第二章

01.日常

「そ~っと……そ~っと……」


 自分の髪の色と同じ、紫を帯びた黒い杖を手に持ちながら、わたし、小鳥遊愛結たかなしまゆみは必死に荷箱を浮かせていた。

 ここは、魔法使いや魔女……御伽話の存在と思われていた者達が暮らす魔法界。一ヶ月前、一七歳の誕生日を境にこの世界にやってきた。


 今、わたしが浮遊魔法を使って浮かせ運んでいる荷箱は、その魔法使いの生業である魔法植物が入っている。

 魔法植物っていうのは、文字通り魔力を帯びた植物のこと。一番有名なところだと、ファンタジー小説で出てくるマンドレイクもといマンドラゴラ。

 もちろんそれもあるけど、目の前の荷箱に入っているのは鬼灯草ほおずきそうと呼ばれる、ビー玉サイズの鬼灯みたいな実がたくさんついた草。


 ちょっとの衝撃を与えると実が弾けてしまうため、運送する際は何重にも緩衝材を詰め込んだ荷箱に入れて、なるべく慎重に動かさなければならない。

 特に今回この鬼灯草を買った相手が、魔法省直属の魔法薬研究所のお偉いさん。

 外傷ならば数時間で完治する薬(しかも高価)の主材料であるため、できるだけ実を弾けさせないようしなければならない。もし一つでも弾けたら、連鎖的に他の実も弾けるのだ。某有名なパズルゲームみたいに。


