07.反論

「あー……シリウス、おかえりー……」

「……マユミ? どうした、その顔」


 シリウスが帰宅した時、リビングのソファの上で体育座りになりながらクッションを抱いていたわたしを見て、彼は訝しげに眉をひそめた。

 千鳥ちどりさんの家から戻った後、かなでさんとベテルギウスの関係について色々考えていたせいで、シリウスが帰ってきたことに気づくのが遅くなってしまった。


 本人は今のわたしの様子が気になっているようで、自然な足取りで隣に座る。

 固くも柔らかくないソファが僅かに沈んだと同時に、シリウスの右手がわたしの肩を優しく抱く。そのまま髪を撫でられ、その丁寧な手つきが気持ち良くて、目を細めた。


「何か悩み事か?」

「うん……そんな感じ」


 エリーが作ってくれたココアをちびちび飲みながら、奏さんとベテルギウスについて話す。

 彼らの関係が政略結婚に近いものであること、ベテルギウスは歩み寄ろうと努力しても失敗していること、そして奏さんには想い人がいること。

 その話を聞いて、シリウスは難しそうな顔をした。


「そうか……。ベテルギウスは目つきのせいで怖く見えるが、根は真面目で優しい男だ。色々と誤解されやすいあいつに花嫁ができて、私も嬉しく思っていたのだが……」

「ねぇシリウス、このままじゃ結構マズい?」

「かなりマズい。花嫁を見つけた【一等星】は、他の女が近付くことすら厭うほど一途になってしまう。仮に婚約破棄したとしても、【一等星】……ベテルギウスの場合、あいつにとっての花嫁はカナデ・ココノエだけ。たとえ別の女性を妻として娶っても、見つけた花嫁への想いは一生消えないだろう」

「…………」

「それに、カナデ・ココノエも婚約破棄になり花嫁でなくなったら、ベテルギウスからの援助はなくなる。その娘の家はどう足掻いても会社を存続させるのは難しいはずだ」


 シリウスの話を聞いて、わたしはごくりと息を呑む。

【一等星】にとって、花嫁は守るべき大切な存在であると同時に、己の恋心を蝕む一生の呪いそのもの。

 彼の言う通り、たとえ婚約破棄をして奏さんを親元に返しても、彼女の両親の会社は倒産するか大企業に吸収合併される運命。

 ベテルギウスも、ちゃんと自分を愛してくれる女性と結婚しても、花嫁の存在が消えない限り抱いてしまった想いを抱いたまま。


 そんなの、どっちも幸せにならない。

 そう思ってしまうのは、シリウスと出会って今が幸せだからこそ。

 こんなの、上から目線のお節介。偽善そのものだ。分かってはいる、いるけれど……。


(それでも、あの二人も幸せになってほしい)


 どちらも傷つく未来より、少しずつ歩み寄る未来を選んでほしい。

 たとえ幸せ者の傲慢な提案だとしても、誰かの不幸を見て笑うような真似はしたくない。

 ずっと無言で思っていたわたしに、シリウスは何も言わず頭のてっぺんにキスを落とす。


「とにかく、今はレッスンに集中するべきだ。その二人のことは、ゆっくり考えていけいい」

「……うん」


 そう返事して、わたしはお返しとしてシリウスの左頬にキスをする。

 まさかわたしが率先してキスするとは思っていなかったのか、シリウスは驚いていたけれどすぐに笑みを浮かべて優しく抱きしめてくれた。



♢♦♢



 ……そう決めたものの、レッスン二日目から奏さんは徹底してわたし達を避けるようになった。

 ベテルギウスは少しでも歩み寄ろうと毎日送り迎えはしているものの、彼女は至って普通の気遣いすら拒絶し、可愛らしい見た目からは想像できないような罵声を飛ばす。

 その度にベテルギウスが涙を流すので、わたしとミナが一緒になって慰める羽目になる。


 そんな時でも千鳥さんは相変わらずで、レッスンは日に日に厳しくなる。

 社交場での挨拶ではカーテシー(よく絵本で見るお姫様がするお辞儀のこと)は絶対する動作。

 そのため周りが見ても完璧と思うほどのカーテシーを身につけなければならず、ただスカートの裾をちょっと持ち上げてお辞儀をするだけなのに、頭を下げる角度とか、スカートを持つ手の形とか、気をつける点が多すぎる。


 そのせいで屋敷に帰ってもカーテシーを含む行儀作法の練習ばかりしているし、みんなレッスンに集中しているせいで二人のことを気にする余裕もない。

 ようやく落ち着いたのは、親睦パーティーの当日まであと三日になった頃だ。


「よろしい。明後日は本番ですので、明日レッスンの集大成として一通りしてもらいます。初日もお伝えしたように、あなた方花嫁は否応なしに注目されてしまう。そのため、未来の夫である【一等星】の顔を立てるだけでなく、あなた方自身の気品を見せなければなりません。そうしなければ、花嫁なんてやっていけませんからね。今日は復習をほどほどに、しっかり休息を取るように。では、また明日」


