シリウスⅡ

 マユミとミナが東屋から離れ、残された私とプロキオンはまた茶を楽しむ。

 ……うん、旨い。相変わらずエリーの淹れる茶は絶品だ。

 王城のメイドの淹れる茶も悪くないが、やはりエリーには敵わない。


「……ところでさぁ、あの子をどうやって連れて来たの?」

「彼女の義理の家族の借金のカタとして売られる前に、金を積んで横から掻っ攫った」

「あっはははは! 君らしいやり方だなぁ!」


 私の話を聞いて、プロキオンが豪快に笑う。

 昔と変わらず煩い奴だが……こういう明るさは、そういうのに無縁な私にとっては羨ましく、そして心を落ち着かせるもの。

 それは、今も昔も変わらない。


「さっきも言ったけどさ、君が花嫁を迎えるのは本当に意外だったよ。そういうのに興味がないと思ってた」

「本当に興味はなかったぞ。少なくとも一〇年前までは」

「一〇年前? 一〇年前って……君が家出した時のこと?」


 そう言ったプロキオンに、私は返事をせず、無言で紅茶を飲んだ。

 ……そう、一〇年前、私は一度家出をしたことがある。それも衝動的なものだ。

 今にして思えば、家出の理由はとても幼稚なもの――――【一等星】に、誰もが羨む『シリウス』をやめたい、というものだ。


【一等星】というのは他とは違い、

 この世界で産声を上げた時、その身が【一等星】に相応しい器だと判断すると、世界はそれを『神託』として告げられる。

 その『神託』を受けるのは、前の【一等星】――つまり私の場合、先代シリウスになる。


【一等星】は一代限りの地位で、貴族でいう宮中伯と同じようなもの。

 たとえ【一等星】が伴侶を持ち、子が生まれても、その子供が【一等星】でない限り、与えられた屋敷で暮らすことはできない。

 しかも【一等星】は新たな【一等星】が誕生すると、己の中にある魔力が移され、やがて完全に魔力を失うと【無星】となる。


 その間に【一等星】は新たな【一等星】を赤子の内から引き取り、魔力を失う前まで必要な教養を身につけさせる。

 大抵は一〇年弱で教養も魔力の移行も完了し、正式に【一等星】として地位も名を賜る。私もプロキオンも例外ではなかった。

 そうして無事先代の引き継ぎを終えた【一等星】は、魔法学校の特別クラスで五年間学び、卒業後は【一等星】としての人生が本格的に開始する。


 だが、その間に次代【一等星】の存在が認められず、先代【一等星】が暗殺者を仕向けたり、その家族から虐げられることは少なくない。

 プロキオンは先代が独身だったからそういった事態はなかったが、私は違った。


 先代シリウスは己の宿命を毅然とした態度で受け入れていて、時には魔法の師として、義理の父親として厳しく教育してくれた。

 だが彼には花嫁ではないが【二等星】の妻と息子がおり、私の存在を疎ましく思っていた。

 義理とは母として接したくても向こうから拒絶し、年齢的に兄であった息子も魔法の練習という名目で何度も呪いを飛ばしてきた。


 きっとあの二人にとって、私の存在は先代からあやかっていた恩恵を奪う簒奪者だったのだろう。

 しかし一〇〇〇年も続く【一等星】の宿命をそう簡単に覆すものではなく、結局先代から魔力を移し終えた後、私は先代一家を王都の貴族街に移住させた。

 いくら【無星】になったとはいえ、国のために尽力した元【一等星】をぞんざいに扱うことはできない。そのため、元【一等星】は貴族街の屋敷で普通の貴族として暮らすことになっている。


 全ての引き継ぎを終えて、私はシリウスとして仕事を始めた。

 もちろん魔法学校を卒業した若輩者にとって周囲の目は厳しく、周りから先代と比べられたり、人間界で言うパワハラを受けたりもした。

 さらには地位と容姿目当ての女達に夜這いや媚薬を盛られたり、「婚約者に色目を使った」と言って見知らぬ男共と何度も暴力沙汰を繰り返した。


 誰もが憧れる【一等星】の汚い裏側を知り、こんなものにしか目がない連中にうんざりした私は、衝動的に屋敷を出た。

 走って、飛んで、関所まで行って、何もせずただ人間界をあちこちぶらぶらして。

 生きる気力も意味も失いかけていた私に、現れたのだ。


 春が訪れるはずなのに、裏切るように大雪が降った日。

 この手で愛し、守りたいと思える花嫁に。

 その時のことを思い出した直後、プロキオンがいきなり私の口の端にスコーンを押しつけてきた。


「……なんだ?」

「眉間に皺が寄ってた。難しいこと考えないで、少しはお菓子でも食べて落ち着きなよ。ほら、エリーがこっち見てる」


 プロキオンの視線の先には、窓からじっと見つめてくるエリー。

 先々代からこの屋敷を任されている家憑き妖精は、私が丹精込めて作った菓子に手をつけないでいるのが不安なのだろう。

 もちろん、エリーの作る食事も菓子も旨いのは知っている。


 それを伝えるために、今も押しつけてくるスコーンを手に取り、イチゴジャムを塗って齧る。

 私好みの甘さとサクサクとした食感が口の中に広がり、咀嚼しながらエリーに美味しいことをアイコンタクトで伝える。

 彼女にはそれで充分伝わったようで、頷くとそのまま新しい仕事をしに行く。


「ま、結局家出をやめた後、人が変わったように仕事の鬼になったのには驚いたなぁ」

「そうか」

「でもま、それも全部あの子を迎えるためだったと思うなら、すっごい納得。いい子だし、太陽の魔力もミナと比べても結構高いしさ」

「魔力の方は偶然だ。勘違いをするな」

「はいはい」


 少し意地になって否定すると、プロキオンは笑顔で返事をして、スコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗るとそのままかぶりつく。

 一応礼儀作法を学んだはずなのに、プロキオンの食べ方はかなり豪快だ。

 夜会という人目を気にする場でも、プロキオンは自分らしく振る舞う。そのあたりは私には真似できないので、とても羨ましい。


「なら、早いとこ君があの子のことを大好きだーってちゃんと伝えないとダメだよ? 俺の時もそうだったけど、最初はどの子も俺らの愛情を疑うんだから」

「余計なお世話だ」


 私より早く花嫁を見つけた『犬に先立つもの』の経験談は、ありがたい助言だがお節介でもある。

 感謝の言葉にするのは何故か気恥ずかしく、私はそれを誤魔化すように奴が食べようとしていたイチゴのモンブランを奪ってそのまま手づかみで齧りつく。

「あー! それ食べたかったのに! シリウスの鬼! 悪魔!」と騒ぐ友の言葉を無視して。

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