16.花嫁の価値
中学生時代、駅前に献血バスが停まっていた時、献血をしたことがある。
きっかけは、たまたま輸血不足問題がニュースで取り上げていたのを見て、わたしはただの義務としてそのバスに乗り込んだとか、そういうどうでもいい理由だった。
初めて注射器で血を抜かれたあの感覚――意識がすぅっと引くような、自分の一部が奪われたようなあの体験は、ある種の恐怖を抱かせた。
……だからなのか、ジェルマに容赦なく血を抜かれた時、わたしは自分が死ぬではないかと思ってしまった。
『失血死』なんて死因があるのだから、血を抜きすぎて死ぬ可能性だってある。
ジェルマはそこまで計算していたのか、わたしの血の気がかなり引いた頃合いを見て、造血ジュースっていう薬を無理矢理飲ませた。
造血ジュースは文字通り不足した血を体内で造る効果を持つ魔法薬の一種で、これがまたすごく不味い。
見た目も味もほぼ血に似せているから、吸血鬼じゃないわたしは
おかげで貧血の症状は楽になったけれど、気分は最低を通り越して最悪になった。
その後はひどい眠気に襲われて…………気が付けば、わたしはシリウスの腕の中にいた。
左腕でわたしを抱えている彼は、月明りしかない廊下を走っている。
そのままどこかの客室に入って、身を潜めたタイミングで声をかける。
「シリ、ウス……?」
「! マユミ。よかった、目が覚めたか」
「うん……今、何が起きて……?」
「君がミス・ココノエに攫われたことをエリーが伝えてくれた。そのままベテルギウスの屋敷に行き……色々と聞き出した後、彼女がつけていたブローチが精神を操る魔法が付与されていた上に、ジェルマが作製した物だと発覚し、今ここだ」
「うん、ざっくりと説明ありがとう」
どうやら、あの時
その魔法のせいでこんな犯行に及んだのだろうが……彼女の場合、わたしからシリウスを取り戻したいという気持ちがあったのだろう。
どれだけ訂正しようが、奏さんにとってわたしは片想い相手を奪った女。
その認識を変える気が微塵もないなら、たとえ魔法で操られていたとしても、わたしがいなくなることは彼女にとって喜ばしことなのだ。
(……本当に、馬鹿な人だ)
振り向くことすらないと解っているはずなのに、たった一度の恋に夢中になりすぎて、本心から大事にようと努力した魔法使いを一方的に邪険にして。
きっとこの先、魔法界の人々は奏さんを『裏切りの花嫁』と呼ぶだろうし、ベテルギウスのことも同情や憐憫の目で見てくるだろう。
……だけど、それでもわたしは、彼女を憎むことも哀れむこともできない。
(それはきっと……彼女が
恋に溺れ、上手くいかない人生に憤り、全てを敵とみなしてしまった
♢♦♢
「ひとまず、今はここに隠れてくれ」
「シリウスはどうする気なの?」
「私は……あいつを倒す」
そう言って彼は、わたしをベルベット生地の濃紺色のカーテンの中に隠した。念には念を入れて、外側のレースカーテンごと巻き込みながら。
シリウスが逃げた先は、大広間。もちろんセイリオスの屋敷にもパーティーができる大広間はある。だけどジェルマの場合、ウチの大広間と比べてもその広さは倍だ。
月明りの中でも輝いて目立つ黄金が施された調度品、床も壁も汚れ一つないほど磨いたおかげでピカピカ。天井のシャンデリアもクリスタルではなく本物のダイヤモンドを使われていて、明らかにお金の使い方が間違っている。
貴族として、魔法使いとしての自己顕示欲を表に出したような屋敷。いるだけで息が詰まりそうになる。
なるべく身を縮こませ、息を殺していると、バキィッ!! という音が響き渡る。
その後に続く木が折れるような音……多分、扉を飛ばした音なのだろう。なるべくカーテンの形を崩さず、隙間から覗くとジェルマとシリウスが対峙していた。
「シリウス、彼女はどこだ。渡してもらおう」
