4,パンプレムースの香り


 夕日に宝石が照らされて、キラキラと輝く。

 なんの石かはわからないけど、目が眩むほど美しい。


「で、でも、クラフト師さんは別に人生をリセットしたくないんじゃ……?」

「バカだねぇ、人生をリセットしたいからこそこれを作ったんだよ」


 昨日返ってこなかった質問の答えがようやく帰ってきた。

 眩しくて表情はよく見えないけど、なんだか寂しそうな顔をしている気がする。


「今日一日で私とリザはこの街を歩き、同じものを食べ、同じものを見て笑った。それだけで絆というものは芽生えるものさ。

 これで私とリザの気持ちが釣り合っていれば、私達は人生をやり直すことが出来る。

 新たな人生のスタートさ」

「待ってくださいッ‼」


 反射的、と言っても可笑しくなかった。

 宝石箱の蓋を開けようとするクラフト師さんに縋って、途中まで空けた蓋に叫んだ。


「どうかしたのかい? やり残したことでも?」

「そうじゃないんですけど、」

「なら早くお嬢ちゃんの箱を開けな。過去に戻ろう」


 そう、私は過去に戻りたい。

 戻ってもう一度、自分の人生をやり直したい。

 魏父母の屋敷に引き取られないように、孤児院でもっとうまく立ち回るために……。


 両親に捨てられない為に、一から努力をするんだ。


「(でも……)」


 なんだろう、自分の中に未練があったのだろうか。


 そうっ……と蓋を撫でると、目の前が白くなった。


「え⁉ ッキャア‼」


 突如、体が洪水のような激しい突風に包まれた。





『ああ、生まれてきてくれた私の愛しい子』

『ホギャー……!』

『これからは一緒に生きていこう』



「なに、誰……⁉」



 風に負けじと目を開けると、斜め上で〝誰か〟の映像が映しだされていた。

 そこにいたのは、仲のよさそうな家族。父親、母親がいて小さな赤ん坊を抱いている。

 残念ながら顔は靄がかかっており、鮮明なところまでは見えない。




『さあリザ、ご飯の時間よ』

『うー、あー……』

『おや、君のパンプレムースの紅茶が気になるようだね』



「(これ、もしかして私の記憶?)」



 これはリセットボタンの効果なんだろうか?


 クラフト師さんが言っていた、宝石を思い出す。もしかしてこの箱に埋め込まれた宝石が、私の眠っている記憶を呼び覚ましてくれたのだろうか。



『パンプレムースの香りが好きなのね』

『キャッキャッ……!』

『ならベビーベッドにサシェを置きましょうね』




 ああ、私はこの時からパンプレムースが好きだったんだ。

 あの匂いが懐かしいと思うのは、赤ちゃんの頃お母さんが枕元にサシェを置いてくれていたからなんだ。


 すると、また映像が切り替わった。




『あなた、あなたッ‼』

『すまない……リザを……頼……む……』

『ああッ……!』





「(お父さん、死んじゃったんだ)」


 ベッドに横たわるお父さんの傍には、赤ん坊の私を抱えるお母さん。


 また映像が乱れた。




『お願いします、この子預かってください!』

『そうは言われても、うちもいっぱいいっぱいなんだ』

『お願いします、今の私の稼ぎではとても育て切れなくて……お金ができたら必ず迎えに来ます!』

『そんなこと言ったって、ちょっとあんた⁉』


 そうか、こうして私は孤児院に入れられたのか。

 唯一の救いは、お母さんがいつかを迎えに行くと言ってくれたことだ。


「その言葉が聞こえただけでも、今の人生は満足かな」


 お母さんは私を愛していてくれた。けど離れざるを得なかったんだ。ならせめて孤児院にいられるよう努力しよう。


 今度こそ未練はないと思ったのに、また目の前の映像が切り替わった。





『どういうことですか⁉ リザが養子に引き取られた⁉』

『ふん、今まで放っておいて何を今更!』


 え。なにこれ。

 これは私の記憶じゃない。だってどこにも自分が存在しない場面だもの。

 これはもしかして……お母さんの記憶?


