17.キス

「え……?」


 わたしが……シリウスの初恋……?

 衝撃的な告白を告げられ、わたしは呆然と彼の顔を見る。

 相変わらず綺麗な顔だ。肌は雪花石膏アラバスターのように滑らかで白く、鼻筋はすっと通っている。端正な顔立ちは男らしさと優雅さの両方を持っていて、本当にわたしみたいな女にはもったいない。


 じっとシリウスの顔を見つめていたせいか、彼は少しだけ気まずげに目を逸らすと、ごほんと気を紛らわすように咳払いをする。

 そしてまだ雨が降る外を見つめた。


「……【一等星】は、他の等星と違い、その称号を得る者は必ず二一人と限定されているんだ」

「限定……?」

「そう。たとえば【一等星】……この場合、私に置き換えよう。当代シリウスに相応しい器を持つ次代シリウスがどこかで生まれた。その際、当代は次代を生まれてすぐに引き取り、新たなシリウスとして育てることになる」

「そ、それって……次代の子供を親元から引き離すってこと?」

「そうだ。たまに次代の両親が一緒に暮らしたいと申し出ることがあり、その時は国王陛下の許可を貰って暮らすことも可能だ。……だが、ほとんどは喜んで差し出すな。次代の【一等星】を生んだ家、というだけでも箔付けとしても充分だからな」

「…………」


 初めて聞かされた【一等星】の情報に、わたしは何も言えない。

 シリウスも、プロキオンも、アンタレスさんも、きっとこれまでの【一等星】のように、親から引き離されて、先代に育てられたのだろう。

 それがどれほど大変なのか、何も知らないわたしでは想像もできないのに、シリウスはさらに衝撃的な告白をする。


「当代は一〇年かけて次代【一等星】として相応しい教養を与え、己の中にある魔力を次代へ移す。魔力を移し終えた先代は【無星】となり、新たな名を貰って魔法使いとして一線を退くのだ」

「え……っ!?」

「元々、次代が生まれるのは、当代が【一等星】の持つ魔力を制御できる器に衰えが生じたという魔法界からの宣告なんだ。【一等星】は絶対に欠けてはならない。……たとえ、次代の生まれがどんなものだろうが」


 自嘲気味に言うシリウスに、わたしは思わず彼のシャツの裾を握る。

 次代が育てば先代はお払い箱なんて……そんなの、まるで使用済みの乾電池を変えるような気軽さだ。

 彼ら彼女らだって、意思を持った人間なのだ。そんな風に扱われていいわけがない。


「私の産みの母親は【無星】……それも花街のとある娼館にいた娼婦だった。体が弱かったから、私を生んですぐに亡くなった。先代は次代の器に選ばれた私を引き取り、この屋敷で【一等星】として育ててくれた。……だが、先代には妻と息子がいた」

「!」

「たまに【一等星】の間に生まれた子供が次代の【一等星】だったパターンもあるが、そんなのは稀なことだ。しかし先代の母君が【一等星】を生んだ魔女だったこともあり、その妻も【一等星】を生むよう周りから言われ続けていた。……だが、結果はご覧の通りだ。【無星】の、それも花街の女の子供が【一等星】で、自分の息子は魔法が使えるただの子供。その事実は彼女の心を傷つけるには十分だった」


 シリウスの口から語られる彼の過去は、とても重い。

 それこそ、わたしの過去と引けを取らないほどに。


「その結果、妻は私を『シリウス』と呼びながらも内心では次代と認めず拒絶し続け、息子の方は魔法の特訓と称して呪いを飛ばしてきた。もちろんひどい時は先代が前に立って二人を叱ったが、普段は放置だった。『あれも訓練の一つだ』と言っていたが……本当は後ろめたさがあったから、強く言えなかったんだろうな」


 自嘲な笑みを浮かべながらも、シリウスは自分の左手の小指にしてある印台指輪シグネットリングを見つめた。


「一〇年が経ち、無事『シリウス』となった私は、先代一家を王都の貴族街に隠居させ、そこから魔法学校に通って魔法の腕をさらに磨いた。卒業後は【一等星】として相応しい仕事をしていたが……周りからは『出来て当然』だと言われて感謝されず、玉の輿狙いの女からは昼夜問わず狙われる。そんな日々のせいで私の心はみるみる消耗し……ある日、屋敷を出て人間界に逃げたんだ」

「人間界に?」

「ああ。【一等星】は手形を発行しなくても、いつでも人間界に行ける。その権限を利用して、私は自分を都合のいい道具としか見ない魔法界ここから逃げた。あんな風に衝動的になったのは、後にも先にもこの時かもしれないな」


