればマザコンなのだろう。

 しかし国王である伯父上も、その家族も、果てには父上――先代シリウスすらも、母上の苦しみを理解しない。ならば、実の息子の僕が味方になるしかないではないか。


 だって母上は、嫁ぐ前からずっと先々代シリウスの花嫁であるチドリ様のように、王族の出として恥じぬよう【一等星】の子を産めと周囲から言われ続けてきた。

 だけど僕がお腹に宿した頃にシリウス――父上の跡を継ぐ子供が現れてしまった。

 しかも出自は平民、それも母親は花街の娼婦。それを聞いた母上がどんな気持ちだったのか、僕には分からない。……でも、少なくとも、シリウスだけでなく愛していたはずの父上すらも憎んでしまうほどに絶望したに違いない。


 父上がシリウスの育成に力を入れる中、母上は生まれた僕を目に入れても痛くないほど可愛がった。……いや、もはや執着と言ってもいいくらいだった。

 四六時中僕のそばから離れない母上は、父上とシリウスを視界に入れないよう、極力避け続けた。外にいる二人を見つけるとすぐにカーテンを閉めるのはもちろん、食事も別、勉強や習い事をする部屋も寝室も別にして。


 先代になったとはいえ、仮にも【一等星】シリウスの息子として恥じないようどれほど教育を費やしても、【二等星】である僕と【一等星】を産む使命すらまともに果たせない母上を、周囲は好き勝手に嘲笑い蔑んだ。

 父上は何度も「気にするな」と言っても、所詮は気休めでしかない。やがて心無い言葉を投げ続けられた母上は、ついに心を病んだ。

 それからというもの、母上は次代シリウスの命を狙い始めた。


 食事に毒を盛るのは当たり前。時に呪い、時に暗殺者を雇い殺そうとしても、彼は怪我を負いながらも全てを退けてきた。

 しかもそれが魔法使いとしての訓練として利用されており、やがて彼は一〇歳を迎えると父上から正式に【一等星】シリウスの名を継承した。

 それに伴い、僕も母上も父上もセイリオスの屋敷を出ることになった。これは魔法界創世記から受け継がれる伝統であり、王族すら変えることもできない掟。


 しかし、その伝統に母上は真っ向から反対した。

 自分が手に入れるはずの全てを、卑しい身分のはずの次代シリウスから奪われないよう。

 その時の母上の激昂は、今でも覚えている。


『何故なのです!? 何故わたくしが与えられるはずだった全てを、こんな卑しい者に明け渡さなくてはならないのですか!? 伝統? 掟? そんな古臭いものに縛られるなどまっぴらよ! 返しなさい、わたくしのものを! 返せ! 返せ! 返せぇぇぇっ!!』


 今まで見たことのない鬼の形相で掴みかかる母上の姿は、僕の知る優しくお淑やかないつもの母上ではなかった。

 毒も暗殺も知っていた上に見て見ぬふりしていたとはいえ、実際に憎しみで歪む母上の姿を見てショックを受けてしまった。

 けれど、母上の反対は次代シリウスの魔法によって容赦なく意識を奪われ、父上によってこの屋敷に運ばれた。


 そして父上は……母上と僕を屋敷に置いて、最西端にある王宮の管理下にある別荘地に行ってしまった。

 父上は最後まで何も言わなかったが、恐らく母上に対する愛情がほとんどなくなっていたのだろう。

 元が王命による婚姻。父上には母上に対する愛情はなく、ただ義務感で連れ添っていただけなのかもしれない。


 だけど、僕や母上の誕生日にプレゼントや新年を祝うカードを贈ってくるから、まだ家族として見てくれている……と、思う。あの人の考えはよく分からない。

 そうして別居状態になっても、母上は僕がいれは満足にしていたので、ここ数年は心穏やかに過ごせていた。

 ……伯父上が主催した親睦パーティーの話を聞くまでは。


「アレン、聞いてちょうだい。……あの男、花嫁を娶ったって……」

「ええ、知っています」


 驚いたことに、シリウスは人間界で花嫁を見つけた。

 そのことは僕も耳に入っていて、魔法省では既に異世界婚姻課で婚約式を済ませたらしい。最初はガセネタだと思ったけれど、伯父上のパーティーの話を聞いて噂は本当だと知った。

 その話のせいで、ここ最近の母上の精神状態はかなり危うい。


「ああ、あの男……きっとわたくしの嫌がらせでこんなことをしたのね? 【一等星】を産めなかったわたくしを馬鹿にするために……っ」

「母上……」

「どいつもこいつも、みんなわたくしを嘲笑って……! わたくしが何をしたというの? わたくしはちゃんと役目を果たそうとしただけなのに……!」


 体を震わせながら、ぶつぶつと独り言を言う母上。

 ああ、今は僕の言葉すら届かない。こういう時は何も言わず、ただじっとそばにいることしかできない。

 いつもならここで深く息を吐いて、いつものように笑顔を浮かべながら「お茶にしましょう」と言ってくる。


 だけど、今日は違った。

 僕の腕の中から離れ、そのままサンルームを出ようとする。


「は、母上。どちらに?」

「これからセイリオスに行きます」

「セイリオスに?」


 セイリオスには、この貴族街に移り住んでからもう何年も行っていない。

 なのに、何故今になって……と聞くのは野暮というもの。

 目的を察してしまった僕に、母上は老いても美しい――だけど黒く濁った目を細めながら微笑んだ。


「シリウスの屋敷へ。あの男とその花嫁を、絶対に幸せにさせないために」

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