09.懇願
パーティーが開始すると、シリウスの元にたくさんの人が集まる。
どれも高そうな礼服やドレスを着ていて、何やら仕事関係の話からどうでもいい話など様々だ。
特に女性が多く、誰もが厚化粧かつ鼻が曲がりそうなほどキツい香水をつけていて、ドレスも奏さんのドレスが可愛いと思えるほどフリルやリボンがたくさんついている。
一般的な感性をあまり持ち合わせていないわたしですら、あのデザインは正直ない。
なるべく離れず、でも近くない距離を保ちながらマスカットジュースをちびちび飲んでいると、誰かが近付いてきた。
振り返ると、両手にワイングラスを持った少女とその付き添いらしき少女が二人が背後にいた。
「お初にお目にかかりますわ、花嫁様。私、コルデリア・ベルナ・トゥーレと申します」
「マユミ・タカナシです。どうぞよろしくお願いします」
「ふふっ、ご挨拶ができて嬉しいわ」
うーん、流石は生粋のお嬢様。わたしより動きが洗練されている。
「マユミ様。よろしければ、こちらのワインをどうぞ。我が家が酒造している自慢の一品ですの」
「あ……わたしは、その……」
コルデリアさんから渡されそうになっているワインは、お酒特有のアルコールだけじゃなく、刺激的な匂いもした。
この刺激臭……もしかして、唐辛子? 食べ物で遊ぶなって親に学ばなかったの?
(いや、それよりもこの状況をどう乗り越えないと……)
魔法界の飲酒・喫煙可能年齢は一六歳からだ。
もちろん貴族などは付き合いの関係でお酒に慣れる必要があり、適齢年齢までは公の場で飲むことはないけれど、それでも彼女らは付き合い程度に呑んでもあまり酔わないほど強い。
対して、こちらは法律の改定によって成人年齢は一八歳からなのに、飲酒・喫煙可能年齢が二〇歳のままの生粋に日本人。
いくら花嫁と接する機会が少ないとはいえ、わたしがお酒を嗜んだことがないことくらい分かるはずだ。
しかも、グラスを持つコルデリアさんだけでなく付き添いの二人も、一向に受け取らないわたしを見てくすくす嗤っている。
なんて陰湿な嫌がらせ。……でも、残念でした。これまでの経験上、それくらい別にどうってことないわよ。
「ありがとうございます。いただきますね」
「えっ!?」
まさか受け取るとは思っていなかったのか、コルデリアさんは驚いた声を上げるも、わたしはそれを無視してグラスを受け取る。
グラスの脚を持って、昔見たテレビに出演していたソムリエと同じように中のワインをゆるゆると回す。ふわっと香りが立ちのぼり、それを確かめるように鼻先を近づけた。
……やっぱり唐辛子の匂いがする。こんなものを勧めるなんて……いじめの楽しさを見出したばかりの女子中学生か?
刺激物が入っていると分かっていても、こういう生意気な子達には負けたくない。
にこっと挑発的に微笑んでから、グラスを口元へ運ぶ。コルデリアさん達が「あっ」と声を上げようとした瞬間、グラスを持っていた手がわたしの口ではなく上へと勝手に上がった。
驚いて背後を振り返ると、そこにはシリウスが立っていて、彼は唐辛子入りのワインをそのまま一気に飲み干した。
(ちょちょちょ、何やってんのこの人!?)
ワインを飲んだ時の彼の顔は、一瞬だけど眦がぴくりと動いていた。
対してコルデリアさん達は、わたしではなくシリウスが飲んでしまったの見て、顔が青を通り過ぎて白くなっていた。
それはそうだ。彼女達は明らかにシリウスの花嫁になったわたしが気に入らなくて、こんな嫌がらせを仕掛けたのだ。
それなのに、嫌がらせがわたしではなく意中の相手が引き受けたのだ。
完全に予想外。これには背後にいる見物人気取りの付き添い二人も涙目になっている。
ワインを綺麗に飲み干したシリウスは、固まって動かないコルデリアさんにグラスを持たせた。
「大変刺激的な味がしたワインだった。……だが、私も我が妻もこれはあまり口に合わないようだ。今後はもっと良いワインを用意してくれ」
「は、はいっ……失礼しますっ!」
シリウスの言葉……意訳すると『よくもこんなワインをマユミに飲ませようとしたな。次やったらただではおかないぞ』が伝わったのか、コルデリアさんはすっかり怯えた顔で走り去る。
付き添い二人も同じように走り去っていて、それを見送っているとシリウスは口直しとしてトマトがたっぷり乗せられたブルスケッタを食べていた。それも二口で。
「あー……その、ワインのお味はどうだった……?」
「最悪だ。辛い。あれのせいでワイン本来の味すらなくなっていた。食べ物で遊ぶなと親から学ばなかったのか?」
「それはわたしも思った」
同じ感想を抱いたシリウスに激しく同意しながら、わたしもブルスケッタを食べる。
オリーブオイルとニンニク、それと生のバジルで味付けされたトマトは瑞々しくも酸味があり、カリカリに焼いたバゲットに染み込んで口の中でじゅわっと広がる。
そういえば、同じ料理でカナッペがあるけど……あれも何か違いがあるのかな?
