10.ずるい

 ――【一等星】ベテルギウスの花嫁であるかなでさんが、同じく【一等星】シリウスに告白した。

 それは、魔法界にとって彼の妻になることに少なからず憧れていた淑女達の反感を買い、花嫁でありながら別の【一等星】に求婚した彼女に紳士達は難色を示す。

 しかし顔を紅潮させて、熱に浮かされたかのようにとろんととろけた顔をしている奏さんの目には入らない。


「何を言い出すかと思えば……ミス・ココノエ、あなたはふざけているのか?」

「いいえ、ふざけてなんかいません! 私はあなたのことを一目見た時からずっと好きで……今はベテルギウスの花嫁ではありますが、本当はあなたの花嫁になりたかったんです!」


 それを聞いて、わたしは気付く。

 彼女にはベテルギウスの婚約する前に片想いしている人がいる。……もしかして、それがシリウスだったの?

 でも、一体どこで? わたしの時のように偶然出会ったなら説明がつくけれど……。


(そういえば、シリウスはたまにベテルギウスと一緒に人間界に行くことがあるって言ってた)


 その際にたまに彼が参加するパーティーに同行することも。

 もしかして……その時に? 彼女の家は父親が会社を経営していると言っていたし、そのパーティーに参加していてもおかしくはない。


「……たとえそうだとしても、今の君はベテルギウスの花嫁だ。私の妻になることよりも彼を愛する努力をしろ。話は終わりだ」

「そんなっ……待って! まだもう少し話を……!」


 苛立った様子で踵を返したシリウスは、縋ろうとする手を無視して大広間を出てどこかへ行ってしまう。

 残された奏さんは周りにいた野次馬達の嘲笑と陰口に晒され、今度は羞恥と怒りで顔を赤くする。

 その間にベテルギウスが奏さんに近付くも、彼女はいつも以上に激しい拒絶を見せて、ドレスの裾を翻しながら大広間を出て行った。


「……これは、大変なことが起きたな。マユミ、君は知っていたか?」

「いいえ。……奏さんに想い人がいることは知っていましたけど、その相手がシリウスだったことはさっきまで知りませんでした」

「そうか。……さて、私はこの場を少し和ませてくる。君はベテルギウスのことを頼んだ」


 アルフォード様が靴音を鳴らしながら中心に行くと、よく通る声で先の出来事についてこれ以上の詮索はせず、パーティーを楽しむようお願いする。

 物腰柔らかな王弟おうてい殿下の頼みを聞かない者はここにはおらず、さっきまでのパーティーの空気に戻し、オーケストラも途中で止めた演奏を再開させた。

 その間にもわたしは壁際に立ち尽くすベテルギウス、それと駆けつけたプロキオンとミナの元へ近寄る。


「あ、マユミ」

「いやー、まさかあんな行動に出るとは……俺もちょっと予想外だったなー。マユミもびっくりしたでしょ?」

「うん……それはまぁ……」


 二人と会話しながら、わたしは壁にもたれかかりながら俯くベテルギウスを見る。

 奏さんに拒絶される度、彼はいつも人目も憚らず涙を零していた。だけど……今はよほどショックなのか、茫然自失を体現したような状態になっている。

 それでも、彼の金色の双眸は涙で潤み始めている。


「たまにいるんだよねー、ああいう花嫁。自分を選んでくれた【一等星】じゃない、別の【一等星】に恋慕を抱く子。ま、大半は成就できずに終わるけどね」

「あのまま放っておいてもいいの? その……結構噂になってるけど……」

「自業自得だよ。ミス・ココノエは愚かにも、大衆の前で別の【一等星】に告白した。それで彼女が誹謗中傷の的になろうが、それは全部彼女の責任。こっちが気にかける必要はない」


 あまりにもあっさりと辛辣な言葉を吐くプロキオン。それを聞いたミナは一瞬怯えるも、彼の言い分が正論なのは理解しているため小さく頷く。

 前々から思っていたけれど……プロキオンって、友達を傷つけた相手には意外と容赦ない。

 シリウスも似たような感じはあるけれど、プロキオンの場合はそれより二倍強いような気がする。


「……とにかく、奏さんを探してくる」

「聞いてどうするの? ……まさかマユミ、シリウスの花嫁をやめるの?」

「そんなわけないでしょ。わたしはただ、もう一回説教してくるだけ」


 どうやらプロキオンはわたしが奏さんを慰めようとしていると思っているようだが、それは違う。

 別にわたしは少女漫画に出てくる同じ男子を好きになった親友同士の女子二人のように、『どっちが先に告白して両想いになっても、私達はずっと親友だよ!』なんてクサい台詞を吐く女ではない。

