3・涙〜北の谷の戦い・戦後参

「駒殿。」

爺から聞いて、横手の子女が滞在している稲荷社の社務所一室で声を掛ける。

 膝の上で眠る弟、孫三郎を抱えたまま俯いていた駒はおれの呼び掛けに力無く顔を上げる。

「御父上の首を直ぐに本陣へ運ぶ事になった。お会いになられるか?」

酷な事を聞いている。

 だが、次に会える事が有ったとしても酷く傷んで誰だが分からないだろう。それよりはマシかとも思う。

「あ、会わせて下さい!」

はっと表情に生気が戻り、そう答える。

 しかし、彼女は孫三郎に目を落とし苦しげな表情を浮かべる。

「弟君は止めておかれる方が宜しいかと思う。幼子にこれ以上…」

彼女が何を思ったか何となく理解出来た俺はそう勧める。

 駒も同様に思ったのか、

「そうですね…里、お願い。」

そう言って孫三郎を侍女に渡して立ち上がった。


「私の考えている事など分かってしまうのですね…」

二人で廊下を歩いているとそう言われる。何の事か分からずに振り向くと、

「弟の事です…」

そう続けて言われた。

「俺にも同じ年頃の妹が居るから…」

そうだ、母上だけでなくて梅にも伝えねばならんのか…そう答えた後は駒は黙って後を付いて来た。


 大分暗くなり篝火が焚かれ始めた境内を真っ直ぐ抜け、鳥居を潜って道へ出る。そこには兵に守られて戦利品の武具と共に大将級の首が桶に入れられて置かれていた。

 死や血は穢れであるから神域である境内には入れられない為だ。そんな事を言ったら家族を亡くした者は勿論、敵を殺して回って血に塗れている我等も境内に入れる訳は無いのだが、この時代、そんな事を言っていては神社も立ち行かないのだろう。

「横手殿の首を出して貰えるか。御息女が確認される。叔父上は御存知だ。」

その場を守っていたのは三田寺の兵だったので、やや丁寧に頼む。

「…は、直ちに。」

俺と駒に一瞬視線を走らせた後、兵は後ろから一つの首桶を手にして戻る。

 首桶を受け取るとズシリとした重みが両手に掛かる。近くの篝火の傍へ移動するが、その短い距離でも、まるでこれがお前のやった事の重さだと言わんばかりに両手に掛かる重さが訴えている様だ。

 そこではたと気が付く。

「駒殿、申し訳無い。台など用意するべきであった…」

このままだと地べたに首桶を下ろす事になる。余りに失礼だと思ったのだ。ちらりと先程の兵へ視線を送るが静かに首を振る。

「いえ、構いません。早く会わせて頂ければ…」

駒はそう答えるが、流石にそうも行くまい。

「せめて、莚でもないか?」

兵に重ねてそう聞くと使い込まれた莚を持ってきてくれた。

「これで御勘弁願いたい。」

そう伝えてから首桶を莚の上に置く。桶に向かって両手を合わせてから蓋を開いた。

 正直落ち着いた状況で見る首と言うものは正視に難いものが有る。戦の極限状態ではまだしも、目の前に人の首だけが切り離されて有るのだ。しかもこれが猟奇的な事件で無く、極一般的な作法だと言うのが理解を更に阻んでいる。

「ぐ、ぅ…」

隣では俺と同じ様に跪いた駒が必死に嗚咽を漏らすまいとしながら涙を流している。俺は蓋をその場に置くとそっと立ち上がり後ろに下がった。


 どれだけそうして居ただろうか。西の山の端に日が完全に隠れ大分経った様に思う。

「若鷹丸。」

典道叔父が俺の傍に来て声を掛けて来る。

「そろそろ行かねば。すまぬが我等は今宵の内に出立したい。」

そう小声で続ける叔父の言が聞こえたのだろう。駒が振り返って立ち上がり、

「御厚意感謝致します。」

静かにそう頭を下げた。


 部屋に戻る駒を兵に預け、典道叔父と山之井城を目指す。

 叔父が機乗なので爺は俺にも馬を勧めたが、緊急時の連絡用に馬は重要である上に、足の速い軍馬は戦で多くを失っている為に断った。

 坂を登ると門の前で孝政が出迎える。伝令を出す為の伝令に走らせた後、叔父のお付の男と何やら一悶着有った挙句、母上付きなのだからとっとと帰れと三田寺勢から追い払われたらしい。どちらも似た様な性格だから元々反りが合わなかったのかもしれない。

「奥方様がお待ちです。」

そう言って先を歩く孝政に続いて玄関を入る。

 そこには目を赤くして口をへの字に曲げた梅とそれを見守る紅葉丸が待っていた。

「今戻った。梅どうした?」

口を結んだまま無言でトコトコと近付いて来る梅を抱き上げてそう尋ねると、

「母上が武家の娘は泣いたらいけないって…」

そう声を震わせるながら答えた梅はギュッと俺にしがみ付く。

「そうかそうか、梅は偉いな。でも梅は泣いても良いのだぞ。兄も戦の後に少し泣いたわ。」

「うぅ…うぇえー…ちちうえー…」

俺がそう告げると梅は堰を切った様に泣き始めた。

「紅葉丸も良く留守を守ってくれた。」

梅を抱いたまま廊下を進みながら紅葉丸にも声を掛けると、

「兄上こそ御無事で何よりでした。」

そんな会話をすればもう広間に着く。


「母上、只今戻りました。」

梅を紅葉丸に預けて母と大叔父の前に座りすう告げる。

「良く無事に戻ってくれました。それに大層な働きだったそうで、殿もきっと喜んでおいででしょう。」

憔悴した様子ながらも気丈にそう母は俺を労ってくれる。そして続けて、

「梅、泣いてはならぬと申しましたよ。」

そう梅を叱ったので、

「母上、某が泣いて良いと申しました。父上も梅くらいはうんと泣いて惜しんで差し上げねば、儂の子は誰も泣いてくれんなどと悔しがりましょう。」

俺が母にそう言った。

「ふふ、そうですか。そうですね。殿ならきっとそう仰いますね。」

母はそれを聞いてフッと寂し気に微笑む。

「母上、申し訳御座いませぬ。父上の首、取り返す事叶いなせませんでした…」

そこで俺はそう詫びて頭を下げる。

「姉上、面目次第もござらぬ…某を生かす為に成泰殿は…」

俺に続いて典道叔父もそう詫びて頭を下げる。

「良いのです。殿はいつも自分は戦でしか役に立てぬ男故、何かの時は自分が真っ先に危険な所を受け持たねばならぬのだと仰っていました。きっと二人が無事に帰られた事に満足しておいででしょう。」

母はそう慰めてくれるが俺は下げた顔を上げられなかった。先程存分に泣いたと思ったのにまた涙が溢れて来たからだ。

 床にポタポタと落ちて行く涙の粒を見つめながら、

「申し訳有りませぬ…」

俺はそう詫び続ける事しか出来なかった。

「そなたは良くやったのです、他の者ではとても成し遂げられない様な働きをしたのですから何を謝る事がありましょう。」

俺に歩み寄り、頭を抱き抱えてくれながら母は涙声でそう褒めてくれた。


 後ではまだ梅が泣いている。母も梅も、そして駒も泣いた。勝っても負けても結局泣く者が居る…弱くては誰かの言うがままに泣く者だけが増えて行く。強くならねば…そう思いながら意識が薄れて行く。

 起きたら母も兄弟も三田寺に帰ってしまっていたら嫌だな…最後にはそんな事を思っていた気がする。

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