「マユミ、次からはああいうのはきちんと断れ。ワインなんて飲んだことないだろう?」
「そうだけど……でも、こういう場だとどうすればいいのか分からなくて……」
それを教えると、シリウスは眉をひそめた。
「それはチドリの意地悪な抜き打ちテストだな。花嫁がパーティーなどの公の場で、一体どのような目に遭うのか、そしてそれをどう乗り越えるのか。それを試すためにあえて教えなかったのだろう」
「なるほど……学んだとしても、それが実行できるか分からないしね」
よく不審者への防犯を学校で学んだりしても、それを実行するのは意外と難しい。
仮に実行したとしても、相手が逆上して大怪我を負わせたら防犯の意味がない。
納得するわたしにシリウスは少し不満げな顔をしたけど、何かを思い出したのかわたしの腰に腕を回した。
「そうだ、忘れていた。アルフォード殿下がマユミに挨拶がしたいそうだ」
「それは先に言ってくれないかなぁ!?」
シリウスの言葉を聞いて、わたしは早足でアルフォード様が待つバルコニーに一緒に向かう。
なんでも【一等星】の花嫁になった者は皆等しく、パーティーの場で王族に挨拶することが多い。
ミナも奏さんもすでに挨拶が済んでおり、残るはわたしだけ。
シリウスに案内されたバルコニーでは、白ワインが入ったグラスを持ったアルフォード様が立っていた。
彼はわたし達を見ると、優しい顔で微笑んでくれる。
イケオジって言葉が似合うほど、イケている人だった。
「やあ、シリウス。その子が君の花嫁だね?」
「はい。マユミ・タカナシです」
「そうか。私はアルフォード、よろしく」
カーテシーをしたわたしに、アルフォード様はにこやかに自己紹介する。
その間にシリウスはいなくて、振り返ると似た礼服を着た人達に囲まれていた。
「ああ、あれは彼の取引先だね。セイリオスの魔法植物は質が高いから」
「でもシリウス、結構嫌そうに見える……?」
「中には花嫁以外の女性を娶るよう催促する者もいるからね。それを嫌がっているだろう」
花嫁以外の女性……それはつまり、愛人ってこと?
そういえば、シリウスが前に【一等星】の中には次代の【一等星】が自分の子供から生まれる可能性を高めるために、妻以外に愛人を何人も娶っていた人もいたって聞いたような……。
「もちろん【一等星】という甘い汁を啜るのに最適な地位を手放さないために、死ぬまで未婚を貫く者もいれば、生まれた次代に寄生するために愛人を娶る者もいる。……だが歴代のシリウス達は、妻に選んだ一人の女性を愛し続けた。きっとそういうのも、次代を選ぶ基準になっているのかもね」
「基準……」
「私は神ではないからあくまで推測だが……そう思ってもおかしくないだろう?」
茶目っ気溢れる顔で言われ、わたしは笑いながら頷く。
シリウスは一〇年間、わたしを迎えるための準備をしてくれていた。たとえわたしが忘れていようと、あの大雪の日に交わした約束を守ってくれた。
己の身すら焼き焦がすほどの想いで、彼は全身全霊でわたしを愛してくれる。
『焼き焦がすもの』――まさに、彼にピッタリの二つ名だ。
同じことを思っていたのか、わたしはアルフォード様と一緒にくすくす笑い合った。
ちょうど給仕が通りかかり、彼からラズベリージュースを受け取り、アルフォード様が白ワインのおかわりを頼んだ。
「お願いします!」
その時、少女の懇願の声が大広間に響いた。
誰もが声がした方に視線を奪われ、オーケストラも思わず演奏の手を止めた。
大広間の中心にいたのは、険しい顔をしたシリウス。そして、彼の前の前にいたのはお姫様のような赤いドレスを着た少女。
「シリウス様。私をあなたの妻にしてください!」
こんな大衆の前でシリウスの妻になることをお願いする少女に、誰もが驚くも「なんと恥知らずな」「どこの娘だ?」とひそひそと話す。
だけど、わたしはその少女の声を、顔を知っていた。
「…………
シリウスに告白するのは、【一等星】ベテルギウスの花嫁である
その少し離れた場所で、彼女の未来の夫であるはずの魔法使いは、目を見開いたまま固まっていた。
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