4・稲荷評定 壱

 目が覚めたのは、後から聞いた話に因れば二日後の朝だった。慌てて部屋を飛び出すと母の侍女に出会す。

「若様、お目覚めですか!奥方様ー!」

俺の姿を見るやそう叫んで走って行った。そうか、母上はまだ居るんだ。じゃあ、紅葉丸も梅も居るな、良かった。

 そんな事に安堵して立ち尽くして居ると、母が慌てた様子でやって来た。

「若鷹丸殿、加減は如何ですか?」

目の前までやって来た母にそう聞かれる。そこで漸く自分が長く眠っていた事に思い至る。

「…特に問題無い様に思います。」

彼方此方動かしたり触ったりしてみてからそう答える。

「そうですか…」

ほっとした様子でそう言う母。よく見ると頬が窶れ、顔色も良くない。俺は倒れる様に寝てしまったが母は寝られていないのかもしれない。

「母上こそ眠れていないのではありませんか?少しお休みになられた方が…」

そう言うと、

「そうですね、若鷹丸殿が無事に目を覚ましましたからそうさせて貰いましょう。」

母はそう答える。


「あにうえっ!」

そこへ転げる様に梅が走って来る。

 板の間で寝転けて居たのか、柔らかな頬には木目の跡がくっきりと付いている。

「梅、心配を掛けたな。」

俺が屈んでそう言うと、

「いたいところない?もうだいじょうぶ?」

俺の周りをぐるぐると回って確認しながらそう聞いて来る。

「うん、もう大丈夫だ。」

そう言って聞かすと、

「梅は引っ切り無しに若鷹丸殿の様子を見に行ってはやれ水を飲ませたり汗を拭いたりして居たのですよ。」

母がそう口を出す。

 そう言えば夢現に水を飲んだりした覚えが有る。厠に行くのに支えてくれたのは紅葉丸だっただろうか。


「そうか、助かったよ梅。これから母上はお休みになるからお主も一緒に休んでくれると母上も安心だと思うがどうだ?」

そこで、赤い目をした梅にそう提案する。

「…そ、そうする。」

梅はチラリと母の顔色を伺った後にそう答えた。

「梅、お魚は良いのかい?」

すると、いつの間にかやって来て居た紅葉丸がそう梅に聞く。

「あっ!あのねあのね!おさかなつかまえた!あにうえがおきたらたべてもらうの!」

目を丸くしている驚いた後、梅は勇んでそう言う。

「そうか、では有り難く頂くとしよう。」

俺はそう礼を言って梅の頭を撫でた。そして梅は母に伴われて部屋に戻った。


「さて、紅葉丸。俺が戻ってからどの位経った?」

俺は紅葉丸にそう聞く。

「兄上が戻られたのが一昨日の夜です。」

「二晩寝ていたか。」

思った程は経っていなかった。

「今、この館には誰が居る?大叔父上はもう川出に向かわれたのか?」

続けてそう聞く。確認せねばならない事は山程有る。

「大叔父上は典道叔父上と共に兄上が眠られてからすぐに。今、城には孝政しか居りません。兵は皆、叔父上達と守谷の砦に。」

紅葉丸が淀み無くそう答える。

「では、孝政を呼んでくれ。広間で話そう。」

「分かりました。その前に飯にしませんか?」

紅葉丸が少し心配そうにそう提案して来る。

「そうだな、そうするか。いや、食いながら話しを聞けば良いか。俺は厨へ寄ってから行くから、お前は孝政を呼んで広間で待っていてくれ。」

「分かりました。」

それに対して俺はそう答え、紅葉丸と一度別れて厨へ向かう。


「若様!お目覚めですか!」

厨へ向かうと控えの間に居た米達が飛び出て来た。

「うん、心配を掛けた。すまんが飯を頼めるか?広間に運んで欲しい。それから梅が獲って来た魚も焼いてくれるか?」

俺がそう頼むと、

「冷や飯ならすぐに出来ますが、温かい飯が良ければ少し時間が掛かりますが…」

少し申し訳無さそうにそう言う。

「冷や飯で良い。いや、握ってくれるか?それと汁物か漬物でも有ると嬉しいのだが。」

「分かりました。直ぐにお持ちします。」

「うん、すまんが頼む。」

そう頼むと広間へ向かう。


「すまん、待たせた。」

俺がそう言って広間に入ると、紅葉丸は奥を向いて背筋を伸ばし座っていた。その斜め後ろには孝政が控えている。

 俺はその横にどっかりと腰を下ろすと直ぐ様話を始める。

「それで分かる限りの状況を聞きたい。」

俺がそう言い終る前に、

「兄上はあちらです。」

紅葉丸は正面を指してそう言う。

「よせよせ、俺は家督を継いだ訳では無い。そもそも俺が継ぐと決まった訳でも無い。」

俺は苦笑してそう言い返すが、

「こんな状況なのです、兄上で無ければ纏まりません。」

意志の固い目をしてそう答える。

 俺は視線を少しずらして孝政を見る。「お前か?」そんな意思を込めて目を合わせるが孝政は力無く首を振る。

 それはそうか、孝政は出来れば紅葉丸を当主に推したいのだから。紅葉丸も紅葉丸なりに現状に対処しようと考えたのか、それとも母か…

「もしそうなったら今までの唯の兄弟では居られなくなる、そんなに急がなくても良いだろう。それに父上はまだお戻りになられていない…」

俺は奥を見て思わずそう零す。もしかしたら一番覚悟が決まっていないのは俺なのかもしれない。

「それは…」

父の事を言うと紅葉丸も口篭った。

「はい若様、お食事が出来ましたよ。」

そこへ米が膳を運んでやって来る。

 この城の裏の主とも言える米が遠慮無しに入って来た事で微妙な雰囲気も吹き飛ばされてしまう。

「すまんな、頂こう。」

俺はそう言うと汁を一口口に含んでから握り飯に齧り付く。


「孝政、とにかく現状を教えてくれ。」

握り飯を飲み込んでそう頼む。

「兄上、それは某が。」

それに紅葉丸が割って入ってそう言う。

 又も孝政へ目をやると仕方無いと言った感じで頷く。まぁ、間違いが有れば孝政が訂正するだろう。

「では、紅葉丸頼む。」

俺がそう答えると少し嬉しそうにした後、

「今の所、横手の動きは見えません。狭邑の行賢大叔父上の下に上之郷と狭邑の叔父上達が山之井と狭邑の兵全てと守谷砦に詰めています。入谷の館には落合の叔父上達と落合の兵が。板屋と入谷に関しても今の所大きな騒ぎは起きていません。」

予め纏めて有ったのだろう。淀みなくそう答える紅葉丸。

「川出についてはどうだ?」

「三田寺からは何も有りませんが、昨日、壱太が来ました。壱太が言うには一時押し込まれていた本隊も何とか押し留める事に成功したそうです。」

兵六は巧くやってくれた様だ。これは追加で礼をしなければいけないだろう。

「良し、主だった者を稲荷に集めろ。紅葉丸は守谷、孝政は落合と入谷に報せてくれ。」

そう命じると我等は再び動き出した。

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