13.襲来

 プロキオンとミナと知り合ってから、わたしの生活に彼女らの文通という日課が増えた。

 この世界の郵便は某魔法学校映画のように梟に配達を頼むのではなく、魔法で手紙を鳥に変えて飛ばす。

 ほんの少しだけあの梟の郵便配達には憧れを抱いていたが……これもいい魔法の修行になるのでそこまで文句はなかった。


 そうして今日も、この一ヶ月で慣れてしまった朝食作りを終えた。

 今日のメニューはベーゴンエッグ、ミントサラダ、根菜のスープ、そしてクロワッサン。特にクロワッサンは昨夜エリーと一緒に生地から用意して作った力作で、さっきオーブンから取り出したから焼き立てほかほか。

 いつものようにエリーに配膳を頼み、食堂に入るとシリウスはテーブルの上に並べられた食事を見て口元を緩ませる。


「いい匂いだ。このクロワッサン、焼きたてか?」

「そうだよ。エリーと一緒に生地から作ったの」

「そうか。それは期待できそうだ」


 シリウスがクロワッサンを千切って口の中に入れると、口元が緩んだまま満足げに頷く。

 わたしもそれを見て、同じようにクロワッサンを千切って食べる。

 うん、美味しい! サックサクの生地に、ふんわりとバターが口の中で広がる。念のためジャムとかも用意したけど、これだけでも充分だ。


「今日は朝ごはんにチキン出せなくてごめん。ちょうど昨日の夕飯でなくなちゃって……」

「ああ、あのソテーにしたやつか。ローズマリーとセージがいい仕事をしていたな。だが、そこまで気に病むことはない。確かに私はチキンが好物だが、毎日食べたいというほどでもない。それに……今度のサンデーローストでたらふく食べるつもりだ」

「あ、そっか。今度の日曜日には二人も呼ぶんだよね」


 毎週日曜日の昼食はサンデーローストを食べる。

 サンデーローストというのは、ビーフ、ポーク、チキンなどをオーブンで焼いたもの、ジャガイモやニンジンなどの根菜の付け合わせ。

 そこにヨークシャープディングと呼ばれるシュー生地のようなカップ型の薄いパンのようなものをお皿の脇に飾り、ロースト後のトレイに残った肉汁にとろみをつけて作る温かいグレービーソースをかけていただくという料理だ。


 前まではこれをわたしとシリウスの二人で食べていたけれど、プロキオンとミナと知り合ったことで、今度の日曜日にこの屋敷で食べるのを約束している。

 そのためいつもより豪勢になるため、今回ばかりはわたしも手伝うことになっていて、そこにデザートも追加する。

 ちょうど収穫間近のイチゴがあるから、それでナポレオンパイを作る予定だ。


 ナポレオンパイというのは、所謂イチゴのミルフィーユのこと。

 そもそもミルフィーユはパイ生地と生クリームを重ねて層にしたお菓子で、ナポレオンパイはそこにイチゴを入れたお菓子を意味する。


 つまり、日本で食べていたイチゴのミルフィーユは、本当はナポレオンパイということになる……。

 言葉って難しい。スパゲッティとパスタの違いくらいに難しい。


 会話もそこそこに、朝食を食べ終えて、温室の手伝いに向かうとした。

 温室の手伝いを終えた後は、魔法の勉強をして、この間から乾かしているドライハーブを回収して……そんな風に今日の予定を頭の中で組み立てていた時だ。

 玄関の方で訪問を告げる馬の嘶きとベルが聞こえてきた。


「あれ? 今日お客さんが来る日だっけ?」

「いや……そんな予定はなかった」


 一瞬で険しい顔をしたシリウスが、杖を振るうとあの黒いローブ姿になって、そのまま玄関ホールに向かう。

 わたしもその後を追うと、玄関ホールで何か言い争う声が聞こえてきた。

 甲高い女の声と、優しそうな男の声。……だけど、その声は嫌といほど覚えがある。


(……待って。どういうこと? なんでこの世界に、あの人達が……!?)