 そんなのは一次創作だけの話だし、むしろ現実でそんなこと言う人がいたらいっそ見てみたい気さえある。


 ただ純粋に、至極単純に、本当にシンプルに。

『勝手に他人様の未来の旦那様に告白すんなよ』って言いたいだけだ。

 奏さんがどう想おうが、シリウスとわたしは一〇年も前から約束をしている。その約束が果たされた今、それを壊すような行為は許容できない。


 もちろん、ベテルギウスには幸せになってほしい。

 たとえ両者の行き違いがあろうとも、婚約式をした以上は何度拒絶されても健気に想い続ける彼に少しでも歩み寄ってもらいたい。

 そうしなければ、どちらも不幸になるだけ。婚約解消の云々は、ぜひとも当人同士できちんと話し合ってほしい。


 そんなわたしの考えに、プロキオンは目を丸くするも、すぐに小さく笑う。

 そして杖を軽く振るうと、光り輝く矢印が現れた。


「捜索魔法だよ。この矢印の先にミス・ココノエがいると思うから」

「分かった」


 わざわざ魔法で奏さんの捜索の手伝いをしてくれたプロキオンにお礼を言って、わたしはドレスの裾を翻しながら大広間を後にした。



♢♦♢



 光る矢印を追いかけた先は、薔薇が咲き誇る中庭。

 庭師によって剪定された薔薇はどれも痛みもなく、栄養が行き渡らず枯れた葉や、逆に成長の妨げになる葉などは一枚も残らず切り落とされている。

 煉瓦が敷き詰められた小道を歩いていると、どこからか水の音がしてくる。その音は矢印を追うごとに大きくなり、やがて開けた場所に出る。


 そこは、薔薇の生垣で囲まれた噴水広場。そこに着くと矢印はキラキラ光りながら消えていった。どうやらここが目的地らしい。

 瀟洒なデザインをした噴水。その縁に奏さんが座っていた。

 波紋を何度も作る水面をぼうっと眺めていて、わたしが靴音を鳴らすと顔をこちらに向けた。


「奏さん」


 名前を呼ぶと、彼女はキッとわたしを睨みつける。

 可愛らしい顔立ちには不釣り合いな目つきをするも、赤く擦れた跡がある……。


(きっと、ここで泣いていんだ)


 好きではない男との婚約。片想い相手の隣にいる花嫁わたし。そして、先の告白。

 彼女にとって不幸が太陽の魔力の恩恵を受けていると思うと、少なからず同情してしまう。

 ……でも、それでも。わたしは彼女の願いを叶えてあげられない。


「奏さん。気分悪いの? 戻って何か飲んだ方がいいよ」

「……してよ」


 あえて話題に触れず、障りのない会話をするも、奏さんは縁から立ち上がると目の前までわたしの元に迫る。


「どうしてよ!? どうしてあなたがシリウス様の花嫁なの!? あなたみたいな地味で可愛くもないのに、一体どんな手を使ったのよ!?」

「悪いけど、わたしは別に何もしてないよ」

「ならっ……なら、花嫁そこを代わって! 私は一年前、シリウス様に出会った時からずっと彼のことが好きだった。あんな顔の悪い、全然魅力的じゃないベテルギウスより、シリウス様の方が私に釣り合っているの!」


 本気でそう思っているらしい奏さんを見て、わたしはため息を吐きたい気持ちをなんとか抑える。

 なんて身勝手な願いだろうか。早苗さなえさんと同じくらい自分勝手だ。

 もちろん、そんな願いを聞き届けるほど、わたしは物分かりのいい女ではない。


「それはできない。だって、シリウスがわたしを花嫁に迎える約束を、一〇年も前に交わしているの」

「じゅっ、一〇年……!?」

「その約束を守るために、彼はずっとわたしを迎える準備をしていた。たった一年かそこら、しかも会っただけで好きになった人に譲るほど甘くない」


『相手が好きになるのに必要なのは、時間の長さではない』とたまに聞く。

 それに関しては賛否両論あるかもしれないが、わたし個人としては『違う』と言える。

 だって、過ごした時間が長ければ長いほど互いを理解し、想いを深め合うことができる。逆に時間の長さがなければ、結婚した後に相手の凶暴な本性が露わになって、後悔することが多くなる。


 奏さんはシリウスが好きと言っていたが、それは彼の容姿を見ただけから出る発言だ。

 もし好きなところを具体的に挙げろと言ったら、きっと彼女が最初に口に出すのは容姿からのはずだ。

 そう思えるくらい、奏さんのシリウスに対する恋心は軽い。そんな人に、彼を渡すことなどできない。


「何よ……何よ何よ何よ! 上から目線で説教しないでよ! 分かるはずないわ、好きでもない男の花嫁にされた私の気持ちなんて! あの人に選ばれたずるいあなたには!」

「…………」

「私は認めない。あなたがシリウス様の花嫁だなんて、絶対に認めないんだから……っ!」


 怒りで顔を真っ赤にしながらも、ポロポロと涙を零した奏さんは、荒々しい足取りで中庭を去る。

 一応、王城には日帰りで帰れるよう速度が違う天馬てんま(いわゆるペガサスのこと)を二百匹も飼っている。王都からルベドまでならば、一時間近くで帰れるだろう。


「ずるい、か……」


 確かに、一〇年前の出会いがなければ、わたしはあのままあの家族に縛られたままだったろう。

 そう考えるとシンデレラみたいに、一度の幸運で幸せを掴み取ったわたしは、きっと奏さんと同じで『ずるい』と思えるほど恵まれているだろう。

 だからといって、彼女がベテルギウスを好きになる努力をしない理由にしてはいけない。


(そのことに早く気付いてほしいな)


 そう思いながら、わたしは踵を返して王城の中へ戻る。

 

「さて、次はご機嫌斜めな旦那様のところへ行かなくちゃ」

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