06.ベテルギウス
本乗せ歩きは、体のブレを修正させるだけでなく、姿勢を良くする効果がある。これを続けるとブレずに滑るように歩くことで、足音が小さくなる。
最初は歩かず立ったままで本を頭に乗せていたけど、姿勢が悪いせいで何度も本を床に落とす。
姿勢を良くするだけで一時間弱もかかってしまったけど、歩く時は少し危ないところはあったが本を落とさず一メートル歩くことができた。
何度も本の乗せたまま歩くのを繰り返せば、姿勢が大分良くなっていった。
千鳥さんから何度も厳しい指導が入り、その度に姿勢を良くしようと必死になった。休みなくレッスンが続き、ボーンボーンと柱時計が正午を告げた。
「おや、もうこんな時間ですか。今日は初日ということですのでここまでにします。昼食は用意させますが……いかがなさいます?」
「あー……えっと、今日はお昼いらないって言ってしまったので、お願いします」
「私はプロキオンが迎えに来てからお伝えします」
「……私はいりません」
「わかりました」
わたし達の話を聞いて、千鳥さんは部屋を出て行く。
その時すでに
「ま、待って!」
「な、なんですか……?」
「突然話しかけてごめんなさい。同じ花嫁として自己紹介したくて……ダメかしら?」
「い、いえ、すみません。私も勝手に帰ろうとして」
ミナの申し訳なさそうな態度を見て、奏さんは慌てて頭を下げる。
それでようやく、わたし達は自己紹介をすることができた。
「初めまして。わたしは
「私はミナ・ウォーカー。出身国はイギリス。よろしくね」
「
花嫁同士の自己紹介はどうすればいいか分からなかったから、ひとまず名前と出身国を伝えたけど、どうやら正解だったようだ。
魔法界では言語は統一化されるし、文字は日本語で書いたら英語に変換される。
いくら名前だけで告げても、どの国出身なのか分からない。だからこえ、あえて出身国を言うことで親近感を抱かせる……という作戦は無事成功した。
実際、名前と出身国を告げたら奏さんは少しだけ緊張をほぐした。
よしよし、この調子で仲良くなれるよう頑張ろう。
「えっと、カナデ……で、いいかな? あなたは何時から花嫁に?」
「高校卒業間近です。いきなりだったので、色々戸惑ってて……」
「なら、わたしが一番後輩かな? ミナが一番長いし」
「そう言われるとそうね」
ミナは花嫁歴が長いことを話すと、奏さんはぴくっと反応した。
「どれくらいですか?」
「長いと言っても、まだ二年よ。高校に入らないでそのまま
「わたしはまだ一ヶ月くらいだよ。ちょうど誕生日を迎えた日に花嫁になったの」
「そうなんですか……幸せそうで羨ましいです……」
話を聞いて、奏さんは少しだけ顔を暗くする。思わずミナの方を見ると、彼女も戸惑いながらこっちを見ていた。
な、なんであんな顔をするのか分からないけど……とにかく、他の話題を出そう。
「そ、そういえば、千鳥さんから聞いたけど、奏さんを花嫁にした【一等星】ってどういう――」
一か八か、相手の【一等星】のことを話そうとした瞬間、バンッと乱暴に扉が開いた。
一瞬シリウスかと思ったけど、扉を開けたのは大きい体格をした一人の青年だった。
硬い髪質をした銀髪、三白眼の金色の瞳、顔つきは精悍だけど目つきが悪いせいで、最初にヤかマがつく自由業の人だと思った。
だけど、彼の着ているローブはシリウスとプロキオンが着用しているのと同じだし、左手薬指と小指には見慣れた指輪をしている。
薬指は婚約式で授けられた指輪、小指は【一等星】の証である
彼が、ベテルギウス。奏さんを花嫁として迎えた【一等星】。
「カナデ」
ベテルギウスは奏さんの前まで来ると、彼女の名前を呼ぶ。だけど本人は彼を睨みつけるように一瞥すると、そのまま立ち上がって通り過ぎようとした。
その前にベテルギウスが奏さんの腕を掴んだ。
「待てよ、カナデ」
「触らないで!!」
しかし、その腕を奏さんが腕を大きく振って離した。それも大声で。
本気の拒絶を見せて、見ていたわたし達は驚きのあまり固まってしまう。
やっぱり、さっきのは気のせいじゃなかった!
奏さんは――本気でベテルギウスを嫌ってる!!
