05.九重奏

 一夜明け、今日から千鳥ちどりさんの礼儀作法の指導が始まる。

 こればかりはいつもより早起きしなくてはならず、眠気眼のまま厨房に向かう。

 今日の朝食のメインは、ミートボールのトマト煮だ。


 ミートボールは人間界の時ではよくスーパーで買って済ませていたが、せっかくなので一から作ってみたくなり、今日の朝食のメインにした。

 まず最初に、ボウルに牛と豚の合いびき肉、塩、胡椒、パン粉を入れてよく練り混ぜる。これを一口サイズに分けてコロコロ丸める。合計一二個できた。


 次にベーコン、玉ねぎ、ニンジン、ニンニクを粗みじん切りにし、フライパンにオリーブオイルを大さじ一入れながら熱し、さっき作ったミートボールの肉だねを入れる。

 両面にこんがり焼き目がついたら、焼いている最中に出た脂を落としながら一旦取り出す。


 そのままさっき切った具材を入れ、玉ねぎが飴色に色づいたら小麦粉を投入。粉っぽさがなくなるまで炒めたら、昨日エリーと一緒に作ったトマトの水煮、水、塩を加えて弱火で数分ほど煮込む。

 煮えたら先程のミートボールを戻し入れて混ぜて蓋をして、また弱火で数分煮込む。


 その間にトーストをトースター(もちろんそれに似せた魔法道具。呼び名は魔法界こっちでも同じ)で焼き、サラダを用意。今日のサラダは裏の庭で取れたミントサラダだ。

 煮込み終えたら盛り付け、仕上げにパセリをふりかければ完成……だけど、その前にちょっと味見。


 小さいフォークでミートボールを一個刺し、そのままパクッ。

 うん、しっかり火が通っていて、トマトの酸味がいいアクセントになっている。肉汁が口の中でじゅわっと広がり、一緒に入れた具材は煮込んでいてもそれぞれ食感に差異はあるけど、それが逆に食欲をそそらせる。


 今日の朝食の出来に満足したわたしはいつものように調理器具を片付けてくれていたエリーに魔法で料理を運んでもらい、エプロンを取って食堂に向かう。

 いつも通り入ると、すでに身支度を終えたシリウスがいて、今日も美しい姿勢で紅茶を飲みながら新聞を読んでいる。


 今日からしばらく朝早くなると伝えたら、なるべく一緒に食事をするために無理して早く起きてくれたのだ。

 ……本当に花嫁には甘い魔法使い様だ。いつも感謝しています。


「おはよう、シリウス」

「おはよう、マユミ。今日も旨そうだ」


 そうして、いつも通り丁寧な所作でカトラリーを使い、シリウスは嬉しそうに朝食を食べる。

 やっぱり、自分が作ってくれたものを美味しく食べてもらうのは本当にいい。

 毎日メニューを考えるのは大変だけど、この顔を思い浮かべるとそんな苦労も軽々と乗り越えられる。


 そうして朝食を終えて、エリーが魔法で食器を下げる。

 食後の紅茶を一杯飲んで、わたしはようやく椅子から立ち上がる。


「さて、と……じゃあそろそろ行くね」

「ああ。チドリに何かひどいことを言われたら、すぐに教えてくれ。容赦なく苦情を言ってやる」

「さ、流石に初日でそれはないんじゃないかな……?」

「とにかく、気をつけて行ってこい」


 シリウスは椅子から立ち上がると、そのままわたしの元に近寄り、頬にキスを一つ落とす。

 う、うわぁ……今のっていわゆる『行ってきますのキス』!?

 あれって漫画とかの二次元の産物じゃなかったんだ!


「シ、シシシ、シリウス!」

「どうした? 私はただ、夫として外で頑張る妻を応援するためにキスしただけだぞ?」

「う、ううう~~っ!」

「さて我が妻よ。これから半日以上も一人で仕事に励む夫に、何かすればいいのか……分かるな?」


 真下から見下ろされ、色気のある眼差しを受けて、わたしの目はもう回っている。

 生まれて一七年、色恋どころか同年代の女子との友情すらなかったわたしに、シリウスのような大人の色気満載の男の人に対する耐性なんて持ってるわけない!

