18.爪痕

 ジェルマの事件は、朝になると魔法界中に知れ渡った。

 騎士団の事情聴取の結果、彼は長年自分以外の力を借りて魔力を増幅させる人工魔石の研究をしており、二年前にその研究が無事実験段階までに漕ぎつけた。

 その後、ジェルマは王宮魔法使いとしての権力を使い、魔力の高い魔法使い・魔女を狙っては、洗脳魔法が付与されたアクセサリーを送り、度々あの屋敷で血を採取していた。


 採取した血はわたしの時のように人工魔石として加工し、自分の力を増幅・補助。そしてそのチートを使い、同じ王宮魔法使いでも難しい仕事をこなしていたらしい。

 今まで彼が身につけていたアクセサリーの数々は全て人工魔石で、金属にも認識阻害魔法を付与されていたせいで実際に押収するまで気づかないほど巧妙に隠されていた。

 芋づる式で余罪が見つかり、ジェルマは監獄行き。人工魔石も王宮と魔法省が責任をもって破壊することになった。


 しかし、それで収まるわけではない。

 ジェルマの実家であるクォーツネル伯爵家は今回の件を知り、一家全員で国王陛下に謁見し、言い訳一つもせず頭を下げた。

 しかも自害を覚悟していたらしく、国王陛下は貴重な人材を失わせるような愚行は犯さなかった。


 話し合いの結果、クォーツネル伯爵家は私財の半分以上を被害者達に賠償金として支払うことと、王族の許しを得るまでは《鴉》による監視生活をすることが決まった。

 期間は未定だが、再犯の可能性がない限り監視生活は一年か半年で終わるらしい。

 今回の件でクォーツネル伯爵家が経営する宝飾店はそれなりの打撃を受けるも、貴族が満足するアクセサリーを作れないこともあり、長年通っている固定客やあまり気にしていない新規の客で今も賑わっている。


「カノープスは今回の件は全く関与していないと供述している。国王陛下も魔法省も彼に責任を一切問わないと伝えたようだ」

「よかった。流石にこれはとばっちりだもの」


 一番懸念していたカノープスも、今回彼は何も知らなかったし、三代前のカノープスの件を誰よりも重く受け止め、不祥事を起こさないよう一番気を遣っていた。

 その人柄なども考慮して、処罰はないと通達されてひとまず安心だ。

 シリウスが新聞をテーブルの上に置いたのを見てから、わたしは朝食を食べる。


 事件に巻き込まれかつ貧血気味になっていたわたしは、まともに朝食作りできる体調ではなく、今回もエリーに頼んで作ってもらった。

 メニューは久しぶりのイングリッシュ・ブレックファスト。しかし何故かソーセージとベーコンの量が多い。これはあれかな、貧血だから肉多めに用意したってことかな?

 トーストを含めてお昼ごはんが入るが不安だけど、エリーの厚意を無碍にすることはできず、ハーブが効いたソーセージを齧った。


 ソーセージと聞くと、わたしはスーパーで売られている短いかつ二口で食べられてしまう袋詰めタイプを連想する。

 しかしこの魔法界のソーセージは、まさにファンタジーらしく太い上に長い。

 豚肉と調味料、それと数種類の香辛料をよく混ぜて、専用の道具で羊の小腸に詰めたソーセージは、インターネットで見かける連なったものになる。


 しかも、お肉がぎっしり詰まっているからジューシーだし、肉汁も溢れるんじゃないかってくらい出る。

 そういえば、ドイツには渦巻き状にしたソーセージを焼いたものもあるんだっけ……?

 今度、エリーに頼んでみよう。


「そういえば、昼前にベテルギウスが来るぞ」


 バターを塗ったトーストを齧っていたシリウスの言葉に、わたしは自然と咀嚼を止める。

 恐る恐るシリウスの方を見ると、彼は苦笑いしながらトーストをお皿の上に置いた。


「ミス・ココノエの処罰、決まったぞ」



「やぁシリウス、マユミ。今回は迷惑をかけたな」


 屋敷に来たベテルギウスは、少しだけやつれていて、目の下には隈が出来ている上に髪もぼさぼさだ。

 エリーが気を遣ってリラックス効果のあるハーブティーを用意すると、ベテルギウスはほっと息を吐いて表情が柔らかくなる。


「それで……ミス・ココノエはどうした?」

「カナデは病院で見てもらったよ。短時間とはいえ、まだ魔法界に慣れていない花嫁が受けるには強い洗脳魔法だったから。……でも、彼女は自分がしたことを覚えて、そこに反省の色はなかった。カナデは、『自分は間違ったことはしていない』と言っていた……」


