4.〝花嫁〟の務め

「まず、花嫁というのは【一等星】から【三等星】に選ばれた魔法使いに選ばれた人間界の娘のことだ。彼女らは魔法界の住人にはない『太陽の魔力』を持っていて、花嫁に選ばれる娘はこの魔力の高さで決まる」

「太陽の魔力……」


 シリウスの話によると、魔法界には『太陽の魔力』と『月の魔力』と呼ばれる二つの魔力があり、この世界の魔法使いと魔女は月の魔力を持ち、その魔力で魔法を行使する。

 太陽の魔力は月の魔力の力を増幅される効果があるが、太陽の魔力は人間界の、それもごく僅かな女性にしか宿らない。

 そのため魔法使いにとって人間界の娘――太陽の魔力の高い女を花嫁として迎えることは、箔付けであると同時に多大な恩恵を得るのと同義らしい。


「え、ちょっと待って。ということは、わたしもその魔力を持っているってことは……魔法が使えるってこと?」

「ああ。流石に魔法界生まれの魔女と比べて拙さなどはあるだろうが……基本は自衛や嫁いだ魔法使いの補佐として重宝されることが多いな」

「そうなんだ! わたしも魔法を……」


 魔法を使うというのは、子供の頃なら誰でも憧れるものだ。

 もしそうなったら一体どんな魔法が使えるのだろうか、と妄想しているわたしにシリウスは苦笑した。


「とはいえ、そう簡単に魔法は使えない。学校の勉強と同じく学ばないとな」

「う。夢のないこと言わないで……」

「それが現実だ。諦めろ。……さて、さっきの話の続きなんだが。君には今後、この屋敷で花嫁としての務めをやってもらう」


 どこか艶っぽい表情で言われた直後、わたしの体は石のように固まった。

 花嫁としての務め……そ、それって、まさか……キャッキャウフフな桃色空間みたいな仕事ってこと!?

 年頃の娘としては普通……なのか分からないけど、変な妄想をしてしまったわたしは、がしっと椅子にしがみついた。


「? おい、どうした?」

「ケ……」

「け?」

「ケダモノー!!」

「はぁ!?」


 わたしの叫びに、流石のシリウスが素っ頓狂な声を出した。

 今まで食堂のドアの近くにいたエリーですら、驚きで目を大きく見開くほどに。


「いくらわたしがお金で買われたからって、そんな恥ずかしい真似できるわけないでしょ!? このロリコン! 変態! すけこまし!」

「なっ……何を変な勘違いをしているんだ!? 流石の私でも婚前交渉などするわけないだろう!!」

「じゃあ花嫁の務めって何なの!? そんな風に意味深に言ったら変なこと考えちゃうのはしょうがないでしょ!」


 椅子にしがみついてギャーギャー叫ぶわたしに、シリウスは頭痛を堪える表情になった。


「違う、そんなことは結婚しない限りない。私が君にさせる務めは……朝食作りだ」

「…………ちょうしょく?」


 朝食。朝ごはん。ブレックファスト。

 いろんな言い回しはあるけれど……たぶん、この意味で合っているはずだ。

 いや、そもそも。


「何で朝食作りが花嫁の務めなの??」


 世間一般における常識の範囲で申し訳ないけど、花嫁の務めなど他にあるはずだ。

 頭にハテナマークを浮かべるわたしの疑問に、シリウスは答えてくれた。


「この世界にとって、食事は魔力を回復するために欠かせないもの。特に魔力を一番吸収できる朝の食事は必要不可欠な儀式なんだ」

「え、でもそれって、別にわたしじゃなくても、エリーでも可能なんじゃ……」

「そうだな。だが、その朝食を花嫁が拵えると、普段とは比べ物にならないくらい魔力が回復し、質が変わるんだ。これは花嫁が持つ太陽の魔力による相乗効果だと考えられている」

「なるほど……」


 意外にも科学的立証がされていて、わたしは素直に納得する。

 でも朝食作りか……てっきり礼儀作法とかそういうのを習わされると思ってた。


「もちろん、マナーやダンスなどの作法を学ばせるところはあるが……そこは君の自由でいい」

「心読まれた!?」

「顔に出ていただけだ。……ああ、もうこんな時間か。話はここまでにしよう。君も疲れただろう? 今日はゆっくり寝なさい」


 シリウスに言われて窓の外を見ると、空は群青と藍色、それと濃い紫が混じった空になっていた。

 日本の……人間界とは違う夜空に、わたしは思わず見惚れてしまう。


「あ、そうだ。今夜はそのローブは絶対に脱がないでくれ」

「ど、どうして?」

「そのローブは花嫁が魔法界の空気に馴染ませるために必要な服なんだ。明日の朝まで着ていないと、四肢の先が徐々に腐っていき、最後にはポロッと落ちるぞ」

「絶対に明日まで脱ぎません!!」


 シリウスの真顔&ガチトーンにビビりまくったわたしは、ぎゅっとローブごと自分自身の体を強く抱きしめた。

 怖い。魔法界怖い。何よりそんなグロい話を真顔でするシリウスが怖いっ。


「すまない、少し脅かしすぎた。でもさっきの話は本当だ。なるべく朝になるまでは絶対に脱ぐなよ。……いい夢を、マユミ」


 ぶるぶると小動物みたいに震えていると、シリウスは苦笑しながら優しく頭を撫でて食堂を出た。


(というか、さっき初めて名前で呼んだ……)


