8.杖

 魔法省を後にしたわたし達は、王都で一番人気のカフェ『ハミングバード』でランチをすることにした。

 英語でハチドリを意味するそのカフェは、花の蜜を吸うハチドリの看板が目印だ。

 そしてこのカフェの名物は、その季節に採取した蜂蜜を使ったスイーツや料理。


 中でもこのカフェの人気メニューは、蜂蜜パイと蜂蜜がけのサンドイッチだ。

 特にサンドイッチはレタス、塩味の強いハム、あっさりめのクリームチーズを固めのフランスパンで挟んでいる。その上に蜂蜜をかけると甘ったるくなるどころか、むしろその甘さを引き立てている。


 クアトロフォルマッジという四種類のチーズがかかったピザに、蜂蜜をかけて食べるのは知っているけれど、サンドイッチでもできるなんて知らなかったぁ。

 ちなみに、この店にもクアトロフォルマッジあります。


「旨いか?」

「とってもね。この世界の食文化って、人間界より進んでるのね」

「食事はこの世界にとっては重要なものだからな。どんな相手だろうと、食べ物が旨いに越したことはない」

「それもそうね。わたしも同意見だわ」


 人間界にいた頃、コンビニ弁当や菓子パンを食べた後は、空腹はそれなりに満たされたけれど、特別美味しいと思えたことはない。

 自分で美味しく作った料理も、毎日味付けや盛り付けの粗探しをされ、食べた後も感想も貰えないと、味気ないものに変わる。

 そういった経験をしたからこそ、シリウスの言葉には素直に頷ける。


「このままランチを終えたら、屋敷に戻るが……その前に君の杖を用意しないとな」

「杖?」

「ああ。いくら異世界の人間だからとはいえ、花嫁には太陽の魔力がある。自衛もそうだが、ある程度の魔法を使えるようになると、後々便利だからな」

「そっか……わたしにも杖が……」


 まだ数回しか見てないけれど、シリウスの杖は彼にとっても似合っている。

 艶やかに磨かれた黒い杖は持ち手と柄の間は両端が尖っていて、その間に菱形にカットされた青い宝石がはめ込まれている。

 この宝石は『蒼星そうせいの光』と呼ばれていて、魔法効果を大幅に向上したり、魔力暴走を防止する補助用魔石の中では最高級品。しかも、シリウスが治める領地でしか採取できない魔法素材であり、収入源のひとつでもあるらしい。


「あの屋敷にそれを採取できる場所ってあったの?」

「屋敷裏に森があっただろう? あの森は全部私有地であり、魔法素材の採取場であるんだ。畑も温室も鶏小屋あるぞ」

「そうなんだ。凄いね」

「調味料の類は市場で買わないといけないがな」


 帰ったらエリーに屋敷裏を案内して貰おうかな? と思っていると、シリウスは小さく笑いながら紅茶を飲む。

 その所作すらとても洗練されていて、店内にいるマダム達の視線を釘づけ。

 本当に、注目されやすい人だ。


「……さて、杖を買いに行くか」

「うん」


 残っていたサンドイッチを食べ終えて、わたしはシリウスの一歩後ろを歩く。

 いくら婚約を済ませたからと言って、隣に並んで歩く勇気はまだ持ち合わせていない。

 だから、家族が不在の中で視聴した数少ないドラマと同じように、一歩下がって歩くのを実践してみる。


 シリウスはこちらを一瞥するも、何も言わずゆっくり歩く。

 きっと、わたしが彼との距離をどのように保てはいいのが分からないのを察しているのだ。

 だけど、わたしを置いていかないように、歩幅を合わせてくれている。そんなさり気ない気遣いも、嬉しい。


 しばらく街並みを歩くと、シリウスはある店の前で止まる。

 大通りの店としては地味な外観をしていて……なんなら、深緑色の枠がはめ込まれた窓の桟には埃が溜まっている。

 看板には『アンタレス杖店』と彫られていて、新品のローブを着た少年と父親らしき男性がその店から出てきた。


「ここが?」

「そうだ。アンタレスは私と同じ【一等星】の魔法使いであり、魔法界の杖を全て一人で作っている御仁だ」


 なんでも、アンタレスに選ばれる魔法使い・魔女は、全員が杖職人の家系出身者。

 そのため、魔法界では『アンタレスは杖の王、彼らに頼めば安心だ』と言われているくらいだ。

 シリウスに促されるように店内に入ると薄暗く、天井と両壁の棚の一番上の段は蜘蛛の巣がたくさん張っていて、空気も埃臭い。でも棚には革張りの長方形のケースがぎっしり入れられていて、一つでも抜き取ろうとするならジェンガみたいにガラガラ崩れそうだ。


