3.歓迎

 いい香りのするシャンプーや石鹸で体を洗い終えたわたしは、棚にあったタオルを手に取って水気を拭い、近くに置いてあった籠を覗き込む。

 そこにはわたしが脱いだ衣類はなく、代わりに新しい下着や水色のネグリジュが入っていた。

 ネグリジェはロングワンピースで、襟周りや裾にあしらわれたレース生地のフリルがとっても可愛い。


(こんなに可愛い服、着たの初めてかも)


 母が存命だった頃は贅沢ができなかったからシンプルな服しか着てこなかったし、父に引き取られてからは安売りの服しか買ってもらえなかった。

 だからこそ、こんなお姫様が着るような服は初めてだ。

 緊張気味に下着とネグリジェを着て、洗面台で髪を乾かす。ドライヤーみたいなものがあったから、恐る恐るスイッチを押すと温風が顔を直撃した。使い方は家にいた時と同じのようだ。


「あ、眼鏡忘れてた」


 洗面台の端に置いてあった眼鏡を思い出して、いつものようにかける。

 鏡に映る自分の姿。いつものわたし。その事実が何故か今はひどく安心できて、もこもこした白いスリッパを履いて浴室を出る。

 その後、入り口で待っていたエリーが入浴前に渡したあの夜空色のローブを着せてくれた。さっきと変わらず滑らかな肌触りをしているそれを撫でながら、わたしはエリーの後をついていく。


 案内されたのは食堂で、中央に白いテーブルクロスが敷かれた長テーブルがあり、左の壁には暖炉が置かれている。壁にはこの世界の風景画がいくつも飾られており、暖炉の上には赤い薔薇が飾られた花瓶。シンプルだけど、それでいて雰囲気に気品がある。

 シリウスはそのテーブルの一番前の席にいて、私の椅子はどうやら彼を真正面に見て右隣だ。


「ああ、上がったのか。風呂はどうだった?」

「とてもよかったです」

「そうか。ひとまず食事にしよう。腹が減っているだろ?」

「えっと、別に――」


 減っていない、と言おうとしたが。

 ぐぅぅぅ~~、とお腹が鳴った。しかも、空気を読まずに!

 これにはどちらも無言になり、わたしは顔を真っ赤にしてそっぽを向くも、シリウスは小さく笑う。


「……どうやら、君の腹はそう思っていないようだ」

「ですね……」


 結局、激しく訴える空腹に負けて食事をすることにした。

 メニューは焼きたてのパンの山、フィッシュアンドチップス、マヨネースが添えられたにんじんとブロッコリーの温野菜、それから肉汁が溢れるミートローフだ。


(ご飯も用意してくれるなんて……)


 色々と疑問は残るが、今のわたしは所謂金で買われた身。家にいた時のように家政婦として使うつもりなら、ここまでの歓迎はしないはずだ。

 色々と知りたいことがあるけれど、ひとまずエリーが切り分けてくれたミートローフを一口食べることにした。

 初めて食べるミートローフはハンバーグに近いけど、それと比べて肉汁が多い。しかもグレイビーソースが肉の旨味を際立たせているおかげで飽きがこない。


 一度食べると空腹感がさらに増してしまい、もぐもぐと野菜もパンもフィッシュアンドチップスも夢中で食べ始める。

 ああ、すごく美味しい! 野菜はしっかり茹でながらも歯ごたえがあり、それでいて野菜本来の甘味を引き立ている。フィッシュアンドチップスもちょうどいい揚げ具合で、白身魚はほくほくで衣はサクサク。ポテトも味付けは塩のみだけどシンプル・ザ・ベスト、やはり王道にハズレはない。

 パンもふかふかで小麦の味がしっかり感じられて、こんなに美味しい食事は久しぶりだ。


(家にいた時は、味なんてなかったものなのに……)


 父に引き取られた当初、まだ小学生ということで家事はお手伝いの範囲だけだった。だけど、中学生に進学すると早苗さんは家事をどんどん押し付け、気付けば家事は全部わたしの担当になっていた。

「美味しい」も「不味い」も言わない歩美とは反対に、食の好みにうるさい早苗さんは、わたしの作った料理を食べながら駄目な点をちくちくと嫌味交じりに言ってきた。それを父が軽く窘めて、すぐに申し訳ない程度の笑顔で「美味しいよ」と褒めてくれた。


 ……でも、わたしはこの家族で食べる食事が一度も美味しいと思ったことはない。

 何を食べても味気なく、ただ空腹さえ満たされればそれでよかった。

 こんなにもご飯が美味しく感じられたことに嬉しく思い、無我夢中で食べるわたしにシリウスは何も言わなかった。



「……さて、腹が満たされたところで、そろそろ本題に入るとしよう」


 食後の紅茶が出され、ようやくひと息がついたところでシリウスが本題を切り出してきた。

 そうだった。本当なら夕食の時に訊かなきゃいけなかったのに、わたしがご飯に夢中になっていたから……!


