17.収束

 魔法界で一緒に暮らしてからそれなりの月日が経っているけれど、わたしは彼が本気で魔法を使うところは見たことがない。

 杖を手にしてまた日の浅いペーペーのわたしのために、いくつか簡単な初歩魔法を教えてくれる際、実際その魔法を使うところを何度も見た。

 それでもシリウスは、わたしの前で実践的な……それも本格的な魔法を使ったことはなかった。


 ……だけど今、シリウスは全力で魔法を使っていた。

 彼の杖先から放たれる、氷の魔法。ダイヤ形にカットされた、とても大きな氷塊は弾丸の如くジェルマを襲う。

 氷塊のせいで大広間の温度が一気に下がり、まだ春なのに吐く息は白い。くしゃみもしそうになったけど、それは身を隠しているカーテンに顔半分を押し当てたことと、響き渡っている破壊音のおかげでわたし以外には聞こえなかった。


「クソッ!!」


 ジェルマが悪態をつきながら、火球を飛ばす。真っ赤な火の球はシリウスが放つ氷塊に当たるも、一瞬で白い煙となって消えてしまう。

 それは単純に、彼とシリウスとでは魔力だけでなく実力の差がかなりあることを示している。

 容赦のないシリウスの魔法の連発。ジェルマに攻撃の隙を与えず、防御に徹するしか手がない。


 シリウスの魔法の範囲がどんどん広くなる。床だけでなく天井すらも凍り始めて、わたしが隠れているカーテン付近は怪しまれない霜を張らせている。

 それでも急激に温度が下がったせいで、吐く息は白く、全身が寒さで震える。

 しかも氷はゆっくりと浸食しており、ジェルマの足元にまで迫っている。


 当の本人は顔色を青くし、すぐに右手にはめた指輪の宝石を三つとも光らせる。

 わたしの血を採って作った補助用魔石は、彼の右腕に紫色の帯をいくつも纏わせ、魔力の増幅を促している。

 採血の時、歌うように説明されたから、あの指輪の機能は知っていたから、今の状況を理解することができた。


 しかし、その石の効力があっても、シリウスに勝つことは出来ない。

 それは、きっと……わたしが作った朝食を食べていたからだ。

 彼はずっと言っていた。わたしの作る料理は、どれも太陽の魔力含有量が多いって。


 花嫁が作った料理は、無意識だが太陽の魔力が効率よく込められるよう調理されている。

 何故そのように調理できるのが未だに不明だが、多くの学者が立てた推測では花嫁が料理を教えた相手――たとえば母や祖母によるものだと言った。

 母や祖母は、一番料理をする機会が多く、なおかつ子供を無条件で愛する。そんな彼女らの愛を受けたからこそ、花嫁は太陽の魔力を教わった手順で効率よく込めることが出来るのだと。


 その推測を聞いて、わたしが最初に頭に浮かんだのは母だった。

 小鳥遊花たかなしはな。わたしを産んで育ててくれた、優しい実母。

 あの人が作る料理は、まさに愛情のある料理そのもの。


 まだ小さいのを理由に邪険にするのではなく、わたしが怪我をしないように、目を離さないで見守ってくれた。

 どんなに時間がかかっても「頑張ったね」と褒めてくれて、「愛結まゆみが一生懸命皮を剝いてくれたから、今日のニンジンはとっても美味しいわ」と言ってくれた。

 それなりに時間が経って、ませてしまった今のわたしには、あの時の言葉は少し恥ずかしい。


 でも……母と料理をして、一緒に食べるあの時間は、七年という短い時間の中で一番幸せだったことは間違いない。

 今まではただの仕事だと思い込んでいた料理も、今となっては愛する人を笑顔にする大切なものに変わった。

 そして――その料理を一月以上も食べていたシリウスが、あんな卑怯者に負けるはずはない!


