第4話 人の機嫌を取り戻すのはとても難しい

 昼休み一年生の視線を引く先輩が俺の教室の扉の目の前にいた。


 背が高く、ショートカットでイケメンな女性だ。

 誰かを探しているようだった……。

 俺と目が合うと、こちらに歩いて向かってくる。


「あ、少年ちょうど良かった」

「朱羽先輩……でしたよね?」

「合っているよ」

「それで何の用ですか?」


 朱羽先輩はなにやら、困った様子で俺の方を見てくる。

 なんだ? 俺なんかやらかしたのか?


「小春のことなんだけど」


 なんだ、春姉かと内心ホッとした。

 また春姉がやらかしたりしたんだろ。


「春姉がどうかしたんですか?」

「いや、昨日より元気がないというか、怖いくらい独り言ぶつぶつ言ったりしてて、なにか知っていないかなと」

「知らな――――あ……いや、知らないです」


 それでは、とペコリと頭を下げて立ち去ろうとするところを、ガシッと肩を掴まれる。


 朱羽先輩が怖いくらいの形相でこちらを見ている。いや、睨みつけている。


「何か知っているようだな?」

「あ、あはは……はは」

「逃げるなよ、手荒い真似はしたくない」


 この人がこういうセリフを言うと、雰囲気がある。

 本当に手荒くされそうで怖い。


「わかった、言いますよ……」


 俺は昨日あったことを先輩に話す。

 それを聞いた先輩は頭を抱えていた。


「それは、少年は悪くないな……」

「ですよね」

「でも、少年だって小春が仲いい人にはそういう変なところを見せる部分があるだろう」


 朱羽先輩の言う事もわかる。

 実際、春姉は子供っぽいところがある。ほとんどは俺よりも大人だけど。


「君には相当甘えてしまうんだろう」

「なぜです?」

「…………少年、本当に気付いていないのか?」

「気づくって……なににですか」

「驚いた、なんでもない」

「は、はぁ……」


 思わず期待に応えられず、すみませんと言ってしまいたくなった。

 気づくって何にだ……気になる。気になるが、今は聞ける雰囲気ではない。


「とにかくだ、困っているんだ、小春があの調子だと……」

「どう困るんですか」

「小春はとても人気がある、男子からも女子からも先生からもだ」

「ほ、ほう……」

「いつもなら、授業に率先して取り組み、みんなの質問などにも答えている。生徒会の仕事だって……」


 家でのイメージの春姉しか知らない俺にとって、学校での彼女はすごくしっかりしているのだ。


 俺も一度春姉の教室を通りかかったことがあるが、机をみんなに囲まれていた。


 何をしていたのかはわからなかったが、人気者なんだという事と、頼られる存在なんだなという事はわかった。


「それが、今日は暗く、ボーっとしているし、時にはぶつぶつと呪文のようになにか唱えている」

「それは……おかしいですね」

「あぁ……小春がこの調子だと、学年はもちろん、先生たちまで心配してな」

「そうですか」


 俺がそう言うと朱羽先輩は俺のことをジッと見つめてくる。


「少年、小春の機嫌を取り戻してくれ」

「どうしてですかっ」

「小春があの調子だと、こちらとしても嫌なんだよ」


 わかってくれと言わんばかりの口調だが、なにをどうすればいいのかわからないのは確かだ。


「まぁ、一旦春姉のところに行ってみてからですかね」

「頼んだぞ」

「期待しないでくださいね」

「わかったよ、君は自信がないんだな」

「そりゃ、人の機嫌を取り戻すことが簡単に出来たら苦労はしませんよ」

「君がちょっといいことを言ってくれたら、苦労はしないぞ」


 どういう意味だ? と思ったが、とりあえず春姉のクラスに来た。

 周りが2年生ばかりで、萎縮してしまう。


「大丈夫だ、私が一緒にいるだろう」

「きゅんっ、イケメンですね」

「少年……」

「はい、ごめんなさい」


 朱羽先輩から、呆れの視線を向けられ、ヒヤッとする。

 何か別の扉が開きそうになってしまい、怖かった。


「ほら、あそこにいるだろ」

「え……あ」


 春姉は、自分の机に突っ伏し、負のオーラを纏っていた。

 話しかけに来る者が、女子だと元気がなく接し、男だったら威嚇したり、ジトっとした目を向けている。


 なんか、ごみを見る目みたいで、いつもの春姉とは違う。


「春姉、だいぶ重症ですね」

「そうだ、それもこれも……」

「…………え? 俺のせいですかっ」

「ここまで来るとそれしか思えん」

「告白されすぎて、疲れたとかじゃないんですか?」


 俺がそう言うと、先輩があれを見ろと指してくる。

 一人の男がもじもじしながら、春姉の机の前に立つ。


「見ろ、空気の読めない男が告白するぞ」

「こ、小春さんっお、おれ!」


 うわ、本当に告白するのか、この状況で……。

 勇者だな。


「か、顔あげてもらえませんか?」


 春姉がその声に、顔を上げる。

 なんて顔してんだ、どんよりした表情をしてやがる。


「なに、今機嫌悪いし、私あなたみたいな人と付き合うことはないから、ごめんなさい」

「は、はひ……」


 し、辛辣すぎだろ。

 表情も普段とは全く違い、睨みを利かせている。


「勇者、撃沈ッ!」

「何を言っているんだ、次の勇者は君だろう」

「撃沈しろと?」


 先輩はフッと笑いながら、肩を上げる。


「ちょっと辛辣じゃない? 春姉」

「ゆ、ゆうちゃん……な、なにしにきたの」


 一瞬だけ、顔がぱぁっと明るくなったが、すぐにどんよりした表情に戻る。


 どういう表情筋してんだか。


「こんな、変態でショックを受けた幼馴染になにしに来たのかね」


 嫌いでしょう? といった様子で話してくる。

 春姉はすこしだけ不貞腐れている。


「別に、ショックを受けたって言っただけで、嫌いってわけじゃない」

「え、嫌いじゃないのっ?」

「嫌いなんて言ってないだろ」

「じゃあ、す、すきってこと?」


 ここで別に好きでも嫌いでもない、なんて言ったら、もっとひどくなる可能性の方が高い。


 というか、絶対そうなる。

 15年以上春姉のこと見てきて、ならないわけがない。


「うん、好きだよ」

「え、えへ……えへへ」


 なんだこの、気持ち悪い笑い声は……。

 次の瞬間、負のオーラがすべて消え、正の光のオーラが襲ってきた。


 にへらという、溶けたような笑みを浮かべながら、幸せそうにくねくねしている。


「そ、それじゃあ、これで……」


 そーっと俺は春姉の教室から出ていく。

 朱羽先輩からグッジョブと親指を立てられた。


 ペコリと一礼して、自分の教室へ戻る。

 なんだろう、どっと疲れた。

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