第29話 看板娘はまさかのあの娘?

「優弥ー? ちょっとお使い頼まれてくれない?」

「えぇー、俺結構暇じゃないんだけど」

「なにしてるのよ」

「睡眠という人間にとって大切な行動を」


 お使いに行きたくなくて屁理屈を並べて、ぐだぐだしていると、母さんにベッドからたたき起こされる。


 酷いっ、息子が布団で気持ちよく眠ろうとしているのに!


「いいから、ハソーコーヒー店のマスターに届けてあげて、お父さんのお土産」

「あー、海外から送られてきたやつ?」

「うん、お願いね?」


 俺はそう言われて、小包を受け取ってしまった。

 しまったと思った時には母さんはもう既に出かける準備をしている。


 俺はしょうがなく、出かける準備をする。

 ハソーコーヒーとは父さんの親友がやっている店で何度も遊びに行っている。


 慣れ親しんでいるからといって、雑な服装で行くわけにもいかない。

 俺は最低限の身だしなみを整えて、出かける。


 カランカランッ、まだ開店前だがお店の中に入る。


「お邪魔しまーす」

「お客さん、ごめんなさいまだ開店前」

「久しぶりっす、羽根さん」

「ゆうちゃん? ゆうちゃんじゃないかっ!」


 ニカッと白い歯を見せびらかすような笑顔を振り向くこのあごひげが特徴的なおじさんは、ここのマスターで羽根壮一はねそういち


「なんだい? どうしたんだい」

「これ、父さんからのお土産で」

「わざわざ届けてくれたの?」


 またニカッと白い歯を見せるように笑顔を振りまきながらお礼を言われる。


「アイツは元気にしてる?」

「多分元気ですよ、あんまし帰ってこないけど」

「そっかー……」


 俺のその言葉に、羽根さんはすこしだけ眉を下げる。

 閃いたように、羽根さんが言う。


「ゆうちゃん、コーヒー飲んでくかい?」

「待ってました、お駄賃替わり」

「言い方!」


 茶化すようにそう言いながらコーヒーを待つ。


 数年前までは、開店後でも十分並ばなくて済んだのだが、今はもうほどほどの有名店になってしまった。


 だから、こうして特別に入れてもらっているのは気が引けるところもあったり……。


「あーあ、数年前まではガラガラで穴場だったのになぁー」

「ゆうちゃん、言い方悪いぞー」

「それほど、居心地よかったんだよ」


 俺がそう言うと、羽根さんは何も言わずに、ただコーヒーの匂いがカウンター近くからやってくる。


 あぁ、いい匂いだ……。

 コーヒーを好きになったのも、ここがきっかけ。


「すごいよなー、テレビにまで出て、ここまでお客さん集めてるんだから……」


 俺が思い出に浸るようにそう言うと、羽根さんがコーヒーを持ってきた。

 、カップに注いで。


「そりゃ、今は看板娘もいるからね」

「へー、看板娘ねぇ」

「恵ちゃーん」

「はーい」


 と軽く明るい返事が奥の方から返ってくる。


「――――ッ!」


 しかし、その子は俺を見て、一瞬立ち止まる。


「この娘がね、看板娘の」

「えっと、田畑さん? ここで何してるの?」


 俺がそう聞くと、その女の子は驚いたようにビクッと肩を震わせる。


「は、はい? えっと人違いじゃ……」

「すごいっ! 名字も知ってるの?」

「店長ぉ……」


 いつも知っている、おどおどした様子の田畑恵はそこにはいない。

 まるでと言わんばかりの振る舞いをしている。


「店長、ちょっとこのお客と喋ってもいいですか?」

「あ、うんいいよー」


 そう言って、羽根さんは奥の方へ移動する。

 俺の対面には看板娘の田畑恵が座る。

 

 なにも話せない中、彼女が口を開く。 


「あーあ、なんでわかった?」


 わかったっていうのは彼女の存在に関してだ。

 なぜ自分とわかったか。


「う~ん、雰囲気はめっちゃ違うけど、なんかわかった的な……」

「はぁ? なにそれ」

「うひゃー、学校との温度差で風邪ひきそう」

「今時そんな茶化し方するひと初めて見た」

「うっせ」


 つい、彼女の喋り方につられて、汚い言葉で返してしまう。

 まるで春姉と喋っている時みたいに。


「そんで? ここでバイトしてるの?」

「うん、まー5月くらいから?」


 田畑さんが「こんなに違うんだから」とはははと乾いた愛想笑いをする。


「学校でおどおどしてるのはわざとか」

「名女優でしょ?」


 きゃはっと普段からは想像もできない仕草をとる。

 こりゃ、誰にも気づかれないだろうな。


 眼鏡や三つ編みをやめている彼女は一言で言うと美少女だ。

 春姉や荒風先輩とは違う、また変わった美少女。


 看板娘と言われるのも無理はない。


「二面性があるこわーいサイコパスの間違い」

「それを言ったら、私の場合それが深いだけ」

「あっそ」

「なぁんか、普段と扱いがざ、つ?」


 そう言いながら、指を白桃色の頬に当てながら考えている。


「あっ! あの人と話してるときみたいに口が悪いんだっ!」

「ちょっと言い方」


 あの人は春姉のことだ。

 聞かなくてもわかる。


「普段は違うのにどうして? 他の人にも敬語なのに」


 そう聞かれると、なぜ? と自分の中でも考える。

 聞かれた本人が一番わからないのだからしょうがない。


「――――って、そっちだって、そんな喋り方じゃないだろ」


 俺がそう言うと、田畑恵はふぅーっと息を吐く。

 なにかガスが抜けるように。



 その言葉が、苦いコーヒーをより苦くする。

 カランッと溶けた氷同士が沈んでいく。

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