「何しに来たのよっ!?」
「迎えに来た」
「そんなの頼んでないしっ! 近寄らないでよ! 汚らわしい!」
自分の手を掴んだだけで、怒りのまま暴言を吐く奏さん。
だけどベテルギウスは、必死な顔をしながらも言う。
「それはできない。お前は俺の花嫁だ。そばにいるのは当然だろう」
「私はそんなの望んでないっ! あんなことがなければ、誰かあんたの花嫁になんかなってないわよ!!」
直後、ベテルギウスは固まってしまう。誰もが無言になる中、廊下の向こうで足音が聞こえてきた。
開けっ放しになっていた扉から顔を覗かせたのは、プロキオンだ。
「ミーナっ、もう終わったよね? マユミと一緒に王都のレストランでランチでも――って、あれ? ベテルギウス? 君も迎え?」
さ、流石はプロキオン。
こんな重苦しい空気なのに、あんな明るく話しかけるなんて……わたしなら真似できない。
「……ああ」
「そっか。じゃあ、君達も一緒に――」
プロキオンがランチに誘おうとしたが、その前に奏さんが手を払って小走りで走り去る。
ハニーブロンドが揺れる後ろ姿を見て、プロキオンは目を丸くする。
「ありゃりゃ、帰っちゃった。君が花嫁を迎えたのは知ってたけど……仲悪いの?」
ただ純粋にプロキオンが問いかけた直後、なんとベテルギウスはポロポロと大粒の涙を零す。
必死に嗚咽を漏らさないよう我慢していて、絨毯敷きの床に染み込んでいく。
知り合いが涙を流す様に、プロキオンは慌てて彼の背中を優しく撫でる。
「ちょちょちょ、ごめん! そうだよね、花嫁でも色々あるよね! とりあえず少し話そっか!」
絶賛むせび泣き中ベテルギウスを連れて王都のレストランでランチは難しくなり、結局千鳥さんに頼んで東屋で昼食を取ることになった。
人数を考えで、メニューはサンドイッチ。BLTサンドやオムレツサンド、魚を使ったサンドイッチなど色々種類があった。
わたしはあまり食べたことのない、サバとトマトのバケットサンドイッチを選んだ。
バケットはカリカリに焼かれていて、オリーブオルと塩だけで味付けしたサバは噛んだ瞬間脂の旨味がじゅわっと溢れ出る。トマトの酸味が相俟って、脂っぽさを感じない。
ミナはオムレツサンド、プロキオンはチキンカツサンドを食べるも、ベテルギウスはお皿の上にBLTサンドをぽつんと置くだけで一切口につけなかった。
「……改めて聞くけどさ、君って花嫁を迎えたんだよね? なのにあの嫌われようは何? 普通あそこまで拒絶されないよ」
「……やっぱり俺、嫌われてるのか……?」
「うん、嫌われてるね。完全に」
ばっさりと容赦なく切り捨てたプロキオン。それを聞いて、ベテルギウスはさらに肩を落とす。
その様子が怖いと思っていたのに、しょんぼりした大型犬に見えてしまった。
「……半年ほど前に参加したパーティーで、カナデを見つけたんだ。ひと目見て花嫁だって思った声をかけたかったんだが……俺ってこんなだから、怖がらせないようにずっと遠目で見ていたんだ」
(そっちの方が怖いと思うのはわたしだけかな?)
思わず二人の方を見ると、察したように苦笑した。
ですよね。同じこと思いましたよね。
「それで、人間界でできたツテを頼って、カナデの名前を知ったんだ。その後は彼女の両親に事情を説明して頼み込んで……卒業した際に魔法界に連れて来たんだ」
「でもその感じじゃ、奏さんはベテルギウスのことを全部知った上で花嫁になったんだよね? それにしては態度がひどいと思うけど……」
わたしの言葉に、ベテルギウスはさらに暗い顔をした。
「それが……花嫁になる了承をしたのはカナデの両親で、カナデ自身じゃないんだ」
「え。ど、どういうことっ?」
「カナデの父親は会社を経営していて、近年の不景気で倒産の危機に陥っているんだ。その時に俺が頼み込んだ際に『彼女を花嫁として迎えられるならなんでもする』って言ってしまって……彼女は会社を立て直す援助のために俺の花嫁になってしまったんだ」
「つまり……政略結婚ってこと?」
「ああ。しかもカナデには、好きな人がいる。まだ諦めていないみたいだ」
「そんな……」
政略結婚――自己や一族が利益のために、結婚することになる当人達の意向を無視してさせる結婚。
言葉としては知っていても、実際それをしている人を見るのは初めてで動揺してしまう。
ベテルギウスと奏さんの場合、互いの認識のすれ違いと、花嫁本人に別の想い人がいることによって不仲になってしまい、今の状態が続いているらしい。
一応、花嫁の義務である朝食作りはしているが、奏さんの作った朝食はどれも料理と呼べる代物ではないらしい。
黄身も白身も固くなった目玉焼き、黒焦げのウィンナー、スープは生温い上に具材に火が通っていないことが多い。唯一まともなのはトースターだけ。
嫌われる前提でわざと作っているのか、それとも単純に料理に不慣れなのか。
どちらも可能性としては高いが、それでもあまりにもひどすぎる。
そのせいで最近ではベテルギウスの家憑き妖精であるローズが、代わりに朝食を作っている。
「うーん、彼女には同情するけど……花嫁に選ばれた以上、仕事はちゃんとやらないとダメだよ。それにいくら本人の意思に反したとはいえ、ベテルギウスのおかげで会社が立ち直ったんだから、恋人は無理でもせめて恩人として接するのが礼儀でしょ」
意外にもプロキオンが辛辣な言葉を吐いた。でもわたしはそれを否定しなかった。
彼の言う通り、以前のわたしもシリウスのことを恩人として朝食作りや仕事の手伝いをしていたし……色々とあったが、今はちゃんと未来の旦那様として見ている。
彼女も最初から恩人として接していれば、少しは変わったかもしれないのに……。
(でも、そんなのは結果論だ)
事実、今の二人の仲はとてもじゃないか良好とは言えない。
せめてレッスンの間だけでも、彼女から話が聞いて、その上で少しは歩み寄るよう説得しなければならない。
このままでは、どちらも辛いだけだ。
(……とりあえず、今日のことはシリウスからも意見を貰おう)
そう決めたわたしは、残ったサバサンドを口の中に放り込んだ。
サバサンドは、時間が経っても変わらず美味しかった。
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