9.妖精

 婚約式を済ませた翌日、わたしは早起きしてバルコニーの窓から日が昇る様子を見ていた。

 薔薇色と薄紫、そして藍色が混じった空が明るくなす光景は、目を見張るほど美しく、不思議と見ていて飽きはこなかった。

 太陽がちゃんと昇ったのを見届けた後、簡単に着替えを済ませてから、エリーがいる厨房に向かう。


 厨房は某動物のドールハウスのキッチン家具と同じ見た目をしていて、どれも魔石を燃料にして使っているが、使い方自体は人間界のキッチンとあまり変わらない。

 昨日、屋敷に戻ってシリウスとエリーが教えてくれた朝食のルールを思い出しながら、用意してくれたエプロンを身に付ける。


 魔法界の食事は、朝と夜はがっつり食べて、昼はサンドイッチやパスタなどで軽く済ませる。ただし日曜日の昼はサンデーローストという特別なランチを食べるらしい。

 特に朝食は一日の魔力の質が変化する大事なもので、使われる材料にも決まりがある。

 基本はパン、卵、肉類、野菜。好みで水菓子やヨーグルトなどのデザートも加える。これはわたしが入れたい時に入れてもいい、とシリウスは言ってくれた。


 エリーが教えてくれた情報によると、シリウスはチキンが好きだ。晩餐会などで出された食事では、必ずチキンを食べるくらいに。

 朝に食べるには少し重いと思うけど、昨夜本人からチキン料理を所望されたので用意することにした。

 メニューはパン、サラダ、オムレツ、そしてハニーマスタードチキンだ。


 まずはソースの準備から。蜂蜜、絞ったレモンの汁、水、マスタードを深めのお皿に入れて、よく混ぜ合わせる。

 次に皮を取った鶏胸肉を一口大に切ったら塩、胡椒、小麦粉を満遍なくまぶす。フライパンに油をひいて熱し、こんがり焼けるように先に皮の面を下にし、余分な油を取りながら両面を焼く。

 そして作ったソースを入れて、味をからませたら、見栄えよくベビーリーフとプチトマトを添えるよう盛り付けたら完成だ。


 その間にもサラダを用意し、オムレツは昔母が作ってくれたチーズ入りに。トーストもトースターラックにちゃんと並べて用意が終わると、エリーが指を鳴らす。

 すると、調理台の上に置いてあった料理が一瞬で消えた。これは配膳の時間短縮で使われるらしく、さっき作った料理は全て食堂のテーブルに並べられている。

 やっぱり魔法って便利だ。


「ありがとう、エリー。洗い物をお願いね」


 エリーが頷いたのを見て、わたしはすぐさま厨房を出て食堂に向かう。

 家のために尽くす家憑き妖精は基本食事も睡眠も取るが、それは全部仕事がひと段落してかららしい。それだけ聞くと奴隷労働に思えてしまうが、実際は憑いた家の中では無敵も当然。


 もし不当な扱い、もしくは仕事を奪う真似でもしたら一瞬でいなくなり、家はすぐに駄目になってしまう。

 そのためシリウスも屋敷の中ではエリーの自由にさせているし、昨夜も朝食作りという仕事が一つ減ったから、せめて後片付けくらいさせて欲しいと言われたのだ。

 実際、本人にも頼まれた――というか終始無言だったけど、かなり圧を感じたから従わざるを得なかった。


(朝食作り以外でできることがあればいいな)


 前にシリウスが言った通り、花嫁として学ぶことは多い。

 この世界のこと、魔法のこと、シリウスがしている仕事のこと……いくら花嫁に選ばれたからと言って、何もしないまま過ごすことはできない。

 ひとまずはシリウスと相談しながら今後の方針を決めよう。そう考えながら食堂の扉を開けると、シンプルなシャツとズボン姿のシリウスが新聞を読みながら紅茶を飲んでいた。


「お待たせしました」

「ああ、来たか。では一緒に食事にしよう」


 わたしが声をかけて椅子に座ると、シリウスは畳んだ新聞紙をテーブルの端に置いた。

 そのままカトラリーを手にし、今日の朝食のメインであるハニーマスタードチキンの一つを半分に切ると、ゆっくり口に運ぶ。

 もぐもぐとしっかり咀嚼したかと思ったら、ゆっくりと目を見開くのを見て、わたしは緊張で声を震わせながら訊く。


「あ、あの、シリウス……?」

「……ああ、すごいな。君の太陽の魔力が高いのは知っていたけれど、まさかここまでとは……」

「えっと、それって……美味しいってこと?」

「もちろんだ。仕事で何度か知り合いの花嫁の朝食を食べたことがある。その者が拵えた朝食も魔力も凄かったが、君のはそれ以上だ。特にこのハニーマスタードチキンは、甘いのが苦手な私でも食べやすい」

「エリーが書いてくれたメモに、シリウスは甘いのが苦手って書いてあったから……蜂蜜は少なめ、レモン汁とマスタードをちょっと多めに入れたの」


 長年彼の食事を作っていたエリーは、シリウスの好みについて書いたノートを渡してくれた。

 甘いものは苦手とか、ワインは辛口が好きとか、チキン料理もしくはチキンを入れるのは必須とか……ノートには彼の好みに合わせて調整した料理の数々がずらりと細かく記されていて、わたしのために用意してくれたのだと思うと本当に感謝しかない。


