5・稲荷評定 弐
顔を洗ったり体を拭いたりしてから先に出た二人を追う様に城を出て稲荷社に向かう。馬に乗って人気の少ない中之郷を過ぎる。男は砦に女は稲荷社に多くが詰めているのだろう。そんな中でも、田畑を手入れする老人や留守番の子供達にあちこちで声を掛けられる。
そういえば、和尚に声を掛けてくれと頼まなかったな。どちらかが声を掛けただろうか?そう思い至って曲がり角で馬を降り、寺への階段を登る。
「和尚、いらっしゃるか?」
本堂にも境内にも姿が見えなかったので庫裏に声を掛ける。
「おや、若様。お目覚めですか。」
そう言って法蓮和尚が顔を見せる。
「なんだ、俺が寝こけていた事をご存知か。」
俺は少し苦い顔でそう言うと、
「山之井で知らぬ者は赤子だけでございましょう。」
そんな事を言った。
「なんてこった…」
駄々漏れであった…
「まぁ良い、今から稲荷社で主だった者を集めて今後の話をしようと思っている。和尚の所に報せてくれと言うのを失念したので俺が直接寄らせて頂いたのだ。」
俺がそう伝えると、
「左様でしたか。では、直ぐに支度しますのでお待ち下され。」
そう答えて庫裏の中へ引っ込んだ。
和尚と連れ立って稲荷社に着く頃には呼び出した者はほとんど揃っていた。
「若、もう大丈夫なんですか!?」「若、ほんとに大丈夫なのか!?」
稲荷の入り口では霧丸と松吉が待ち構えており、俺に纏わり付きながらそう口々に聞いてくる。
「大丈夫だから落ち着けって!」
早々に戯れ合いと化した歩みで境内へ踏み入る。
「すまん、皆待たせたか。」
俺がそう詫びると、
「もう宜しいのですか?」
少し心配そうに爺がそう聞いてくる。
「うん、ちと頑張り過ぎただけであろう。特におかしな所は無い。」
「それならば良いのですが。こら、お主等もしゃんとせんか!」
俺の答えに表情を少し和らげてそう言う爺。
他の者も似た様な表情を見せる。そして、叱られた二人は俺の後で直立不動で大人しくなった。
見渡すと上之郷からは忠泰叔父が(頼泰の大叔父は川出から戻っておらぬし、孝泰、昌泰の二人の弟は砦に残って備えているのだろう)、中之郷は一緒に来た法蓮和尚と誠右衛門が、下之郷は宮司の白木晴広と康兵衛だ。
狭邑からは行賢の大叔父に加えて行昌叔父が、行徳大叔父も砦に残った様だ。落合からは爺と永由叔父が、永隆叔父は入谷館の守りだろう。
そして入谷からは北の谷で協力してくれた嘉平が来ている。特に誰とは指定せずに代表をと言ったのだが彼が纏め役なのか面識が有るから選ばれたのかは後で確認が必要だろう。
そこに、孝政とこちらも北の谷で強力した昭三、そして僧形の痩せこけた男が小走りに近付いて来る。そして、僧形の男は近寄るなり、
「この度の仕儀、誠にお詫びの申し上げ様も無く!」
そう叫んで地に額を擦り付けた。紛う事無きジャンピング土下座で有る…
「若…」
暫し、呆然としていると爺が小声でそう声を掛けてくる。はっと我に返る。この男が恐らく板屋の生き残りであろう。
「うん、貴殿が板屋の先代の御舎弟に御座いますな。」
「はっ、板屋宗潤の弟、光潤で御座います。この度は誠に…」
俺の問いに名乗ると再びそう続けようとしたので、
「申し訳ないが、色々決めねばならぬ事が多いので貴殿の話は後回しです。ですが、板屋の領民については粗雑に扱わないと言う事は最初にお伝えしておきます。」
そう言って会話を区切った。
「良し、皆揃ったから話を始めたい。まずは守谷の砦だが、寺の上の物見小屋に人は置いているか?」
俺はそう確認する。
「置いております。兵が交代で夜も詰めておりますぞ。」
行賢大叔父が代表してそう答える。
「動きは何も無いのだな?」
「有りませぬ。」
はっきりと言い切る所から本当に何も無いのだろう。