 再び苦笑を浮かべながら、シリウスはわたしの方を見た。

 泣きそうだけど、優しい笑みを浮かべながら。


「……私が人間界に来たその日、春だったのに雪が降っていた。雪の中を歩く内に、激情で血が上っていた私の頭も冷えてきて、いつ魔法界に帰ろうか悩みながら、公園のベンチに座っていた」


 春。大雪。公園。

 それぞれの単語が、わたしの中で主張するように頭の中でぐるぐる巡ったけど、その前にシリウスの右手が私の左頬を撫でた。


「……その時だ、その公園に君が現れた」

「わ、たし……?」

「ああ。真夜中なのに、一人で雪遊びをしていた君は、私のことを『おじさん』って呼んだ。その後、ぼーっとしていたと言った私に『こんなに寒いのに? お兄さんはバカなの?』って言ったんだ」


 う、うわー!! 昔のわたし、超失礼じゃん! 本当にごめんなさい!!

 過去の自分を殴りたいほど猛省したい気持ちになるも、内心ではひどく嬉しかった。


 あの雪の日に出会ったお兄さんが、シリウスだった。

 そして彼は、ずっとわたしを覚えていてくれた……っ。


「あの時の君は、母を捨てることはできないと泣いていた。そんな君がとても健気で、可愛らしくて…………恥ずかしながら、初めて『恋心』を抱いてしまった」

「こ、恋……っ」


 真っ直ぐな目で言われて、わたしはあわあわと挙動不審になる。

 それすらも彼の目には愛しく映っているのか、小さく笑うとわたしの額にキスをした。

 チュッと小さなリップ音が鳴る。その唇の感触はあの日、幼いわたしにしてくれたキスと同じ柔らかさだった。


「私はあの日、決めたんだ。君を花嫁にすると。その時の気持ちは、今も昔も変わらない」

「…………」

「それでも君は……母の元に逝きたいのか? 私を置いて」


 ……ああ、なんて卑怯な言い方なのだろう。

 ここまで言われて、考えを改めないなんてありえないのに。

 あまりにもチョロくて、意見をコロコロ変えるなんて……自分勝手なのはわたしも同じ。あの二人に偉そうなことが言えなくなる。


 でも、それくらい熱かった。

 冷たい灰色の目が、わたしを焼き焦がすように熱く見つめてくる。

 その熱さが、彼がわたしに抱く恋情によるものだと気付かないほど、わたしは鈍くないはずだ。


「……シリ、ウス……」

「なんだ?」


 優しく頬を撫でる無骨な手。

 優しく名前を呼ぶ低い声。

 優しく見つめる熱い目。


 ああ、どれも手放すことなんてできない。

 こんなにも、わたしを愛してくれているのに。

 それを拒んで手放そうだなんて、自分はなんて愚かだったのだろうか。


「わたし、あなたが思う以上にひどい女よ」

「そうか」

「こんな風にうじうじ悩むし、またあなたを傷つけることを言うかもしれない」

「そうか」

「でも。もしも、もしも許されるなら――」


 頬を撫でる手に自分の手を重ね、目の前の魔法使いに乞い願う。


「――わたしは、あなたの花嫁として、幸せになりたい」


 病める時も、健やかなる時も、死が二人を分かつまで。

 その時まで、あなたの隣で幸せに笑いあいたい。

 わたしの心からの願いに、シリウスは驚いて目を見開くも、すぐに微笑んだ。


「ああ、もちろんだ。私の花嫁は、君だけだ」


 そう言って瞬きを一つしたシリウスの顔が近づいてくる。

 今のわたしには、それを拒むことはしなかった。

 だって……わたしだって、同じ気持ちだったから。


 ゆっくりと、シリウスとわたしの唇が重なる。

 最初は互いの柔らかを確かめるように、ゆっくりと。

 すぐに離れてしまったけど、あれだけでは全然足りない。


 二度目のキスは、角度を変えて深く求めあう。

 唇を食まれて、温度を伝えるようにじっくりと触れて。

 でも息苦しくなって、ゆっくりと唇を離すと甘い吐息がかかり合う。


 するとシリウスは、おもむろに布団の中に入り込むと、そのままわたしを抱きしめて横になる。

 一気に近くなった彼の距離と香水の匂いに、戸惑いながら腕の中で顔を上に上げる。


「シリウス?」

「もう寝よう。朝までそばにいる」


 指先で髪を梳きながら言った彼の言葉に、わたしは何も言わずこくりと頷く。

 それを見て微笑むと、シリウスはまたわたしの唇と自分の唇を重ねる。

 それは、『おやすみ』と『そばにいる』と伝えてくれる、優しいキスだった。

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