12.質問と答え
あれから数日が経っても、
むしろ王都の貴族が個人で開いているパーティーでも話題に上がっていて、そこから噂が流れているのも原因だ。
曰く、ベテルギウスとカナデ・ココノエの婚約は政略的なものである。
曰く、カナデ・ココノエは婚約前からシリウスに思慕を抱いていた。
曰く、カナデ・ココノエはルベドでは歓迎されておらず、今も住民から嫌がらせを受けている。
曰く、カナデ・ココノエはベテルギウスを嫌っており、今も彼との婚約解消を望んでいる。
……とまぁ、こんな感じ。
しかも大半が噂の通りだし、一部は本当なのか怪しいところだけど、それでも奏さんのしでかしたことは今の魔法界にとっては最大の娯楽でもあり、非難の的であった。
現場を目撃した者、新聞と噂でしか内容を知らない者、そしてルベドで暮らす人達は口を揃えて言った。
――カナデ・ココノエは、『裏切りの花嫁』であると。
「ここのところ、王都は随分と騒がしくなったものね」
奏さんが『裏切りの花嫁』と呼ばれるようになってから数日、突然
駅から乗ってきた辻馬車から降りた彼女は、外出用らしいモダンなドレス姿。今日は日差しが強いから真っ白で上品な日傘を差していて、年老いても美しいと思えるほどの気品があった。
突然の来訪にわたしだけでなくシリウスも驚き、慌ててサロンに案内された。
この屋敷のサロンはシリウスの好みというより、エリーが好き勝手にカスタマイズしている。
以前のサロンは先代の好みで濃茶の家具で統一されていて、落ち着くところが落ち着きすぎていた。だけど先代が退いて、シリウスはサロンにこれっぽっちも興味がなかったため、せめてもう少し快適に過ごしやすいようにとエリーが模様替えをしたのだ。
白無地のクッションが赤・黄色・緑・橙などの色とりどりの布と白い布を組み合わせた可愛らしいクッションに変わり、ベルベット生地の重々しい赤いカーテンは明るい花柄のカーテンに。猫足になっている地味なテーブルは、寄木細工で可愛らしい花がテザインされた天面をしたアンティークなティーテーブルが置かれてる。
ソファや暖炉、絵画などは変えてはいないが、それでも模様替えとしては充分なものだった。
シリウスは仕事を終えると、パーティー以降一切音沙汰のないベテルギウスに会うために王都に向かっている。
ベテルギウスとは付き合いが長い上に性格を熟知しているシリウスは、彼が王都にルベドで織ったばかりの布を卸す日を知っている。
その時にベテルギウスをとっ捕まえて、今後どうするか話し合うらしい。
屋敷の主が不在の時に、先々代シリウスの花嫁が来訪。
従って、当代シリウスの花嫁であるわたしがもてなすのは自然の流れだ。
エリーが用意してくれたダージリンとメロンムースをお出した後、千鳥さんは開口一番にそう切り出したのだ。
「そう……ですね。奏さん、あちこちで色々と言われているみたいです」
「それは彼女の自業自得です。レッスンを受けた時から花嫁としての自覚が足りないようでしたが、まさかあんな愚行を犯すとは……」
大きなため息を吐く千鳥さんに、わたしは何も言えずメロンムースを食べる。
隠し味にレモン果汁を数滴入れたヨーグルトムースは爽やかな味わいで、ボトムは砕いたクッキーを溶かしバターで混ぜたおかげでサクサクしている。その上に小さくくり抜いたメロンはころんとしていて可愛らしく、甘みもあるためムースとの相性もばっちり。
目を逸らしながらパクパク食べていたのが気になったのか、千鳥さんもメロンムースを一口食べると「あら、美味しい。今度作ってみようかしら」と言った。どうやらお気に召したようだ。
少しだけ顔を綻ばせた千鳥さんを見ながら、わたしはスプーンを置いて口を開く。
「千鳥さんは、人間界にいた頃に好きな人とかいなかったんですか?」
「なんですか、突然」
「いえ、その。今回の件でほんのちょっと興味があるというか、気になったというか……」
上手い言い訳が言えず、ごにょごにょと口ごもってしまったわたしに、千鳥さんは小さくため息を吐くと同じようにスプーンを置いた。
「そうですね……わたくしの場合、ミナさんと似た境遇でしたから。奏さんの気持ちはあまり理解できませんね」
「似た境遇……ですか?」
「ええ。そうです」
千鳥さんは紅茶を飲んで喉を潤した後、そのまま語り始める。