『そんな! どこに連れていかれたのですか⁉』

『ここから西の山を越えて村を三つ超え、さらに湖を越えた向こうの街さ』

『どうして……』




「(お母さん、迎えに来てくれたの?)」


 胸が締め付けられる。


 お母さんは私が孤児院から出て行った後に、来てくれていたのだ。


「お母さん、お母さんが待っているんだ、帰らなきゃ」


 早く終わってよ、と願うも映像は砂嵐のように歪み、新たな輪郭を映し出した。





『お願いします! どうか娘に合わせてください!』

『はぁ? お前の娘なんて確信は何処にもないだろう!』

『遠目で見てもわかります! あの子は私が生んだリザです‼』




「お義父さん?」


 映し出されたのは義父母の住まう屋敷の門だ。

 お義父様と実の母が接触していたというのか。

 ならどうして母が訪ねてきたと教えてくれなかったんだ⁉


 縋りつくようにその映像を見つめる。


『あの娘は馬車馬のように働いてくれる、手放すには欲しい』

『娘になんということを……‼』

『ならお得意のマジッククラフトでも持ってくることだな、もちろん無償でだ。そうすれば話くらいは聞いてやるぞ』



「あ……」




 母にかかっていた靄が消えた。


 そこにいたのは今一緒にいるはずのクラフト師さんだった。







「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん!」

「!」

「どうかしたのかい?」


 心配するように覗き込むクラフト師さんの顔が、すぐそばにあった。


「私は…」

「やはりボタンを押すのはやめておくかい? 」



「ごめんなさい……。


 私、これからはお母さんとずっと一緒にいたい」


 宝箱が私の手から転がって、地面に落ちた。


「……見えたのね」

「お母さん……‼」


 黒い外套に縋り付くと、クラフト師さんのフードが取れた。中から出てきたのは、私とよく似た薄い菫色の髪が露わになった。

 嗚咽を漏らし酷い顔をしているであろう私を、お母さんは抱き留めてくれた。


「これも宝石の導きかしら……。ずっと黙っておくつもりだったのに」

「お母さん、私のお母さんなんだよね⁉」

「そうよ。でも私はリザを捨てた」


 少し強めの力で肩を離され、お母さんがしゃがんだ。その瞳は、私の予想通り悲しみに染まっている。


「私はずっと後悔していたわ、リザを捨てたこと。いくらお金がなくても可愛いリザを手放すべきでなかった。

 辛い人生を歩ませてしまったんだもの、できることなら巻き戻してリザをもう一度この手で育て直したい。

 そして幸せにしたいの」

「もういい、もういいよぉ……!」


 無我夢中で首に腕を回すと、パンプレムースの香りが肺いっぱいに入ってきた。薄く膜を張っていた涙が溢れ、お母さんの外套に吸い込まれていく。

 この匂いは、私が愛されている証拠なんだ。


「もう人生やり直したいなんて言わないからっ……お母さんとずっと一緒にいさせてぉ……‼」

「いいの? 私は一度あなたを捨てたのよ?」

「それでもお母さんはずっと私を愛していてくれた‼」


 私の後頭部に暖かくて、女性にしては少し固い手が押しつけられた。

 

「今まで本当にごめんね……‼ どこか遠くの町に引っ越しましょう……‼

 そして二人で新しい生活を始めましょう」

「うん……!」




 人生は一度きり、それをリセットすることは禁忌なのだ。

 もし戻れる可能性があるのなら、それに縋りたいと思う人は何人いるだろうか?


 私もその内の一人だった。

 でも、もうリセットボタンはいらない。

 だってそこにある絆を学んだから。







「お母さーん‼」

「なあに?」

「バロック真珠はどれくらいまですり潰したら良いの?」

「……やり過ぎよ‼」

「げッ‼」




 ……ほんのたまーに、リセットしたいっておもうことがあるけど、ね。



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リザのリセットボタン 石岡 玉煌 @isok0

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