 シリウスがカウンターのハンドベルに手を伸ばすと、ベルは勝手に軽く宙を浮くとそのまま左右に揺れる。

 チリン、チリンと音が鳴ると、カウンターの奥から丸眼鏡をかけた老人が現れた。

 両腕にいくつものケースを抱えていて、わたし達を見ると目を丸くする。


「はいはい。……おや、シリウスじゃないか。そちらが例の花嫁かい?」

「そうです。彼女の杖を作ってもらいたくて」

「なるほど……少々待っていてくれ」


 老人はまたカウンターの奥へ引っ込むと、すぐに出てきてわたしの前に立つ。

 彼の左手の小指には、蠍が彫られた印台指輪シグネットリング。シリウスのと似たように、目の部分に赤い石が埋め込まれている。

 その手をわたしに向けて伸ばしたのを見て、そのまま手に取り握手を交わす。


「初めまして、お嬢さん。わしはアンタレス。彼と同じ【一等星】の魔法使いであり、この魔法界で杖を作っておる」

「初めまして、小鳥遊愛結です。この店の杖を、全部お一人で?」

「ああ、もちろん……と言いたいところだが、この店にある杖は歴代のアンタレスによって作られたものばかりで、わしの作品はそこまで多くない」

「謙遜するな。あなたの作品はどれも素晴らしい」

「そう言ってくれると嬉しいよ。……さて、それでは君の杖を選びたいところだが……その前に、ちょっと頼みたいことがあるんだ」

「なんですか?」

「君の髪を、少し貰いたいんだ」


 アンタレスさんが曇りなき眼でそう言った瞬間、わたしはシリウスの後ろに隠れる。その行動に二人は目を丸くしていた。

 いや……だって仕方ないじゃん。誰だって『髪が欲しい』なんて言われたら、警戒するに決まってる。

 わたしが警戒心いっぱいにアンタレスさんを見つめると、彼はすぐに察してくれた。


「ああ、すまない! 何か誤解させてしまったね。杖を用意する際に、使い手の魔力を馴染みやすくするために髪が必要なんだ。髪と血は魔力が宿りやすい一部だからね」

「ああ、なるほど。そういうことでしたら」


 アンタレスさんの話を聞いて納得したわたしは、早速髪を彼に渡すためにカウンターに立つ。

「前と後ろ、どっちがいい?」と聞かれて、わたしは「前で」と答えた。

 時々自分で毛先を整えるくらいはしていて、そろそろ前髪を切らないといけない頃合いだったから、ちょうどよかった。


 アンタレスさんは耳の上にかけていた杖を振るうと、カウンターの奥からふわふわと鋏が飛んできて、それを手にするとポケットから紙を取り出し、それをわたしに渡した。

 どうやらその紙の上に切った髪を集めるらしく、なるべく水平になるように持つと、アンタレスさんは自らの手でチョキチョキと切ってくれる。


 毛先から切られた髪は、紙の上にパラパラと落ちてきて、ある程度集まるとそれを紙ごと受け取り、上着のポケットに入れていた試験管の中に丁寧に入れると、口をコルクで厳重に栓をした。

 髪の毛入りの試験管を手にアンタレスさんがカウンターの奥へ引っ込むと、背後でシリウスは笑いを堪えた顔でわたしを見ていた。


「…………何?」

「いや、すまない。君でもあんな反応すると思ってな……」

「誰だって、初対面の人に言われたらああなるよ! 藁人形に使われるじゃないかと思って冷や冷やした!」

「まあ、そういう危機感は大事だ。相手の髪を使った呪いなんて、この世界じゃ普通に山ほどある」


 笑えない魔法使いジョークに、わたしがどう反応しようと思った時、ちょうどアンタレスさんが深緑色のケースを持って現れた。

 彼はカウンターの上にそれを置くと、丁寧な手つきで開けた。

 中に入っていたのは、わたしの髪と同じ色――紫がかかった黒の杖。柄と持ち手の間にはシルバーの装飾が施されていて、その中央にはわたしの目と同じ紫色の魔石がはめ込まれている。


「この魔石は『陽染ひぞめの石』と呼ばれていてね、花嫁の太陽の魔力に耐えきれるほどの硬度を持っているんだ。普段は無色透明だけど、花嫁の髪を馴染ませた杖にはめ込むと、石も髪に宿っていた魔力に反応して所有者の瞳と同じ色に染まるんだ」


 アンタレスさんの説明を聞きながら、わたしは杖を手にする。

 初めて触れたというのに、その杖はびっくりするくらいわたしの手に馴染んだ。なんというか、欠けていたピースがはまったような……そんな感覚がした。

「振ってみなさい」と促され、わたしはシリウスがしていたように杖を振るう。


 すると、杖から暖かい風が吹いて、棚にかかっていた大量の蜘蛛の巣や埃を払い、そのまま跡形もなく消し去った。

 さっきの埃臭い店内の空気が一気に綺麗になり、シリウスはくすりと笑いながらアンタレスさんを見た。


「よかったですね。掃除の手間が省けましたよ」

「そのようだな。……やれやれ、杖に夢中になると他のことを疎かにしてしまうのはわしの悪いところだ」


 二人がそんな会話をしている横で、わたしは杖を指先で撫でながらケースの中へ仕舞い、そのまま抱きしめる。

 よかった。これでわたしは、魔女としてこの世界にいられる。

 あの屋敷で、彼とエリーと一緒に生きていける。


 ――もう、あの家に帰らなくていいのだ。

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