19.初恋にさようなら
目を開けると、最初に入ってきたのは真っ白な天井だった。
次にツンとした消毒特有の刺激臭。首を動かして周りを見ると、真っ白なカーテンで囲まれていた。
起き上がって、カーテンを開けた先にあったのは、よくドラマで見た病室。
呆然と室内を見て回っていたら、巡視中のナースに見つかり、そのまま慌ててナースコールで担当医を呼んだ。
しばらくして担当医が現れて、ベッドに座らせるとそのまま話を始めた。
私、
バイクによる信号無視によるもので、幸い軽傷だったものの頭を強く打ってしまったようで、今日まで昏睡状態になっていた。
しかも記憶障害も起きていて、何度思い出そうとしても事故に遭ったことは覚えていない。
(でも……本当に何か忘れているのよね……)
これが記憶障害によるものだと思うと、素直に納得いく。
そうこうしている間に、両親と可愛い弟と妹が見舞いに来てくれた。みんな私が目を覚ましたことに喜んでいて、今日様子を見て何も異常がなければすぐ退院できると担当医は言った。
それを聞いた両親は退院祝いのパーティーを考え始め、弟と妹も一緒になってはしゃいでいた。
自分より浮かれている家族に呆れながら笑っていると、視界の端で何かが光った。
自然と足が窓の方に行き、一枚のガラス越しから外を見る。
それなりに大きい病院で、中庭には入院者の散歩コースとして花壇が至る所に設置されている。
その花壇の近くのベンチの前で立つ、一人の男性。
ちくちくしそうな銀髪、蛇みたいに鋭い目つき、遠目だから分からないけど大きな体格をしている。
彼は私の顔を見ると、何故か泣きそうな顔をしていて、慌てて病室のカーテンを閉めた。
(な、何あの人。すっごい変な人)
じっとこっち見てきたし、何より目つきのせいでとても怖い。全然私好みじゃない。
私の好きなタイプは、絵本に出てくる王子様のように綺麗な人。さっきの人はその対象外だ。
(さっきの人、ストーカーだったら嫌だな……)
変な人に絡まれたことは何度かあったため、私は退院した後のことを考えて憂鬱な気持ちになった。
だけど、その変な人はこの日以降、姿を見せず……。
そのおかげもあり、私は彼のことをすっかり忘れたのだった。
カーテンの向こうに、あの日花嫁にと望んだ少女がいる。
全てを忘れて、元気そうな顔をした彼女を見て胸が締め付けられそうになるも、カナデはすぐに怯えた表情になるとカーテンを閉められた。
分かっていたとはいえ、やはり愛した少女からの拒絶はとても堪える。
俺、ベテルギウスは今人間界にいる。
ジェルマの件でカナデを花嫁として居続けることはできず、彼女を人間界送還に処した。……処した、と物騒な物言いをしているが、実際は違う。
花嫁であったカナデの記憶を消し、家族にも魔法界に関する記憶を消す。そして記憶の齟齬を修正し、元の生活に戻す――その全てを元花婿である俺の手でやる。
これは、魔法界に大なり小なり問題行為を起こした花嫁を娶った魔法使いの責任。
学生時代の授業で習った時、誰もがこんな処罰を受けるはずがないと高を括っていた。
でも……まさか、俺が最初に受けるとは思わなかった。
(それほどまでに、花嫁は魅力的なものだった)
花嫁――太陽の魔力を宿し、拵えた朝食を食べることで、娶った魔法使いの力を強くさせる人間界生まれの魔女。
その力は魔法界の者にとっては強大な恩恵であり、花嫁は愛してやまない大切な存在。
手放したくないという欲求が、愛し愛されたいという想いが、体の内から一気に爆発し広がるあの感覚。
花嫁を見つけた魔法使いは、彼女達を盲目的に愛すると言われている。
どういった原理でそうなっているか未だ判明されていないが、花嫁を得た途端に人格がガラリと変わる魔法使いは少なくない。
俺の場合はカナデに拒絶されていたから変わらなかったが、中には特別な行事がない限り花嫁を屋敷から一歩も外には出さず、どこに行くにもついていくほどの執着心を見せることもある。
同じように花嫁を得たシリウスとプロキオンは、対話をすることで互いの意思を尊重し合い、あのように良好な関係を築いている。
彼らの仲睦まじい姿を見て、俺も内心焦っていた。自分とは違う関係が羨ましくて、愛していることを伝わってほしくて……今思うと、あの時の俺はとても強引だった。
拒まれていると解っていても、それを認めたくないから、振り向いてもらおうと必死になった。
……そして、その結末がこれだ。
この結果は自業自得だと言っても、きっとルベドの人々はみんな首を横に振るだろう。
責任は全部カナデにあると、そう言いながら。
「そろそろお時間です」
「……ああ、もう行くよ」
背後から声をかけたのは、黒一色だけど現代風の格好をした《鴉》所属の魔法使い。
俺が人間界送還を適切に執り行ったかを確認する監視役として派遣されていた彼は、何か言いたげな表情をしていた。
彼の左手薬指に指輪をしていることを知っている俺は、監視役に小さい苦笑を向ける。それを見た彼が息を呑んだが、それを無視して俺は踵を返す。
数歩歩いた後、一度足を止めて振り返る。カナデが閉めたはずのカーテンは、彼女の母親の手によってまた開いていた。
遠目から見える彼女は、家族に囲まれて楽しそうに笑っていて、あんな笑顔は一目惚れした時以来一度も見たことはない。
……彼女はこれから、俺でもシリウスではない男性と恋をして、幸せになるだろう。
俺の花嫁として幸せに出来なかったことは悔やまれるし、たとえ別の女性と結婚しても俺の心の中にはずっとカナデへの想いが残る。
でも……それでも俺は、君を好きになったことを後悔しない。〝恋〟という、辛くも幸せな気持ちを知れたのは、彼女のおかげだから。
(カナデ。俺が大好きだった女の子。――どうか、幸せに)
心の中で
深い爪痕を残し、疼痛が続く心を抱えながら。
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