 さっきまで名前を呼ぶ気配すらなかったのに、あんな風にさらりと言えるなんて……意外とプレイボーイなのかな?

 そう思いながらわたしも食堂を後にすると、エリーの付き添いありできちんと歯を磨き、そのままわたしに与えられた部屋に案内された。


 わたしの自室とした与えられた部屋は、この屋敷に負けず劣らず豪華だ。

 落ち着いた色合いをした壁紙、床に敷かれた毛足の長い絨毯はスリッパ越しでも分かるほどふかふか。格調高い調度品も華美すぎず、学習用の机と椅子も内装に合わせて地味すぎずかつ派手すぎないものになっている。


 書棚には書物が陳列されていて、背表紙の文字が読めなかったがそれが一瞬で日本語に変わった。これも魔法の効果? だとしたらすっごく便利だ。

 その豪華な部屋の壁際の中央に鎮座しているのは、深紅の天鵞絨ビロードのカーテンがかかった四本柱の天蓋付きベッド。きちんとベッドメイキングされていて、シーツや枕カバーにはシワひとつない。


 中でも驚いたのは、ウォークインクローゼットだ。

 開けると中に入っていたのは普段着として使えそうな洋服や外出用のお洒落なドレスばかりで、靴も踵が高いものに慣れていないのを知っているのか、ちゃんと低いものが用意されている。

 ドレッサーも見たことのないというか、魔法界で有名らしきブランドが販売している化粧品の数々が引き出しに入っていて、全部ちゃんと使えるのか心配になってきた。


 そして屋敷周辺を一望できる広々としたバルコニーを最後に部屋を見回り終えたわたしは、スリッパを脱いで、眼鏡をベッドサイドテーブルの上に置き、もそもそとベッドに入りこむ。

 布団も枕も予想の倍以上ふかふかだった。今まで紙みたいにペラペラな布団で眠っていたこともあって、寝心地のよさはもう比べることすら馬鹿らしくなってくる。

 天井のシャンデリアは魔法で作ったものなのか、わたしがベッドの中に入った途端に明かりが消えた。やっぱり魔法って凄い。


「今日は色々あったな……」


 あの義母に売られたかと思ったら、魔法使いによって一〇億で買われ、魔法の世界で彼の花嫁として生きる。

 これをたった一日で疲れもなく受け止めろなど、普通に至難の業だ。


(……………あ、この布団、すごくいい香りがする……)


 大きくてふかふかな枕に顔を埋めた途端、ふわりとした香りが鼻腔を刺激する。

 この香り……草と花みたいな香りがする。でも雑草みたいに青臭くないし、花もそこまで香りはキツくない。

 もしかして、この香りの正体はハーブなのかな? そういえば、カモミールとかラベンダーって安眠効果があるんだっけ?


(ああ、ダメ……眠くなって、きた……)


 色々と考えたいのに、この香りのせいでどんどん意識が眠りの世界へと沈んでいく。

 朦朧とする意識の中で、わたしの脳裏にシリウスの姿が思い浮かんだ。


 きっと、この世界で誰よりも強くて、美しい魔法使い。

 わたしみたいな地味女にとっては、一生お目にかかることなんてない雲の上の存在。

 そんな人が、私の夫となる。


 まだきちんと受け止められない。

 だけど、今日までかけてくれた言葉や優しい態度は、決して偽物なんかじゃない。

 少なくとも、上辺だけ優しい父とは違う。


 住む家も、綺麗な服も、美味しい食事も与えてくれた人。

 だけど、愛まで与えてくれる保証はない。

 それでも、どこにも居場所のないこの世界では、彼の元で生きていかなければならない。


(ああ…………なんて、最低なの)


 色んなものを無償で与えてくれたのに、それすらも疑ってしまうなんて。

 なんてひどい女。こんな自分が嫌いだ。

 与えられる愛にすら、裏があるのではないか、本当は偽りではないかと勘繰ってしまう。


 でも、それでも。

 あの人だけは、絶対に疑いたくない。


 あの優しい魔法使いを、傷つけたくはない。

 たとえわたしが、あの人に愛される価値のない女だとしても。

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