武藤新
――一体、どこで間違えたのだろうか?
カレンダーが三月から四月になり、僕、
このため息の原因は、ここ数年僕を悩ませている一〇年前に引き取った娘のことだ。
ダイニングテーブルの上には私用のノートパソコンを開いていて、メールには依頼した探偵の調査結果が綴られている。長文だから詳細は省くが、簡単に言うと『愛結は見つからなかった』というものだ。
ああ、こんなことなら、もっとちゃんと愛結のことを気にかけるべきだった。
後悔先に立たずとは、まさにこのことに違いない。
一〇年前、僕の元に突然届いた花の訃報。
彼女が死んだこともそうだけれど、娘がいたという事実は、当時とてつもないショックを受けた。
元々、彼女とは結婚を前提に交際していた。ならば、男女の関係になるのは自然の流れだ。
なのに僕は……花を裏切ってしまった。
永遠に愛することを神様に誓うはずの女性を捨て、別の女性と結婚してしまった。
それからだ、僕の人生の歯車がおかしくなったのは。
全てが狂ったのは、今から十数年前まで遡る。
僕の隣には、二人の女性がいた。一人は大学時代に出会った小鳥遊花、もう一人は
早苗は高校時代からの友人で、彼女が僕に対して好意を抱いていたのは何となく察していた。
美人で金持ちなのに、何故僕みたいな男を選んだのか分からなかった。
彼女に女性として恋愛感情を抱かなった僕は、そのまま友人として過ごし、大学進学後は同じサークルに所属した。
花と出会ったのはその時だ。身寄りがなく、いくつもバイトを掛け持ちしながら奨学金で通っていた彼女は、名前の通り花のように強く綺麗な人だった。
初めて綺麗と思えた彼女に夢中になった僕は、無事に彼女と付き合うも、それ以来早苗とは疎遠になり、卒業後には音沙汰がなくなった。
それから数年は会社と彼女のアパートを行き来し、結婚について真剣に考え始めた頃、街中で偶然早苗と再会した。
彼女は父親が紹介した会社に入社し、得意先と食事をした帰りだった。とても疲れた様子だったが久しぶりの再会ということで、居酒屋で一緒に酒を飲んだ。
……ただ、それがいけなかった。
一体どれだけ飲んだのか覚えてなく、気づいた時にはホテルの一室で目が覚めた。
起きた直後にシャワールームから出た早苗は、顔を青くする僕を見て、
『昨日は素敵な夜だったわね』
背筋が凍るほどの微笑で告げた。
一夜の過ちを犯した僕は、謝罪をして手持ちの金を全部渡して、そのまま急いで服を着てホテルを後にした。
最低な逃げ方だったと思うけれど、あの時は気が動転していて、それどころではなかった。
その日以降、早苗からは何の連絡はなかったが、それでも花を裏切った事実は取り消せなく、自然と彼女に会う時間が減っていった。
それから半年後、突然早苗からメールがきた。内容はファミレスで待っている、それだけ。
詳しいことは書かれていなかったが、きっとあの夜のことだというのは察しがついた。
処刑を待つ罪人の気持ちで、僕は早苗がいるファミレスに向かった。
そこで僕は見た。一番端の席に座り、ゆったりとしたワンピース姿で、腹部を優しく撫でる早苗の姿を。
そして全てを察した。犯したあの一夜で、彼女との間に子供ができてしまったことに。
その後はもう最低の行いばかりだった。
早苗の妊娠させた責任として彼女と結婚することになり、結婚の約束をしていた花と別れた。
涙を零さないよう必死に堪える顔で受け入れたが、その顔は永遠に忘れられない。
次に両親に花と別れたことと、早苗とデキ婚することを伝えると、父は真っ赤な顔で殴り、母はショックで気を失ってしまった。
殴られた僕は自分の行いがどれほど最悪なのかを長時間説教された後、家からも勘当された。両親が花と仲が良かったから、裏切った僕を許せなかったのだろう。
僕自身も償いとして受け入れ、それから一度も実家に帰っていない。