「そう言われて易々と花嫁を渡す魔法使いがどこにいる?」
互いに杖を向け合う二人。
ピリピリと肌を刺す緊張感の中、ジェルマの口元が微かに歪む。
「では、【一等星】シリウスに問おう。―――花嫁とは、なんだ?」
その問いかけは、シリウスも予想していなかったのか、動揺が出てしまい杖を向ける腕が小さく震える。
息を呑むシリウスを見ながら、ジェルマは語る。
「花嫁……太陽の魔力を宿し、我ら魔法使いに力を与える女性。何故彼女達がいるのか、どういう経緯で生まれたのか不明だ。……しかし、花嫁を選ばれた女性は、生涯娶った魔法使いのモノになる。花嫁のいない我らは、彼女らの太陽の魔力が宿った料理を口にする機会など、それこそ屋敷に招待を受ける時のみ」
「……何が言いたい」
「つまり、だ。花嫁がもたらす多大なる恩恵を、一人の魔法使いのみが独占すること自体おかしい。恩恵というのは、皆に平等に配られるべきだろう」
「まさか……そのためだけに、マユミを誘拐したというのか……?」
「もちろん、魔法使いとしての興味もあります。ですが……強いていうなら、ほぼその通りかと」
花嫁がもたらす恩恵――それは、太陽の魔力のことだ。
この世界には『夜の魔力』と『太陽の魔力』の二種類がある。魔法界で生まれ育った魔法使い・魔女は生まれつき夜の魔力を宿していて、仕事で魔法を使って消耗した魔力を睡眠もしくは太陽の魔力を多く含んだ食材を使った料理を食べることで回復する。
魔法使い・魔女は総じて夜の魔力を宿しているが、中でも王族はその夜の魔力の量が多い。その体質のせいで王族は皆、見た目に合わず健啖家らしい。
対して太陽の魔力は、人間界――それも一部の女性にしか宿らない魔力。
シリウスが言うには、太陽の魔力を宿す条件は己の身に釣り合っていない〝不幸〟を秤に乗せた者だけらしい。事実、花嫁選ばれた女性はわたしも含めて普通ではない不幸な身の上を持っている。
けれどその分、太陽の魔力の恩恵は凄まじい。
太陽というのは、植物を活性化させるだけでなく、星々や月を照らす光の源でもある。
その力を魔力として宿った食物を使った料理は、魔法使い・魔女にとって貴重な魔力供給でもある。
料理ならば魔法界の魔女でも出来る。ならば何故、花嫁が拵えると魔力の質が良くなるのか?
それは、太陽の魔力による相乗効果だ。
例えば魔女が朝食にオムレツを作ったとする。その魔女が料理することで卵を含む食物に含まれている太陽の魔力が10の場合、作った魔女の魔力を込められると+4ほど増える。
しかし花嫁が同じ料理を作った場合、込められる魔力が×4になる。
つまり魔女が作ったオムレツの太陽の魔力含有量は10+4=14。花嫁が作ったオムレツの太陽の魔力含有量は10×4=40となる。
魔女と比べて倍も違う太陽の魔力を摂取できるため、花嫁は魔法界において貴重かつ利用価値の高い存在。
ジェルマのように、その恩恵を利用したいと思う輩がいてもおかしくはない。
「花嫁の価値は太陽の魔力のみ。それを個人ではなく大衆に平等に配り、魔法界に利益をもたらすことこそが、花嫁の真の務めだと言うのか?」
「ええ、その通りです。見た目も大して美しくもない花嫁の価値など、その程度のものです」
「……そうか」
平然とそう言ったジェルマに、横から見たシリウスの目は完全に据わっていた。
そのまま杖先から容赦なく赤い光線を放つ。光線が向かってくる中、ジェルマはすぐさま防御魔法をかけて身を守った。
あの光の正体は、失神魔法。対象を麻痺させる攻撃魔法の一種!
「――【二等星】ジェルマ・クォーツネル。【一等星】シリウスの名の下に、貴様をここで倒す」
冷酷にそう告げたシリウス。
彼の綺麗な灰色の瞳が、白銀に輝き始めた。
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