「爺、落合の兵は足りているのか?」
続けて今度は爺にそう尋ねる。
「足りませぬが仕方が有りませぬ。」
爺は取り繕う事無くそう答えた。篠山城に加えて入谷館の面倒も見ているのだから当然足りないだろう。
「後、何人必要だ?」
「どの程度守るかに拠りましょう。」
まぁ、そうか。
「永由叔父上、板屋領に何か動きや問題は?」
続いて永由叔父にそう尋ねる。
「今の所は何も。」
永由叔父は静かにそう答える。
「嘉平、入谷郷の者達はどんな様子だ?」
張本人でも有る嘉平にも聞く。
「はっ、はい、無体はなさらぬと言うのは皆感じておる所かと。只、その分、板屋の殿様への…」
不満が出ているか…だが、その捌け口は永久に失われてしまっているな。
「昭三、板屋郷はどうだ?」
今度は昭三にそう尋ねる。
「はい、概ね入谷と同様かと。只…」
そう言って言葉を濁す昭三。
「良い、何でも言ってくれ。それで叱ったりはせぬと約束する。」
俺がそう言うと、チラリと光潤を見た後に、
「板屋のお殿様はどうなるのかと心配する声が上がっております。」
そう答えた。
「うん?それは光潤殿の事か?」
微妙な呼び名にそう確認する。
「あ、は、はい!我らは入谷に移ったお殿様と区別するのに板屋のお殿様と…」
そう言えば、上之郷の大叔父も上之郷の殿様と呼ばれていた。
つまり、嘉平の言った板屋の殿様とは宗潤や宗貞の事で、昭三が言ったのは光潤の事だ。何とややこしい…
「成程、良く教えてくれた。」
俺がそう答えると、昭三はほっとした様子を見せる。しかし、光潤は人望が有る様子だ。これは上手く利用した方が得策か。
「板屋の領内に事を起こしそうな者は居るのか?」
俺はそう言って、光潤、嘉平、昭三を順に見る。
「い、板屋の領内は税が重かったんで農民はあんまり殿様の事慕ってなかったです。だから殆どの者は…」
嘉平は光潤を申し訳無さそうに見ながらそう言った。
「殆どと言う事は多少は居るんだな?」
俺は嘉平を真っ直ぐ見詰めてそう聞く。
「その…家族を亡くした家の者はどうしても…それから代々館に兵を出していた家も有るので。」
嘉平は言い辛そうに、しかしはっきりとそう言った。
「まぁ、前の者達は止むを得ないか…我等から見れば逆恨みも甚だしいと言わざるを得ないが…」
俺が厳しい顔でそう零すと、
「某が何としてでも説き伏せます故、何卒!」
光潤が再び地に伏してそう言う。
「わ、私も!」「か、必ず!」
それを見た嘉平と昭三も慌ててそれに倣う。
いや、罰しようとか考えてた訳じゃないんだが…そんな苦い思いが顔に出ていたのだろうか、三人は額で穴を掘らんばかりに更に頭を下げて赦しを乞うた。
「落ち着きなされ。若は左様な事は考えてはおられまい。」
その三人に対して爺がそう嗜める。
三人はそれを聞いて恐る恐る顔を上げ、こちらを伺う。
「繰り返すが民に無体はせぬ。我等は横手ですらも無体は働かなかった。だが、我等に歯向かう者は本人のみならず親族に至るまで厳しい責を負わす。それは努々忘れるな。」
俺が厳しい表情でそう告げると、三人は再び頭を地に擦り付けた。
「では、上之郷の、兵は入谷館に回そう。守谷砦は行徳の大叔父上の下に行昌叔父上と孝泰、昌泰叔父上が付く。守りと共に普請も頼むぞ。」
俺はそう決める。
「待て待て、俺はどうなる?」
それを聞いた忠泰叔父が声を上げる。
「忠泰叔父は山之井の城に詰めてくれ。大叔父上が戻られるまでの間はその代わりも頼まねばならん。」
俺はそれにそう答えると、
「そ、そうか…それなら仕方無い。」
悲喜入り混じった顔でそう答えた。
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