早苗の方も僕と同じように家を出て、互いの手持ちのお金でなんとか家を借り、人並みの生活を送れるよう働いた。
生活するだけで手一杯だった僕らは結婚式を挙げる余裕はなく、彼女に一度もウェディングドレスを着せないまま
仕事も軌道に乗り、一定の収入を得られた僕達は、家族としてそれなりに幸せに過ごした。
だが、それから七年後、僕は知った。
別れを告げたあの時、彼女のお腹に命があったことを。
そして花にそっくりな娘がいることを。
葬式で出会った愛結は、僕を睨んでいた。
きっと僕が父親だと知っていたのだろう。そして、僕が彼女らを捨てたことも。
だからこそ、愛結は施設に行きたいと駄々を捏ねた。僕のような父親失格の男と一緒にいたくないから。
でも、僕は上から目線で「我儘を言うな」と言うと、愛結はさらに強く睨みつけてきた。
お前にだけは言われたくない、と言わんばかりに。
どれほど恨まれているのか充分に伝わっても、結局僕は愛結を家に連れ帰った。
だけど、家に帰って愛結に待っていたのは、早苗の陰湿な嫌がらせ。
最初は僕も愛結を歩美と同じように可愛がろうと説得したけれ、早苗は聞くどころか当たりを強くし、家事をいくつか押し付け、中学に上がる頃は全部やらせるようになった。
部屋にはエアコンを設置させず、服も古着屋で買った安物ばかり。さらには花そっくりの顔が気に食わないという理由で頬を叩く始末。
どれも全て、僕が早苗に怒鳴った後に起きたことだ。
早苗はきっと、憎んでいるのだろう。自分達に黙って愛結を産んだ花を。そして完璧だったはずの幸せを壊そうとする愛結を。
愛結にしてみれば、全部逆恨みというものだ。僕もそれは理解している。でも……分かっていても、早苗にとっては許せないことなのだ。
それ以来、僕は表立って愛結を庇うことをやめた。
愛結自身も僕らと関わらないようにしていたし、歩美もその空気を感じ取っていたのか、たまに不満そうな顔をしながらも文句は言わなかった。
そうして日に日に家族が歪になっていく中、早苗が借金をしてブランド品を買い漁っていることを知った。
ここ数年溜まりに溜まった彼女のストレスが、一気に爆発した結果だったのだろう。
でも借金の額は桁違いで、僕は初めて早苗を激しく怒鳴りつけ、借金返済のために僕は今以上に働いた。
歩美を出産してから、一度も再就職していない早苗には借金を返せる宛などないのを知っているから。
しかし彼女の散財は止まらず、必死に働いても借用書はさらに増える一方。
そしてあの日。早苗は非道なことに、借金のカタとして愛結を売ろうとした。
その時に愛結が売られることを知り、なんとか止めようとしても恐怖で足が竦んでしまった。
黒服の男達に連れて行かれる愛結は、全てを諦めたように受け入れ、僕達を見た時の彼女の目は失望しかなかった。
だが、その一歩手前であの男が現れ、大金を渡すとそのまま愛結を連れて消えてしまった。
この件で早苗の散財は止まるもスマホをいじる回数が増え、歩美も愛結が使っていた部屋を見ることが多くなった。
そして僕は厚顔にもあの男から受け取った金を使って探偵を雇い、愛結の居場所を突き止めようと躍起になっていた。
もちろん、今更過ぎるのは分かっている。ここまでひどいことをしておいて、虫のいい話だと思っている。
でももし、もしも叶うのならば。
僕は愛結と一緒に暮らしたい。今度こそ、ちゃんとした家族として。
その時に土下座でも何でもして、帰ってもらうよう説得しよう。
そのためならば、僕はなんでもできる。
この時の僕は、頑張れば自分の願いは叶うと信じていた。
あれほど愛結を恨んでいた早苗が、一体何を考えているのか。
そして、シリウスに連れ去られた愛結の本当の気持ちを知らずに。
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