 必死の形相で荷箱を浮かせ、ちょうど屋敷の門の前で止まっている馬車に運ぶ。

 御者さんがこっちを見てハラハラしながら見守る中、わたしが荷箱を馬車の中に入れ、そっと下ろす。鬼灯草は弾けたらパンッて音がするけど、幸いその音はしなかった。

 深く息を吐いて、御者さんが荷箱を振動で絶対に動かないよう魔法をかけると、にこやかな笑みを浮かべて羊皮紙と羽ペンを渡してきた。


「では、ご確認のサインを」

「あ、はい」


 前より使い慣れた羽ペンを受け取り、一番下の空欄に自分の名前を書く。

『小鳥遊愛結』と日本語で書かれた名前は、ぐにゃぐにゃと文字が動いて『Mayumi Takanashi』と英語表記になる。

 これは翻訳魔法の一種で、相手の母国の文字で書いても魔法界の文字――主に英語――に変わるのだ。


「サインありがとうございます! またのご贔屓に!」

「はい、ありがとうございました」


 御者さんは笑顔で会釈し、御者台に乗るとそのまま手綱を引く。馬が嘶き声を上げると、馬車は車輪をガラガラ回しながら屋敷から遠ざかって行った。

 それを見送って踵を返した瞬間、温かい何かがぎゅっと抱きしめてきた。


「わっ!?」

「お疲れ、マユミ」

「シリウス!」


 わたしを抱きしめたのは、誰もが見惚れる絶世の美男。

 艶やかな黒髪、雪みたいに白い肌、精悍な顔立ち、そして何よりも目を惹く灰色の瞳。


 彼こそが、わたしをこの魔法界に連れて来た二一人しかいない最高位魔法使い――【一等星】シリウス。 

 そしてわたしは、彼の〝花嫁〟としてこの屋敷で暮らしている。


「無事に鬼灯草を運べたな」

「うん、たくさん練習したからね……でも今朝になっていきなり、『今日の鬼灯草運搬の仕事を任せる』なんて言われた時は驚いたよ!」

「そうだな。驚きすぎてジャム瓶を派手に落としたしな」


 今朝の醜態を思い出して、くつくつ笑うシリウスの胸をポカポカ殴る。

 うう、この世界に魔法があってよかった……。絨毯の上に落ちたジャムなんて、普通にやっても完全に落ちないもの。

 数秒ほど殴り続けてようやく気が晴れたわたしは、一度咳払いしてからいつも通りの態度に戻る。


「ごほん……ところでシリウス、今日の仕事は?」

「早めに終わった。元々、収穫も剪定もあまりなかったからな。本当なら昼食したいところだが……まだ少し時間があるな」

「それなら、裏の畑に寄っていい? まだ水をやってないの」

「そうか。なら一緒にやろう。ついでに水やりが簡単にできる魔法を教えてやる」

「やったぁ! ありがとう、シリウス!」


 相変わらず優しい彼に甘えながら、わたしはシリウスの腕を組む。

 本人は驚いて目を丸くしていたけれど、すぐに笑って紳士的にエスコートしてくれる。


 これが、わたしとシリウスの日常。

 一緒にごはんを食べて、仕事の手伝いをして、魔法の勉強をして、眠くなるまでおしゃべりをする。

 そんな当たり前すら長い間なかったからこそ、この一分一秒すら愛おしい。


 今まで手に入らなかった幸せを手にして、わたしは毎日のように感謝する。

 神様、わたしを彼の花嫁にしてくれてありがとう―――と。


 だけど、わたしはまだ知らなかった。

 花嫁に選ばれた人間の女性が、誰しもそれを望むわけではないことを。

 魔法使いがどれほど愛情を捧げようとも、花嫁が同等の愛情を返してくれるとは限らないことを。


 そのことで悩み、苦しみ、悲しむ魔法使いと花嫁がいることを。

 わたしは一生忘れない。



♢♦♢



 さて、ここで魔法界について説明しようと思う。

 魔法界は二一の地と一つの王都があり、王都は王族、二一の地は【一等星】が治めている。

【一等星】の一人であるシリウスも屋敷がある土地を治めている。それが東に位置するこの『セイリオス』だ。


 魔法素材となる植物やセイリオスしかいない魔法生物が生息する土地で、王都と比べて田舎寄りだけど空気が美味しい。そして土地の性質上、野菜や果物は他と比べて糖度も栄養価も高い。

 周りは山に囲まれているけれど、川魚や山菜は捕れるし、昔と比べて交通の便が良くなって海の幸も入るようになったけれど、それでもやはり海沿いの方には敵わない。


 さらに面白いのは、土地によって衣装や食事が異なるのだ。

 この世界は人間界から着想を得た衣装や料理がたくさんあり、東と西、それから王都にかけては西洋文化が根付いている。

 しかし南だとハワイなどの南国文化、北だと日本を含む東洋文化が築き上げている。


 シリウスの友人であり同じ【一等星】プロキオンは、西の地の一画である『ラクーン』を治めていて、ユニコーンやグリフィン、さらにはドラゴンなどの有名な魔法生物の飼育・管理をしている。

 お世話をする際に採取できる毛や羽根は全部魔法薬や服などの素材になる。現にこの世界に来た際に渡された花嫁の証でもある夜空色のローブは、ユニコーンの毛を主体に複数の魔法生物の毛を使って織られており、夏は涼しく、冬は暖かく通年を通して使えるようになっている。


 ……さて、わたしが何故ここでこの魔法界の土地について語ったのか?

 疑問に思う方がいるかどうかは分からないけれど……答えは簡単、復習もとい明日のための予習だ。

 この世界に来て一ヶ月になるというのに、婚約式をするために王都に行ったっきり、屋敷の敷地から出たことがないわたしのために、シリウスが明日の朝市に連れて行ってくれるのだ。


 セイリオスの朝市は、毎週日曜日の朝六時からやっていて、新鮮な果物や野菜だけでなく、モーニングセット――人間界ではよく見かけるカフェの朝食セットを提供しているところもある。

 今後とも魔法界に生きていくには、この世界での生活様式を知ることも必要で、実を言うとあまりレパートリーのない朝食の参考になるメニュー開発のために、今回の外出を決めたのだ。


「そうだ。マユミ、君に渡したいものがあるんだ」

「え?」


 今日の仕事も、この前出された宿題の答え合わせを終えたアフターヌーンティー。

 明日の朝市を楽しみにしながらマカロンを食べていたわたしに、シリウスが長方形の箱をテーブルの上に置いた。黒い厚紙で作った箱を受け取り、ゆっくりと中を開ける。

 その中に入っていたのは、丸みのあるケース。深いインクブルーのケース、その中身はわざわざ開かなくても分かった。


「これって……もしかして、眼鏡?」

「ああ。君がかけていたものと似たものだ。ただし、ちょっとした認識阻害や形状変形、さらに位置を知らせる魔法――分かりやすく言うと、GPSに近いものがかけられている」


 シリウスの説明を聞きながら、パカッと眼鏡ケースを開く。

 中に入っていた伊達眼鏡は、生みの父――あらたさんがくれたものと似たデザインをしていた。


 母親に似た顔をなるべく隠すためにかけていた伊達眼鏡。

 半月前、己の身勝手な願いのためだけにここまで押しかけてきた彼らと決別した際に突き返した。

 あの伊達眼鏡には未練はないが、長年使用していたせいか無意識に探してしまっていたことに、彼はもうとっくの昔に気付いていたようだ。


「嬉しいけど……どうしてこれを?」

「君にとって眼鏡はあまりいい思い出のない物だと分かっているが……その可愛い素顔を、あまり他の人に見せたくないのでね」


 キザったらしい台詞を言ったシリウスが、わたしの髪をひと房手に取ると、そのままキスをする。漫画でしか見ないシチュエーションを目の前でやらされ、わたしの顔は一気に赤くなる。

 よ、よかった! 部屋にあったヘアケアグッズを使っといて! 使い方教えてくれてありがとうエリー!!


 真っ赤になった顔を隠すように、あたふたしながら眼鏡をかける。

 弦とブリッジが黒の縁なし眼鏡。レンズの形がスクエアなのも、前の眼鏡と同じだ。

 いつものようにかけて、シリウスの方を見ると、彼は愛おしそうに顔を緩ませる。


「やはり、君は眼鏡をしていても可愛いな」

「…………」


 真正面から受けた甘い言葉のせいで、わたしがまた顔を真っ赤にしながら黙り込んだのは言うまでもない。

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