「な、何故だ……私は花嫁の力を得たというのに……っ!」


 わたしを誘拐してまで手に入れた力ですら効果がないと思い知り、ジェルマは凍った床に跪く。

 未だ魔法の効果が残っていた床は、パキパキと音を立てながらジェルマの足を凍らせていた。


 シリウスは杖先を右手に向けると、そのまま指輪についている補助用魔石を粉々にする。

 わたしの髪と瞳と同じ色をした石の欠片が、氷の張った床に散らばり、そのまま砂となって消えていく。

 石なのにまるで雪のように消えたそれを眺めた後、杖を軽く振るう。


 杖先から輪っかが二つくっついたようなもの(記号で表すとむげんだ)を作ると、それはふわふわ浮きながらジェルマの手首に向かう。

 輪っかの内側が手首に嵌った瞬間、それは重たく頑丈な金属……いや、手錠となった。

 重たい手錠をつけられたジェルマを見つめながら、シリウスはようやく杖を下ろした。


「ジェルマ・クォーツネル。貴様を花嫁誘拐および補助用魔石密造の罪で現行犯逮捕だ」



♢♦♢



 その後、ジェルマの個人邸に魔法騎士団が殺到した。

 鉱山の崩落や魔石を含む貴金属の取引騒ぎ以外ではあまりこない政府機関のお出ましに、カリーエナは大騒ぎになった。

 頑丈な扉が取りつけられた馬車に向かってゆっくりと歩くジェルマ、それを連行する魔法使い達。彼らが馬車に乗り込むと、天馬てんまは嘶きながら助走をつけて空へと飛ぶ。


 馬車が小さくのを見送っていると、背後で杖を突く音と足音が聞こえてきた。

 振り返ると、そこにいたのは五〇代ほどの老人。

 黒いローブを着ていて、彼の左手の小指には見知った印台指輪シグネットリングが嵌められている。平坦になった台座には船が彫られ、旗の部分に白く輝く石が埋め込まれていた。


「【一等星】シリウス。此度はそなたの花嫁にも大変迷惑をかけた。【一等星】カノープスの名の下に、ここに謝罪を」

「いいや、違う。これはあなたの責任ではない。三代前のカノープスが遺した負の遺産が引き起こした悲劇だ」

「それでも、カノープスの名を継いだ者としてはあがなわなければならない。これからも、ずっと」


 どうやら、あの老人が当代のカノープスらしい。

 三代前のカノープスが引き起こした悲劇については、軽く聞いていたとはいえ……流石にこの事件すらも今の彼の責任になるのは違う。

 シリウスも同じ気持ちなのか、カノープスの言葉に苦い顔をしていた。


「あの……カノープスさん」


 わたしが声をかけると、カノープスとシリウスが驚いてこっちを振り向いた。


「わたしも、今回の件はあなたのせいじゃない。……ジェルマが自分の前の代のカノープスの血を引いているからって、その責任が今のあなたが背負うことは違う」


 そこで一度言葉を切って、わたしははっきりと言った。


「だって、あなたとジェルマは、赤の他人だから」


 わたしの言葉に、カノープスだけでなくシリウスもまるで目から鱗が落ちたような顔をした。

 ジェルマがカノープスの血を引いているからと言って、今のカノープスと血が繋がっているわけがない。

 たとえジェルマではない別のカノープスの血を引く者が事件を起こしても、その責任を彼が背負う義務などない。


 同じカノープスを名乗っても、彼らはという〝魔法使い〟は別個体。

 ならば、この件で責任を取るべきなのは、身勝手な感情で悲劇を生んだ三代前のカノープスの方だ。

 わたしの主張の意味を察したのか、カノープスは泣きそうなのを我慢するようにくしゃっ顔を歪めると、そのままゆっくりと頭を下げた。


「あなたの温情、感謝致します。ミス・タカナシ。あなたはシリウスに相応しい花嫁だ」



 事情聴取は後日ということになり、わたし達は魔法騎士団が用意した馬車に乗り込んだ。

 貧血や眠気、その他諸々によってぼーっとなっているわたしは窓の外を眺める。

 窓の外は夜明け前なのか白んでいて、辛うじて見える地上からはぽつりぽつりと明かりが灯っている。


(もう、朝………エリー心配してるかな? …………ああいや、その前に……朝食、作らないと…………)


 ここまで頑張ってきたシリウスのために、それだけは絶対にしたい。

 そう思っていても、今のわたしの体調ではフライパンを振るうどころか卵さえまともに割れないだろう。

 自然と船を漕ぎ始めたことに気づいたのか、シリウスはおもむろに自分の方に引き寄せると、そのまま自分の太腿の上にわたしの頭を乗せた。


「眠っていろ。君はよく頑張った」

「…………うん。おやすみ、シリウス…………」


 馬車の揺れ、木の特有の香り、そして間近に感じる好きな人のぬくもり。

 それを感じながら眠らないなど出来るはずもない。

 心地よい声色を聞きながらわたしは自然と瞼を閉じた。


 その後、丸一日眠ったわたしは、帰りの馬車の中でシリウスに膝枕されただけでなく、屋敷に到着した後だっこで自室まで運ばれてベッドに寝かされたことを様子を見に来たエリーが懇切丁寧の紙芝居(しかも自作!)で教えて貰い……。

 結果、羞恥のあまりその日一日中部屋に引きこもったのは言うまでもない。

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