10.知りたい

 トムを追いかけた先にあったのは、ガラスでできた大きな温室。

 恐る恐る扉を開くと、外よりも少し暖かい空気が当たり、肌をじんわり温める。室内には色んな植物が植えられていて、トムのような妖精達が飛び回っている。

 よく見ると温室にあるのは氷砂糖みたいな林檎で、それは太陽の光を浴びながらキラキラと輝いている。


「これって、林檎? でも林檎にしては赤くないしというか透明……?」

「『水晶林檎』という魔法植物だ。見た目は綺麗で甘い上に多くの魔力を含んでいるから、魔力を増やす点と魔力の流れを整える点ではかなり優れている」

「あ、シリ、ウス……?」


 見ていた水晶林檎の説明をした声に反応して振り返ると、そこにいたのは頭に麦わら帽子を被り、手には軍手をしたシリウス。

 格好はあのシンプルな白いワイシャツと黒いズボンなのに、さらにそこに麦わら帽子というオプションがついた。もしこれが普通の男性ならダサく見えるけど……何故か彼にはその違和感すらない。


「あー、主様ー。遅くなってごめんなさい~」

「トム。いなかったと思ったら、どこで油を売っていた?」

「あ、その子さっきまで蜘蛛の巣に引っかかっていたわ」

「蜘蛛の巣に……? なるほど、いつものように蜘蛛の巣潜りをしていたな」

「はい! 昔、奴らの住処に張っていた巣を潜って飛ぶ快感がどうしても忘れられないんです!」


 わたしが話した経緯で全てを察したシリウスは、自分の前で飛ぶトムが胸を張って答えると、彼は呆れてため息を吐いた。

 まあトムの言っていることは、危険な行為をやめられない若者の言い分に近いものね……。


「まあ、いい。お前は早く仕事に行け」

「はーい」


 素っ気なく言われるも、トムは気にせずそのまま仕事をする仲間達の元へ飛んでいく。

 その間にもわたしは目の前の水晶林檎を夢中で見ていて、それに気づいたシリウスが水晶林檎を一つもぎ取る。


「気になるなら、一つ食べてみるか?」

「え、いいの?」

「構わない。あそこのベンチで座ろう」


 まさかの申し出にありがたく頷き、わたしは左壁に置かれたベンチに座る。

 シリウスはわたしの隣に座ると、杖を取り出して左手に持っていた水晶林檎に杖先を向け、そのまま小さな円を描く。

 すると水晶林檎が宙に浮き、そのまま透き通った水に包まれる。


 水は無色透明で、温室の屋根から差し込む日差しでキラキラ輝いていて、杖をくるくる回すと水晶林檎もくるくる回る。

 水晶林檎を水洗いしているんだろうけど……なんか、ハムスターの回し車みたいだ。

 そう思いながら眺めていると、洗い終えた水晶林檎がぺいっと水から飛び出し、わたしの手の中に収まる。あの一瞬で水気が飛んだのか、手は濡れなかった。


「食べてみろ」

「なら、遠慮なく……いただきます!」


 少し行儀が悪いけど、シリウスに勧められるがまま水晶林檎を齧ると、シャリッとした歯応えと一緒に甘い果汁が口の中に広がっていく。

 うわ、これ結構甘い! 普通の林檎と比べて糖度が高いけど、ほんのり感じる酸味のおかげで食べやすい。

 しゃりしゃりとひまわりの種を齧るハムスターみたいに夢中になってたけど、隣に座るシリウスは仕事を終えたらしい妖精と戯れていた。


 可愛らしい妖精達と遊ぶ、美しい魔法使い。

 これは……普通に絵になる。

 なんなら最高峰の名画になる。


「そういえば、この温室は全部シリウスが管理してるのよね?」

「そうだ。初代シリウスから受け継いでいる。アンタレスのように初代【一等星】の生業を受け継ぐのは普通だ。……地位も、権力も、屋敷も、仕事も、全部私のものではない。ただの一度の偶然で手に入れただけの代物だ」