 外れて欲しいと思った。

 だって、ここは魔法界。いくら関所があるとはいえ、あの人達がここまで来られるとは思っていない。

 そう願いも、現実というのは無情なものだ。


 玄関ホールの階段の二階に続く階段と踊り場の間に立ち止まると、わたしの目の先にいたのはシリウスとエリーと困り顔になっているスーツ姿の男性と黙ったままの可愛らしいピンクの花柄ワンピースを着た少女。

 そして……ホールを反響する声量で話すオフィススーツ姿の女性。


「あら。久しぶりね、愛結まゆみちゃん。なんて綺麗な服を着ているのかしら」


 肩で切り揃えられた黒髪、ローズ色の口紅を塗った唇。

 そして……漆黒の双眸から覗く憎悪の炎。


「随分と立派なお屋敷に住んでいるのね。でも、その服は愛結ちゃんには似合わないわねぇ」


 当たり前のように、わたしを否定する言葉を吐く。

 それがわたしの義理の母――早苗さなえさんだ。



 エリーによって案内されたのは、応接間。

 立派な暖炉とテーブル、そして三人掛けの猫足ソファがあるその部屋は、壁にかけられた絵画や陶器に生けられた薔薇が美しく花開いている。

 父と歩美は興味深そうに周囲を見るが、早苗さんだけは見下したような顔をしてわたし達を見ていた。


 エリーがテーブルに人数分のお茶とお菓子を容易してくれたけれど、今のわたしには紅茶一滴すら喉を通らない。

 それは朝食を食べたばっかりというよりも、緊張と困惑で食欲すら湧かない。

 体を強張らせるわたしの横で、シリウスは何も変わらず平然と紅茶を飲むと、静かにカップをソーサーに置いた。


「……それで、何故お前達がここにいる? どうやって魔法界ここに来た」

「あなたが愛結を連れ去った後、僕は彼女を探すために探偵を雇いました。中々目ぼしい情報が得られず骨が折れましたが……偶然、バーであなたの名前を口に出した男性を見つけたとの報告があり、その方と接触しました」

「……人間界に出張している連中か」


 父の話を聞いて、シリウスは苛立ったように舌打ちをした。

 全ての魔法使い・魔女は魔法界だけでなく、人間界で働く者も少なからずいる。理由としては人間界の技術輸入、何かの事故で魔法界から人間界に迷い込んでしまった魔法生物の保護、さらには逃走した犯罪者の追跡など様々だ。


 仕事内容は各部署で違うが、魔法界と人間界を繋ぐ関所などの管理はこの人間界交通部の仕事だ。

 人間界と魔法界との行き来は高いお金を払って通行手形を買う。一生人間界に在住する場合は『人間界永住権』の取得が必要。

 対して『常時通行手形』という特殊な通行手形を人間界交通部から貰うことで、いつでも人間界と魔法界を行き来することができる。


 どうやらその人間界交通部からその通行手形を貰った職員達が、仕事終わりにバーでお酒を飲んでいたところに、シリウスの話をした時に父が雇った探偵の耳に入り、そして関所の存在も魔法界の行き方も知ったのだ。

 普通の人間か魔法界に行く場合、保護魔法をかけたブローチを渡されるため、彼らの胸元には中央にダイヤモンドがはめ込まれた星形のブローチをつけている。これもお風呂と着替え以外外してはならないものだ。


「それで、今更何をしにここに来た? あれだけ金を積んでやったというのにまだ足りないというのか? ならいくらでも上乗せしてやる。幸い、金には困ってないしな」

「いえ、そうではなく……」

「なら、なんだ?」


 高圧的に話しかけるシリウスに、父はたじたじになる。

 美人が怒るのが怖いというのは、万国ではなく異世界でも共通している。

 それは早苗さんも同じなのか、わたし達を睨みつけることは忘れなくても、若干腰が引けている。


 唯一まともなのは歩美あゆみくらいだ。

 何も言わない義姉がエリーの淹れてくれた紅茶を飲んでいる横で、父が何かを決めたようにわたしを見る。

 あんまりにも真っ直ぐで、逸らすことができなくて息を呑んだけど、その顔には見覚えがあった。


 そう……あれは、母の葬式の日で。

 施設に行きたいと言ったわたしを、叱ったような顔……。


「単刀直入に言います。――愛結、僕達の元に帰ってきてくれ。そして、もう一度家族としてやり直そう」

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