 その時のことを思い出しているだろうベテルギウスの顔は、誰から見ても痛々しい。

 彼にこんな顔をさせたのはわたしにも原因があるのに、ベテルギウスの口からわたしに対して恨み言が一切出てこない。

 なんて……なんて、優しい人なのだろう。こんなにいい人を、わたしは傷つけてしまった……っ。


「……ベテルギウス、本当にごめんなさい。全部わたしの責任です」

「そ、そんなことない! むしろもっと早くに彼女を解放しなくちゃいけなかったんだ。カナデが俺の花嫁だからってみっともなく執着して……どれだけキツい言葉を投げかけられても、周りが彼女を責めようと、俺だけは味方なんだって馬鹿みたいに繰り返して……っ。結局、それはただの俺の独り善がり。……いや、違う。最初から独り善がりだったんだ。俺の気持ちは、愛は」

「ベテルギウス……」

「――俺は、明朝にカナデ・ココノエを人間界送還させる。そして今後二度と、花嫁を娶らない」


 人間界送還。

 それは花嫁が魔法界において不祥事――特に世間を騒がせる大事件を起こすか、花嫁としての役割を放棄した際、その花嫁を娶った魔法使いは、己の手で魔法界での記憶を消去させ、人間界に還すという残酷な処罰。


 本来なら被害者であるベテルギウスは、その処罰を受けるだけでも十分のはずなのに、彼は贖いとして花嫁を永遠に娶らないと決めた。

 シリウスの話では、人間界送還をした魔法使いは過去に何人もいたが、その後彼らはもう一度花嫁を見つけ、正しい幸せな人生を歩んだらしい。


「ベテルギウス。……本当にいいのか?」

「ああ、いいんだ。正直、もう一度花嫁を見つける気力がないんだ。他の【一等星】と同じように、見合いとかして結婚相手を見つけるよ」


 そう明るく言っていたベテルギウスだけど、それがただの強がりであることはわたしもシリウスも気づいていた。

 どれほど拒絶されても、彼にとって花嫁は奏さんただ一人だけ。

 たとえ花嫁として迎えたい少女が現れても、その気持ちは一生揺らぐことはない。むしろ過去の遺恨のせいで、また同じ傷を味わうかもしれない。


 そんな恐怖があるからこそ、ベテルギウスは二度と花嫁を娶らないと決めたのかもしれない。

 原因であるはずのわたしとシリウスを責めないまま……。

 その優しさが、今はひどく胸を痛ませた。


 話が済んだ後、ベテルギウスは諸々の処理のためにすぐに屋敷を出た。

 律儀に頭を下げ、空飛ぶ馬車に乗り込み、青空へと向かって飛び去ったのを見ながらシリウスは言っていた。


「――ベテルギウスは、出会った時から優しいやつだった」


 懐かしそうに、悲しそうに、彼は過去を語る。


「学生時代から、あいつは見た目だけで怖がられて、誰も内面を見なかった。だからこそ、私は花嫁を見つけたと聞いた時……嬉しかったんだ。ようやくあいつを愛してくれる女性が現れたんだって」


 だけど、シリウスの願いとは裏腹に、奏さんはベテルギウスのことを愛していなかった。

 しかも彼女は一目惚れしたシリウスに夢中になっていて、ベテルギウスはただの邪魔者としか思っていなかった。

 すれ違いを続け、拒絶を繰り返した結果……このような結末を迎えた。


「私が……私が、ベテルギウスの幸せを壊してしまった。一体どうやって償えばいい……っ」

「……シリウス!」


 彼の綺麗な灰色の双眸から、透明な雫が真珠のようにポロリと零れる。

 親友の幸せを壊してしまった罪悪感は、彼の心に深い爪痕を残すほどの傷を負わせた。

 それを知ってしまったから、わたしは堪らず彼の胸に飛び込んで、こっちの腕が痛くなるんじゃないかってくらいに抱きしめる。


 一瞬だけビクリと体を振るわせたけれど、シリウスは無言のままわたしを優しく抱きしめる。そしてそのまま、ゆっくりと顔を近づけて唇を重ねた。

 ……拒むことはできなかった。今ここで拒んだら、また彼が傷つくと思ったから。


 互いのぬくもりを分かち合うように抱き合い、爪痕から流れる血を舐め合うように口づけを交わす。

 傷を負わせた者同士の、身勝手な慰め合い。それでも、それしか今のわたし達の心を癒せなかった。


 この日のことを、わたしは一生忘れないだろう。

 愛を捧げても拒まれ受け入れてくれなかった魔法使いと、愛を拒み一途に片想いを成就しようとした花嫁のことを。

 そして……花嫁と魔法使いの〝恋〟は、人間界の〝恋〟よりも重く、儚いものだということを。

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