「……そうか。この調子で明日の朝食も頼む」

「……うん!」


 シリウスのその一言は、他の人が聞けば素っ気ないと思うかもしれない。

 でも、焼き色や味付けに毎回文句を言われたり、周囲の目を気にしながら『美味しい』と言われたり、何も言わず黙々と食べられるより、わたしにとっては嬉しい褒め言葉だ。



 無事に朝食を終えて、わたしは屋敷の中を歩いていた。

 三階建ての屋敷は広すぎず狭すぎず、調度品も華美すぎないで落ち着いている。きちんと掃除が行き届いていて、窓を開けると春の優しく温かい風が入ってくる。

 父達が夜に出かけて不在の間に見た旅番組では、こういった屋敷の調度品や内装はかなり豪華というイメージが強かったが、シリウス自身はそういったものを好まないのだろう。


 実際彼が着ているローブや服もシンプルなものが多いものの、生地は庶民であるわたしでも分かるほど肌触りが良いものだ。

 周りが地味だと思う装いでも、彼が着れば見劣りしなくなる。ある意味不思議だ。


「お助けー、お助けくださいー」


 その時だ、わたしの耳に子供の声が聞こえてきたのは。


「え? 今の声って……」


 もう一度耳をよく澄ませると、またあの声が聞こえてきた。


「お助けをー。このままじゃ僕、蜘蛛に食べられちゃうよー」

(た、食べ……!?)


 食べられうという物騒な単語が出てきて、わたしは慌てて屋敷の外を出るとそのまま声がする方に足を運ぶ。

 この屋敷は周囲を囲むように森が広がっており、たまに珍しい動物や虫――魔法生物を見かけることがある。もちろん自生している花も見たことがないものばかりで、敷地探索で一日を費やせるだろう。


 そう思いながら森の中を歩いていると、頭上から「お助けをー、お助けくださいあるじ様ー」と焦った声が聞こえてきた。

 顔を上に上げると、小さい男の子が蜘蛛の巣に絡まってジタバタ動いていた。


(……何あれ)


 思わず現実逃避をしたくなったけど、よく見ると男の子の背中には半透明の羽が左右に二枚ずつ生えている。

 あ、もしかして妖精……? 絵本でよく見る女の子の妖精じゃないけど、あれと同じでいいかもしれない。

 じーっと見ていたわたしの視線に気づいたのか、男の子は涙目でさらにジタバタ暴れる。


「うわーん、救世主様ー! お助けくださいーヘルプミー!」

「わわ、待って待って! それ以上暴れたら怪我しちゃうよ!」


 本当なら妖精に落下の心配はいらないだろうが、肝心の羽が蜘蛛の糸で絡まっていて、あのまま暴れたら巣から地面に落ちてしまう。

 何か長いものが必要だと思い、辺りをきょろきょろ見ると、伐採したのか太くて少し長めの木の枝が転がっていた。

 それを手に巣に向かって伸ばすと、男の子はコアラみたいに木の枝に抱き着いた。そのままゆっくりと引き戻すと蜘蛛の糸はぷつんと取れた。


「よいしょっと……大丈夫?」

「はい! 助けてくれてありがとうございます!」


 わたしの手の平の上に乗っかった男の子は、ピーターパンみたいな恰好をしていて、明るい茶色い髪がとっても似合う。

 指先で羽に絡まった糸を取ってあげると、男の子は羽を羽ばたかせると空中でお辞儀をする。


「初めまして、美しい花嫁さん。僕はトムって言います! ご覧の通り妖精です!」

「わたしは小鳥遊愛結。愛結って呼んで」

「はい、マユミ様!」


 トムは笑顔で頷くと、そのままわたしの周りを飛ぶ。

 あ、羽が朝日を浴びてキラキラ輝いてる。綺麗だな……。


「トムはこの森で暮らしてるの?」

「はい。主様のお仕事をお手伝いする代わりに、この森で暮らす許可を貰っているのです」

「主様?」

「シリウス様のことです!」


 胸を張って答えるトムだけど、わたしは訳が分からず首を傾げる。

 こんな可愛い妖精と、シリウスって一体どうゆう関係なの……?

 わたしの頭の中の疑問に察してくれたのか、トムは佇まいを直して話し始める。


「詳しくお話しますと、僕達妖精は時に労働、時に愛玩、時に使い魔の餌として使われます。同胞の中にはさっき言ったようなことに従順に従う者もいますが、僕のように自由を欲する妖精もいます。そういった場合は【一等星】や【二等星】の魔法使いの庇護を受ける代わりに、お仕事を手伝うようにしているんです」

「へ、へえ……そうなんだ……」


 妖精の世界、わたしが思っていた以上に中々ヘビーだった……!

 もっと童話みたいにキラキラしてて、自由の象徴って感じだと思っていただけに、トムの語る内容にショックを隠せない。


「あ、そういえばもうお仕事の時間でした! 早く行かないと主様に叱られます~」

「え、あ、トム待って!」


 太陽の昇り具合を見て、時間がかなり経っていることに気づいたトムは、ぴゅーんと森の反対側に飛んでいく。

 その小さい後ろ姿を見失わないように、わたしは彼を追いかけた。

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