 でも……だけど、いつもわたしの我儘を叶えてくれる彼に、少しでも何かを返したいという気持ちもある。


「えっと……じゃあ、あの、ちょっと屈んでほしいかな……」

「……ああ」


 頬を赤くながら言ったわたしの頼みに、シリウスは嬉しそうに微笑む。

 屈んだことで整った顔が近くなり、自然と目を閉じられてまた顔の熱が高くなるのを感じながら、わたしは緊張気味に彼の頬に唇を優しく押し付ける。

 まるで子供が親にするようなキス。でも、今のわたしにはこれが精一杯。


「えっと……これで、いい?」

「ああ。もちろんだとも。だが、次からは息を止めないでしてくれ」

「…………はい」


 どうやら色恋に関しては、何年かかってもシリウスには敵う気がしない。

 それを朝から身を以て痛感させられるわたしだった。



 昨日みたいに転移門を使って、千鳥さんの屋敷に入る。

 玄関の前に待機していたネモフィラが案内したのは、少し広い部屋。

 室内にはソファとか蓄音機を乗せた棚とかの最低限の調度品、それと三人分の机と椅子が用意されていた。


「マユミ!」

「ミナ! 久しぶり!」


 部屋にはすでにミナがいて、初夏に相応しい薄緑色のワンピースを着ている。ちなみにわたしが着ているワンピースの色は薄水色。

 久しぶりの再会に喜んでいると、また扉が開いて一人の少女が入って来る。

 ハニーブロンドのゆるふわな髪、琥珀色の垂れ目、幼げな顔立ちからは不釣り合いな暗さがあるも、それすらも庇護欲を誘う。


 歩美あゆみとは別種の美少女で、着ているワンピースは淡い桃色。

 きっとあの子が、ベテルギウスの花嫁――九重奏ここのえかなでさんだ。

 彼女はわたし達の方に目もくれず、そのまま窓際の席に座った。


「えっと……あの子か九重奏ここのえかなでさん?」

「そうよ。でも、なんだか少し元気ないみたい……」


 自然と小声で話していると、ノックをしてから千鳥さんが入って来る。

 エメラルドグリーンのドレスを着た彼女の登場に、わたし達は急いで席に座る。

 千鳥さんは席に座ったわたし達を見て、自然と背筋を伸ばした。


「本日から皆様に礼儀作法を学ばせていただく皆嶋千鳥みなじまちどりです。さっそく指導に入らせたいと思いますが……初日ですので、基礎から始めます」


 そう言って、千鳥さんは杖を振るとわたし達の前に本を一冊ずつ机の上に置いた。

 わたしに用意された本のタイトルは、『夫の手綱を握る一〇〇の法則』ってやつなんだけど……狙ってませんよね!?


「これからその本を頭に乗せ、姿勢と歩行の修正をします。いわゆる本乗せ歩きです。それがクリアすれば、カーテシーや立食パーティーでのマナーをいくつか学びます。これさえクリアすればパーティーには間に合うでしょう」

「あの……チドリ様、質問よろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ。ミス・ウォーカー」

「学ぶ内容は理解できましたが、一般的なテーブルマナーやダンスは今回教わらないのですか? パーティーと言っていたので、てっきりそういうことも学ぶものかと……」

「ミス・ウォーカーの言う通り、参加するパーティーなどによってはダンスをしたり、テーブルマナーが必要な場合があります。ですが、王弟殿下が主催するパーティーでは基本は立食なので、そのようなことは必要ありません」


 聞けば、親睦パーティーを含める夜会はほとんどが立食で、テーブルマナーが必要な会食などに参加する機会はあまりない。

 ただ、花嫁には花嫁の集まりがあるらしく、そこではテーブルマナーが必要とされているが、その機会が訪れるのはまだ先らしい。


「これからあなた方は、【一等星】の花嫁、ひいては将来的に彼らの妻として、公の場に立たされることが多いでしょう。煌びやか世界では、表とは違う顔や言葉を話す者も【一等星】を疎み失脚させようと画策する愚か者も、それなりの地位にいれば等しく夜会に招待されます。その際に、あなた方の一挙手一投足を見て、心にもない言葉を言われるはずです。……ですが、それだけで臆してはいけません。【一等星】の花嫁というのは、あなた方が思うよりもずっと特別で羨望を集める地位。その地位を手にしたなら、一層毅然とした態度でいなさい。でなければ、この先も愛する人と共に生きてはいけません」


 とても重々しい口調で言われ、わたし達は息を呑んだ。

 花嫁としての経験を多く踏んだ千鳥さん。彼女という花嫁の大先輩がいるからこそ、【一等星】がどれほど特別で、彼らに選ばれた花嫁がどんな目で見られているのか思い知らされる。

 隣にいるミナは覚えがあるのが無言になっているのを横目に、わたしは奏さんの方を見た。

 奏さんは顔を俯かせて、スカートを両手でぎゅっと握り締めていた。彼女も千鳥さんの話を聞いて色々と思うところがあるのだろう……と、この時はそう思っていた。

 だけど、千鳥さんとミナには聞こえなくても、わたしにだけ聞こえた声のせいでその考えが変わる。


「なんで……あんな奴のためなんかに……」


 そう言った奏さんの声は、聞いていたこっちですら困惑するほどど、嫌悪感と怒りが滲み出ていた。


(……え? な、なんで? なんでそんなこと言うの……?) 


 彼女はベテルギウスの花嫁なんだよね?

 わたしとは違うけれど、相手に望まれたから、受け入れて花嫁になったはず。


 なのに……どうして、あんなことを言うの?

 あんなのまるで――ベテルギウスのことが嫌いみたいじゃない。


「では、まずは本乗せ歩きから始めます。さあ、立って!」


 わたしが奏さんに声をかける前に、千鳥さんがパンパンッと手を叩いて指示を出す。

 色々と気になるけれど……とにかく今はレッスンに集中しないと。

 そう思い直したわたしは、机の上に置いてあった本を手に取り、そのまま頭の上に乗せた。

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