 エメラルドグリーンのドレスの裾を翻しながら去る千鳥さん。

 扉が閉まると同時に、奏さんが鞄にレッスン用のテキスト(なんと千鳥さんの自作)と筆記道具を入れて、足早に去ろうとしていた。

 そのまま転移門もとい屋敷の門まで行こうとしている彼女を、わたしは慌てて止める。


「ま、待って! 奏さん!」

「……なんですか?」


 呼び止められた彼女は、若干苛立った顔をしていた。

 それは日に日に厳しくなったレッスンにではなく、好きでもない男の顔を立てるための礼儀作法を学ばなければならないことに対するストレスによるものだ。


 毎日送り迎えされ、話したくないのに話しかけ、一緒にいたくないのに食事を誘われたり……奏さんにとって、どれも火に油を注ぐ行為なのだろう。

 そんな顔を見てしまったら、ベテルギウスとはどんな感じとか、もう少し優しく接しなよとか、そんな彼女にとっては上から目線の言葉なんて吐けるわけなく……。


「えっと、その……明日のパーティー、楽しみだねっ」


 出たのは、とても差し当たりのない言葉。

 まあ、要するに―――逃げました。


 あああ~、わたしのバカ~!

 こんなところでチキるなんて! ええ、どうせわたしはチキンですよ! 文句ある!?

 ……あれ? わたしは誰に逆ギレしてるの? あれれ??


「…………楽しみじゃないですよ。パーティーなんて」

「え? ど、どうして……?」

「どうして? 当たり前じゃない! だって、私は好きでもない男と一緒に行くのよ!? これが楽しいと思える!?」


 わたしの返事にストレス値が振り切れてしまった奏さんは、怒りで顔を真っ赤にしながら大声で怒鳴った。

 その声に釣られて、ミナだけでなく千鳥さんとネモフィラもこちらに来てしまった。


「あ、あの、ちょっと落ち着いて……」

「あなたはいいわよね。花嫁にしてくれた人から愛されて! 私は……好きな人がいたのに、あんな男の花嫁になって……っ。嫌われればすぐに解放してくれると思ったのに、手放すどころか好かれようと必死になっちゃって……! それがどんだけイライラするかあなたには分かる!?」

「…………それは、分からない」

「でしょ? だったら――」

「――少なくとも。わたしは、あなたみたいに『自分は不幸です』の顔をして、色々と面倒を見て貰っているのに最低限の仕事もしないような女じゃない」


 わたしには、奏さんの気持ちは分からない。

 それでも、シリウスがわたしの自由のために一〇年も大変な思いをして、決して重くない大金を支払ってくれた。

 今は想い合っているけれど、恩人として少しでも恩を返せるようできることはしてきた。


 だけど、彼女はどうだ?

 確かに、奏さんの花嫁になった経緯は親やその周囲が勝手に決めたものだけれど、ベテルギウスの援助があるから会社は立ち直った。

 ならば、彼女のやるべきことは、会社を救ってくれた彼に少しでも恩を返すことであって、あんな風に嫌われて自由になることではない。


「奏さんがするべきことは嫌われることでも、文句を言うことじゃない。少しでも家の困窮を救ってくれた恩人に恩を返すことだよ」


 二人には幸せになってほしい。その気持ちは嘘じゃない。

 だけど、だからって、拒絶されてもなお健気に想ってくれているベテルギウスに悪口を言うのはダメだ。

 わたしの言葉に奏さんは何か言いたげに口を開こうとしたが、やがてキッと睨みつけるとそのまま足早に転移門に向かい消えていく。それを見ていた千鳥さんは小さく拍手をした。


「見事の反論でしたね。愛結まゆみさん」

「……いえ。少し言いすぎました」

「いいえ、むしろあれくらいで丁度いいくらいです。悲しいことに、花嫁の中には奏さんのような経緯で婚約した方もいます。しかし時間が経つにつれて仲が深まり、想い合えるようになる。……ですが、彼女の心はその例の片想い相手に占められているようです」


 そう、そこが一番の問題だ。

 奏さんがあそこまでベテルギウスに嫌っているのは、好きな人がいるのに身売り同然で花嫁にしたことだ。

 しかもその片想い相手が分からない。


(せめてその相手さえ判って、なおかつフッてくれたら後腐れがなくなるんだろうけど……)


 でも、それで彼女は諦めてくれるのだろうか?

 あそこまでベテルギウスを拒絶してまで想っているのだ。

 たとえ告白してフラれたとしても、諦めるという選択肢を奏さんは取る可能性はあるのだろうか?


 ……わたしなら、きっと諦めない。

 何を犠牲にしても、離れたくないと思える人と出会ってしまったから。


「……明後日のパーティー、無事に終わればいいなぁ」


 そう呟いた言葉は、千鳥さんだけでなくミナとネモフィラの耳に届いたけれど、彼女達は何も言わなかった。

 それだけが、今はとてもありがたい気遣いだった。

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