(でも……わたしが食べ終わるのを待ってくれた)


 いきなり現れて怪しさはあるけれど、少なくとも彼は悪い人じゃない。

 本当に悪い人は、無意識に人の心を傷つけることを、わたしは誰よりも知っている。


「えっと……その、本当なんですか? この世界が魔法の世界だってことは……」

「ああ、本当だ」


 わたしの質問に、シリウスは上着の内ポケットから取り出したのは、一本の杖。

 艶やかな黒い杖を振るうと、その先から黄金の光が天の川みたいに流れ出てきて、そのまま見事な尾羽根を持った鳥へと姿を変える。

 キラキラ輝きながら消えるそれを、わたしはずっと見続けた。


「この世界には魔法使いも魔女もいる。もちろん一部には魔法を使えない者もいるが、誰しもが魔法の恩恵を受けて生きている。他に質問は?」

「……えっと、じゃあさっき【一等星】を冠するとか、花嫁とか言っていたのは?」

「ああ、あれか。この世界の魔法使いと魔女は等級……つまりランクを星の名前で例えているんだ」

「ランク、ですか?」

「そう。絵として描いた方がいいかもしれないな」


 シリウスはまた杖を振ると、テーブルの上に羊皮紙と羽ペン、それとインク瓶を出現させた。

 魔法って便利だなーって思っていると、彼は慣れた手つきでピラミッド図形を描いていく。

 三角の中に五本の線が引かれ、下から【無星】【六等星】【五等星】【四等星】【三等星】【二等星】【一等星】と書いていく。


「【無星】は魔法が使えない者、【六等星】と【五等星】と【四等星】は魔法関連の工房や城の魔法騎士団などの職に就くことができる。【三等星】と【二等星】は主に城の重役に仕えることが多く、そして【一等星】は長年続く生業に精を出すことがある」

「なるほど……つまり、貴族みたいなものってこと?」

「簡単に言えばな。もちろん貴族だっている。大体の貴族は魔法使いを輩出する家柄が多く、人間界にでもある爵位も存在する。【一等星】は伯爵と同等である爵位――『魔法伯』とそれにちなんだ名を賜るんだ」


 そう言って、シリウスは己の左手の小指にしてある指輪を見せた。

 純金でできた印台指輪シグネットリング。平坦になった台座には大犬が彫られ、目の部分に青白く輝く石が埋め込まれていた。

 これが【一等星】であることを示す証なのだろう。


(って、あれ? 今、『名を賜る』って言った……?)


 名を賜るということは、つまり『シリウス』という名は彼本来の名ではない可能性が高いというだ。

 わたしが言いたいことを察したのか、シリウスは苦笑した。


「そうだ、私のこの名は【一等星】として選ばれた時につけられたものだ。だが、名を賜るのは生まれた直後で、これが私の真名であることに変わりはない」

「じゃあ、本当の名前は別にあるとかそういうのはないんですね?」

「もちろんだ。だから、気兼ねなく私の名を呼ぶといい」


 気兼ねなく、と言われても……。

 わたしは彼について何も知らない。あの家族から救ってくれたこともそうだが、こうして手厚い歓迎をしてくれたことには感謝してもしきれない。

 だが、それでも、初対面であるシリウスを完全に信じることはできない。


 曖昧な笑みを浮かべて紅茶を飲むわたしに、彼はまた察したのかエリーに茶菓子を持ってくるよう伝える。

 しばらくしてエリーが持ってきたのは、側面にグラニュー糖をまぶしたクッキー――いわゆるディアマンクッキーだ。味はプレーンとココアの二種類のみ。


 クッキーは焼き加減が絶妙で、グラニュー糖のザクザク食感がたまらない。

 どれも紅茶に合う甘さで、話の最中で固まっていた顔がほぐれたような気がした。


「さて。甘い物を食べて落ち着いたところで、花嫁について話そうか」


 紅茶を飲み終えて、おかわりをエリーに注いで貰っている横で、シリウスは次の話を切り出した。

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