閑話・糸引く者 壱

 ― 実野勢 川出付近本陣 ―

 ― 真倉允容まくらさねかた ―


 膠着状態だった戦線がジリジリと進み始める。最前線のすぐ後ろには、高く掲げられた旗竿とその先に掲げられた首が一つ。

「允容、そなたの言う通りの流れになっておるの」

 後ろから上機嫌で主計助様がそう仰る。その視線を先に有るのは高く掲げられた山之井成泰の首。

 己の力を認めようとしない父と袂を分かち、仕官先を求めて流れる事幾年。漸く己の野心が満たせそうな仕官先が見つかったのが八年前だ。

 それから今日まで長きに渡ってあちこちに蒔いた種の一つが漸く実を結ぼうとしている。

 それが三田寺勢の腰を引けさせている彼の首だ。山之井成泰、二代に渡って三田寺勢の主力として我等の行く手を度々阻んで来た男だ。

 猛将、そう呼んで差し支え無いだろう。あれだけの突進力を持つ武将はそうは居ない。逆を返せばそれしか無いのだが、多少の不利や策はその勢いを以ってして引っくり返してしまえる男だった。

 私の策も何度か食い破られた。だが、その戦い方故、父親共々長生きは出来なかった様だ。


 三田寺勢は背後の無防備な領地を突かれる事を恐れて腰が引けている。それが現実のものとなるのも時間の問題だ。込み上げる感情が抑え切れずに笑みを浮かべていると自覚する。いかんな、策士たる者感情を他人に読み取られてはならぬ。


 そこへ右手から馬蹄の音が響いて来る。ちらと視線をやれば横手へ兵達を率いて行っているはずの荒井容秀殿が馬を飛ばして近付いて来る。

 大将が自ら馬を飛ばしてやって来る事態が起こったのか?先程までの愉悦の感情は霧散して行くのを感じる。


「御報告致します。横手の館が山之井の手の者に焼かれました!」

 馬を降りて陣幕まで駆け寄って来た荒井殿は開口一番そう叫んだ。

「な、何じゃと!?ど、どう言う事じゃ!」

 隣で主計助様がそう怒鳴るのを聞いてハッと我に返る。

「主計助様、落ち着いて下さいませ。荒井殿、仔細まで御報告を」

 私は主計助様を宥めてから、荒井殿にそう問うと、 ’ムッ’ とした表情を一瞬見せながらも直ぐに主計助様に向けて報告を始める。

「我等が横手谷へ入ると館から火と煙が登っているのが見えました故急ぎ駆け付けますと、館は火を包まれて手の施し様が無い状況で御座いました。麓に居た分家の者を捕まえて話を聞きますと、夜半に山之井を名乗る者共が屋敷に押し入り子女を人質に、先代の広平殿に降伏を迫ったそうで御座います。広平殿はこれを受け入れ己の首と引き換えに子女と館の者の助命を願い出たそうで…」

「それで、下ったと?」

 話の流れを引き継いでそう尋ねると、

「うむ。館の者は皆、里に帰された後に火を放ったらしい。」

 荒井殿がこちらに目をやり答える。

「ち、広平め、不甲斐無い…」

 主計助様が不機嫌そうにそう零される。以前より衣着せぬ物言いの目立つ御人柄ではあったが、近頃は少し目に余る場面が目立つ様になった。

 それを聞いた荒井殿は不愉快そうな気配が隠しきれていない。主計助様に最も近しい者の一人と言える荒井殿でも顔を顰める程なのだ。

「城の兵も出払っておったでしょうから致し方無かったのでしょう。子を盾に取られたと言う話ですしひょっとすると清様も御一緒だったのやもしれませんし」

 仕方が無いので、さり気無く横手の隠居殿の肩を持ちつつ主計助様様の矛先を逸らす事にする。

「おぉ、そうじゃ清はどうした!?」

 そうすると、はたと気付いた様子でそう聞かれる。

 子煩悩で有る主計助様らしいと言えばそれまでだが、それは実子のみならず養女に迎えた清様に対しても同様らしい。

「清様は他の館の者と共に里へ降りていらっしゃった為、御無事で御座いました」

 流石に長く主計助様と共に過ごして来た荒井殿であって、何を気にされるかは分かっていたのだろう。すかさずそう答えた。

「そ、そうであったか。すぐに実野の城まで送り届けるのじゃ」

 そう聞いて主計助様は明から様に態度を軟化させるとそう命じられた。


「ところで、先発した横手の者達はどうなったのです?それに山之井の手勢は誰が率いていたのか?」

 そもそもの疑問はそこだ。板屋がこちらに寝返り、山之井の当主を討ち取った所でこちらの優勢は決したはずだ。事実、そこから味方は押しに押して敵を元来た道へ追い遣り、更に山之井の領地に向けて山中を進んでいたはずなのだ。

「仔細は分からぬが山之井の者の言い分では我が方は散々に打ち負かされたらしい。事実、誰も横手へは戻って居らぬと言うし、あの谷が一本道なのはお主が一番良く知る所であろう」

 それはその通りなのだが、どうやってと言う疑問が解決出来ない。

「して、率いていた者は?」

「山之井の嫡男だそうだ。元服前と聞いていたが…」

 山之井の嫡男、若鷹丸と言ったか。確かに近隣に神童として名が知れているらしいが、漏れ聞こえて来た話によれば、それは算術が得意と言う話や、民と親しく殖産を行い、また山野を良く駆け回ると言う物で、父親の成泰には似ていないと言う評判だったはずだが…爪を隠していたと言う事か。

「忌々しい、又も山之井の者か…」

 機嫌が治ったと思った主計助様がまた不機嫌そうな様子に戻ってそう吐き捨てる。

「まぁ、良いでは有りませんか。成泰は討ったのです。そして、この場を押し切れば相応の戦果が得られましょう」

 長い時を掛けて仕込んで来た策を台無しにされて業腹なのは私の方だ。そんな思いを押し込めてそう進言する。

「そうか。まぁ、そうよな。良し。容秀、そなたの部隊は直ぐにこちらに戻せ。一気に押し切るぞ」

 直ぐにその気になったのか、主計助様はそう命じられる。

 荒井殿が一瞬こちらを見る。こちらの追撃を打ち破り、更には横手まで攻め寄せたとしても、直ぐに火を放ち後退している所から鑑みるに、向こうもそう余力は無いだろう。再度攻めて来る事は有るまい。そう判断し、すかさず頷いて見せると、

「はっ、直ちにその様に致します。それでは御免」

 そう行って荒井殿は横手へ戻って行った。


 さて、想定よりも戦果が小さくなった。ここは新たな種を蒔かねばなるまい。

「主計助様、彦五郎へは私から伝えておきまする」

「良しなにせよ」

 私の提案に億劫そうにそうお答えになる。横手の嫡男彦五郎は主計助様に小姓として仕えている。どれ、山之井に対する敵愾心を煽っておく事にするか。


 だがその後、予想に反して押し切れると踏んだ主戦場も、昼を過ぎる頃には敵方が体勢を立て直し再び膠着状態に陥る事になった。

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