「わたくしは明治……第一次世界大戦が起きる前の時代の東京で、華族の長女として生まれました。厳格だけど優しい両親、聡明な兄二人と可愛い妹と弟がいて……とても幸せな日々を送っていました」
「め、明治時代ってことは…………千鳥さん、今おいくつですか?」
「あら。女性に年齢を聞くのはマナー違反よ」
第一次世界大戦が起こる前で、明治時代に生まれたから……わたしの計算が間違っていなければ、今の千鳥さんの年齢は一〇〇歳を超えている。
でも圧のある笑顔で釘を刺された手前、聞ける空気ではなかった。
「女学校に通っていたわたくしは、いつか親の決めた相手と結婚することが分かっていた。そういう時代だったというのもあったけど、それに特に大した疑問を抱かなかった。……だけどある日、参加した夜会で酔っ払いに絡まれたわたくしをあの人が助けてくれた」
「あの人って……」
「先々代シリウス、わたくしの夫です」
聞けば、先々代はシリウスと同じように他の【一等星】と一緒に人間界に出張に出ており、夜会に参加したのも同行者の付き添いだったらしい。
「……初めてあの人を見た時、こんなに美しい人がいると思いました。きっと一目惚れだったのでしょう。だからわたくし、持っていた手帳を彼に差し出して『次の夜会であなたと踊る約束をするために、お名前を教えてください』とお願いしたわ」
「手帳?」
「ええ。当時の夜会ではダンスの順番やパートナーの名前を記録するための手帳を持っていたのよ。その時、彼は驚いていたけれど……すぐに手帳に名前を書いてくださったわ」
それ以来、あまり気乗りしなかった夜会に出るようになり、先々代とは日中でデートするほど仲が良くなっていった。
華族の娘が婚約者ではない男性と白昼堂々デートするなど考えられなかった時代だが、そこは千鳥さんと先々代の言葉巧みな説得により、千鳥さんのご両親は婚約が決まるまで口を出さないことを渋々了承した。
それからというもの、千鳥さんと先々代は東京中を巡る勢いであちこち出歩き、やがて二人の仲は親密になっていった。
「でも、そんな幸せはそう長く続かなかった。あの人が突然、魔法界に帰ってしまったの」
「え? 【一等星】はいつでも人間界を行き来することができるんじゃ……」
「それがね。あの人ったら、人間界での生活が楽しすぎて仕事をすっぽかしていて、それで魔法界にいる取引先が魔法省に早く連れ戻すよう進言したのよ。それでわたくしに何も告げないまま人間界交通部の職員に引っ張られて魔法界に戻ったの」
「え、ええー……」
そうして今まで溜め込んだ仕事を終わらせるために先々代は魔法界に戻ったが、彼が魔法使いであったことを知らなかった千鳥さんにとっては、いきなり音沙汰もなく行方不明になったようなものだった。
先々代とデートを重ねる内に本気で恋していた千鳥さんは、彼に捨てられたと思い込んでしまい数日も自室で寝込んでしまった。それくらいショックだったのだと、本人は言った。
先々代が消えて数ヶ月が経ち、千鳥さんが女学校を卒業して、親の決めた相手と婚約する手筈が整い始めた頃に第一次世界大戦が起きてしまった。
「戦争が激化していく内に、着る物も食べる物も困るようになって、使用人すら雇う余裕すらなくなってしまったわたくし達は、東京の屋敷を手放して長野の別荘に疎開することを決めたの。……でも、空襲によって家も家族も喪って、生きる気力を失ったわたくしの前にあの人が現れた。それも、魔法使いとしての姿でね」
「…………」
「その時、言ったのです。『私の手を取ってくれ。君を幸せな花嫁にしてあげる』と。……なんでいきなり消えたのとか、その姿はなんなのとか、色々と言いたいことはあったけど、わたくしはあの人の手を取って、魔法界に来たわ。それからの人生は本当に幸せだった」
そこまで言って、千鳥さんはティーカップを手に取り、語り過ぎてカラカラになった喉を潤すために紅茶を飲む。
心の中で思い浮かんでいた、わたしの質問に対する彼女の答えを告げるために。
「だからこそ、わたくしは奏さんの気持ちが理解できないのです。後にも先にも、わたくしが愛した人はあの方だけだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます