14.相反する身勝手な願い
「は? 帰るわけないじゃん」
父の話を聞いた直後、わたしの口から出た返事。
それが、冒頭のそれだ。
いや、だって意味が分からない。
この人達――正確には
たとえ父にそのつもりがなかったにせよ、彼がわたしを見捨てた事実は変わりない。
それ以前に、わたしは彼らの元に帰ることすら望んでいない。
なのに、何故そんな思考になっているのか。
わたしの返事を聞いて、何故か父はショックを受けているようだけど、そんなの知ったことではない。
「な、なんで……?」
「なんで? だっておかしいじゃない。わたしが家に帰るの前提で話してる。一度でも、わたしがあの家に、わたしを家政婦扱いしてまともに娘として扱ってくれない家に、どうして帰りたいって思うの?」
「それは……もちろん、帰ったらちゃんと
「それもおかしい。わたしを
……そう、誰もわたしを家族として見てくれなかった。
この
でも、それが父親として面倒を見ていると言っていいのか? それ以前に彼らは一度でもわたしを〝家族〟として見ていたのか?
――答えは否だ。
歩美はどっちつかず、早苗さんはあからさまだったし、父は中途半端に接していた。
あの家の中では、わたしは〝家族〟の一人ではなかった。
わたしは、一方的に捨てて死んでしまった恋人の娘。
己の都合で捨てた母への罪悪感があったからこそ、父はわたしを引き取った。
もちろんそこに愛情はあったかもしれないが、そんなの知ったことではない。
「……とにかく、何と言われようとわたしは家に帰らない」
「愛結……」
「そんな顔してもムダだよ。……もう、遅すぎる」
そう、遅すぎた。
もっと早く父が早苗さんを説得していれば、二人の娘としてちゃんと迎えてくれていたら、きっとわたし達はまともな家族としていられた。
その努力を怠ったのは、他でもない父だ。
もはや和解の余地なしと通知を突きつけたわたしは、すっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲む。
流石というべきか、エリーの紅茶はたとえ冷めても美味しさは変わらない。
沈痛な面立ちで項垂れる父に、シリウスは深く息を吐いた。
「話は終わったようだな。エリー、玄関までお送り――」
「いいえ。まだ話は終わっていないわ」
最後まで言い切る前に、早苗さんが遮る。
その態度にシリウスの眉間の皺が深くなるも、それを気にしないまま早苗さんは意味深な顔で言う。
「あなた……シリウスさんと言ったわね? どうして愛結ちゃんの夫なんて言ったのかしら?」
「彼女が私の妻として相応しいからだ。ならば、私が夫と名乗っても別に問題はない」
「そうね、その考えは正しいわ。でも……それはちょっと早計ってものじゃない?」
「早計だと?」
早苗さんの言い方に、シリウスの眦がぴくりと動く。
反応を示したことで、早苗さんは少しだけ声を高くしながら
「ええ。だって、あなたのような綺麗な人なら、愛結ちゃんより歩美の方が隣に立つのが相応しいわ」
「は……?」
にっこりと笑みを浮かべる義母の言葉に、流石のシリウスも胡乱な声を出す。
それに対してわたしは言葉を失い、父なんて完全に寝耳に水だ。
「早苗、一体何を言って――」
「歩美はあたしに似て美人だし、
「…………」
「この子を本当に娶ったら、将来苦労するのはシリウスさんの方よ。なら、今ここで相手を変えた方がいいじゃないかしら? 愛結ちゃんなら一人でも生きられるだろうし、いつどこかに捨てたって何の心配もないわ」
あまりの物言いにシリウスは言葉を失い、さらにはさっきよりも深いため息を吐いて頭を抱えた。
当然だ。あんな風に言われて困惑しない方がおかしい。
そして、彼女に貶されたわたし自身も。
(何これ? どうなってるの……?)
もう訳が分からない。
家に帰ろうと言った父に、わたしではなく歩美が花嫁として相応しいという早苗さん。
相反する身勝手な主張。でも、どちらも嘘偽りのない本心だ。
父は本気でわたしに家に戻って、四人で家族をやり直したい。
対して早苗さんは、歩美をシリウスの花嫁にさせるだけでなく、どちらの家にもわたしを置かせないようにしたい。
なんとも勝手過ぎる。父も、義母も、自分のことしか考えていない。
その時、くしゃっと本当に小さな音が聞こえてきた。
思わず顔を上げると、歩美は太腿の上に置いた両手を握り締めていて、ワンピースが握った際に歪んでいる。
母親と同じく肩の上まで切り揃えられた黒髪。その前髪から覗く彼女の顔は、苛立ちと侮蔑の二つが滲み出ていた。
初めて見るその顔に、わたしは思わず息を呑む。
今までも歩美は基本的無表情で、一体何を考えているのか分からなかった。
だけど、今は前髪で隠した目がにこやかな笑みを浮かべる早苗さんに向けられていた。
「ねえ、愛結ちゃん」
その時、早苗さんがわたしを見た。
愛想のいい笑顔から、憎しみで染まった顔。
こんな顔をする時、
彼女が見ているのは、わたしの〝向こう側〟にいる母の姿。
「あの女の娘のあんたが、幸せになろうだなんて許さない」
「…………」
「あたしの幸せを壊した責任は、一生かけて取ってもらうわよ」
その言葉で、その一方的の憎悪で、わたしの我慢はもう限界値を超えた。
それはもう、糸が切れるように―――ぷつん、と。
七年も溜め込んだ鬱憤が、全部吐き出された。
「――――ふざけんなっ!!」
わたしの大声に、誰もが息を呑む。
父も、早苗さんも、歩美も、エリーも、シリウスさえも。
この場にいる誰もが、わたしに目を向けて、意識を向ける。
「さっきから好き勝手に言って……! わたしがいつ、あんたらと暮らしたいって言った!? お母さんを捨てたクソ野郎と、そのクソ野郎を奪ったクソ女の家になんかに! 施設に行きたいって頼んだわたしのお願いをわがままだなんて一蹴したのはそっちじゃない」
そうだ。そもそもわたしがあの家に来たのは、全部父のせいじゃないか。
「幸せを壊した責任? それこそ知らないわよ。むしろそっちが幸せを壊した責任を取ってよ! わたしと、お母さんの幸せを!」
そうだ。わたしとお母さんの幸せを壊したのは、全部早苗さんのせいじゃないか。
「自分勝手にやったツケを、わたしに負わせて払わせないでよ。わたし関係ないじゃん。あんたらの愛憎劇とか興味ないんだよ! だから……っ、お願いだから、もうわたしに構わないで!」
直後、応接室にあった調度品がガタガタと揺れた。
それらは全部宙に浮いかと思うと、猛スピードで壁や天井、床にぶつかる。
床は絨毯が敷かれているおかげでそこまで被害はなかったが、壁や天井に追突した調度品は色んな音を立てて壊れ落ちる。
ガシャン! バキッ! メキッ!
そんな音の中で、父は頭を抱え、早苗さんは「ひぃっ」と悲鳴を上げながら歩美の頭に抱きつき、歩美はその光景を驚いた顔で見るだけ。
荒い息を吐き、髪をぐしゃぐしゃにしながら頭を抱えるわたしに、隣にいたぬくもりが優しく抱きしめてくれた。
「マユミ! 私の声だけを聞け!」
「はっ……はぁ……っ!」
「落ち着け。ゆっくり息を吐け。大丈夫だ、私がいる」
「シ……シリウ、ス……」
「私は君を捨てたりしない。君は私の花嫁だ。――何があろうと、守ってみせる」
……ああ、彼は本当に凄い魔法使いだ。
わたしの不安を消し去る
こんな風に抱きしめてくれる人なんて、お母さん以外いないと思っていたのに……泣きたくなるほど嬉しくなる。
背中をとんとんと一定のテンポで叩かれ、彼の体から漂うムスクの香りを嗅いでいると、あんなに早鐘を打っていた鼓動が、獣のような荒い息も落ち着いてくる。
ポルターガイストのように宙に浮いていた調度品は、ゆっくりと落下しそのまま床に置かれる。
ぽかんと言葉を失う父達に、シリウスは灰色の双眸を向けた。
「……さて。流石の私もいい加減、堪忍袋の緒が切れるというものだ」
この世界に来てから初めて聞いた彼の低い声は、空気を凍らせるほどの怒りが宿っていた。
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