「シリウス……?」


 この緑豊かな温室の中、日差しが入り込んでいるにも関わらず、彼の顔に陰が色濃く浮かび、薄い唇から自虐的な言葉が漏れる。

 まるで、自分が『シリウス』であることが不相応と言わんばかりの、後ろ向きな態度。

 でも、麦わら帽子の下から見える目は見覚えがあった。


 血の繋がった父に引き取られたのに、義理の母と姉だけでなく当の本人からも愛されず、必死に泣きたい気持ちを抑えに抑えた結果、ひどく濁り渇いてしまった目。

『愛情』という名の水が枯渇してしまった人がする、孤独と悲愴の瞳。

 彼に出会う前のわたしがしていたものと同じだ。


「……シリウス、わたしの先生になってくれない?」

「いきなりどうした?」


 いきなり話題を振られ、シリウスは小首を傾げる。

 でも彼があの目をしないように、齧った水晶林檎をいじりながら、わたしは話を続けた。


「わたし、この世界のことも魔法のこともなんにも知らないんだもの。このまま過ごしていくにしても、最低限の知識は必要だよ」


 この間からシリウスにある程度話は聞いているけれど、どれもこの世界にとっては一般常識。

 それすら知らないわたしは、きっとこのまま彼の厚意に甘えたままでは無知な女になってしまう。

 今できることが朝食作りしかなくても、せめて彼のそばにいられるように努力はしたい。


 シリウスはわたしの将来の旦那様であると同時に、人生を救ってくれた恩人。

 花嫁だけとしてではなく、ちゃんと一人の人間としても、彼の恩に報いたい。

 それが、今のわたしにできる誠意だ。


「ですから――どうか、わたしにご教授お願いします。旦那様」


 なるべく深く頭を下げると、シリウスは無言を貫く。

 も、もしかして、わたしの言い方が悪かった……? それで気分悪くしちゃった!?

 嫌な想像が頭を過り、恐る恐る顔を上げる。今のシリウスの顔が一体どんなものになっているのか、興味と恐怖を半々に抱きながら。


 そうして見た彼の顔は――驚愕、歓喜、そして確かな恋慕が宿った顔をしていた。

 ……どうしてそんな顔をしているの? わたし、何か変なこと言った?

 なんで……そんな熱が籠もった目で、わたしを見るの……?


「……すまない。まさか、君の口から『旦那様』だなんて言葉が出るなんて思わなかった」


 それはわたしも驚いたよ。

 あんまりにも自然に、それもするっと出てきたんだから。


「君が知りたいこと、学びたいことがあるなら、私は遠慮なく教えよう。覚悟はできているな? 我が妻よ」

「もっ……もちろんよ。絶対に自分のものにしてみせるわ」


 す、すごい! 『我が妻』呼びはかなりダメージが大きい!

 シリウスがわたしの『旦那様』呼びにあんなに反応した理由が分かる気がする!

 でも……すごく嬉しいって思う。わたしは、彼の妻になれるということに。


「なら、さっそく勉強……と言いたいところだが、それは昼食が終わってからだ」


 ベンチから立ち上がったシリウスの視線の先には、じーっとこちらを見つめるエリー。

 彼女の手にはイチゴを含むベリー類、皮をむいたオレンジや一粒ずつ取ったブドウが山盛りに入った籠を持っており、今日の仕事を終えた妖精達に与えている。

 どうやら、妖精達の食事はフルーツ全般らしい。


「あれが与えられるのは、必ず昼食前なんだ。今来たということは、昼食が用意されていると同じだ」

「今日のお昼って、なんだろうね」

「さぁな。だが……私は今、パスタが食べたい気分だ」


 屋敷の主の願望を、可憐な家憑き妖精は全てお見通しのようで。

 その日の昼食は、大きいミートボールが入ったトマトスパゲッティだった。

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