おうちに帰るまでが遠足です

 ガイトがミニバンのボンネットを開けて、なにも仕掛けられていないか点検している。


「エンジンは大丈夫。配線も触った形跡はねぇ、と。……ABSとエアバッグのヒューズは、念のため抜いとくか」


 ボンネットを閉めて、クルマのまわりをぐるりと回り、運転席に乗り込んで車内を見渡して開く窓を全開にし、テールゲートやリアのドアもあけ放ったうえで。

 ――乗っていい。

 とエリーナにジェスチャーをして見せる。


「スタビリティコントロールはスイッチがあるか。……オフだな。サイドは足踏みかぁ……。重たいとは言え、重心移動だけで振り回すならかなり極端にやらねぇとダメだなぁ。めんどくせ」

 さらにごそごそと何か車の設定を弄るガイト。

「んー、ガイトさん。……ちょっとこっち見て? ……やっぱり血が出てるっ!」

 

 ミニバンの助手席に乗り込んで、運転席で顔を上げたガイトを見たエリーナが青ざめる。

 仕込みだらけの破けたジャケットは既に脱いでいるが、よく見ると右の額から顔半分と、シャツの右襟から肩にかけて真っ赤に染まっていた。


「それこそかすり傷だ、気にしなくて良い」

 インパネにランプがつき、開けた窓も上がり、テールゲートとリアのドアも電子音とともに閉まり始める。


「絆創膏、持ってるから貼ってあげ……。ちょっと! 意外と深いじゃない! なんで平気なのよ! 消毒液とおっきい四角い絆創膏もポーチに入ってるはず。……さっき、タオル、持ってたわよねっ!?」

「だから別にいいっての。大げさな……」

「血が出たら慌てなさいよっ! ……あと、着替えはっ?」

「……もってます」



 数分後、顔の三ヶ所に絆創膏を張られて、シャツも着替えたガイトはクルマを空地から砂利道、そして道路へと走らせる。


「大した連中ではなかったんだが、わりと男前になってしまった……。思ったよりも喰らってた」

「あれだけ血が出てたら自分でわかるでしょ? 多少は気にしてよ。びっくりするじゃない!」

「一応言い訳させてくれ。普段一人だからさ、相棒を守りながらってのは慣れてない」


「へ? あの。…私、相棒でいいの?」

「今回は単純に護衛対象って訳でもないしなぁ。良いんじゃねぇか? 今日のところは相棒で」

「ありがとう……」


「ありがたいかぁ? やっぱり女子高生なんてのは、良くわかんねぇな」

「良いよ、おっさんが無理してわかんなくても」

「おっさんじゃねぇ、お兄さんだ!」




 白いミニバンは、山を下りてすぐに大きな道へは出ずに、谷沿いに大きく山を迂回する旧道へと入っていく。

 右は壁のように切り立った崖、左はガードレールの先がどうなっているのか直接は見えず。

 角度によって遙か下を流れる細い川が見える。

 何気ないカーブを抜けるたび、――キキぃ! とタイヤが鳴る。


「ガイトさん、ちょっと! こんな細い道で、しかもこんな車で。スピード、出し過ぎなんじゃない?」

「どんな車ならいいってんだ?」

「どんな車でもダメ、でしょ? 日本の法律、守れって言ったの自分じゃない」



 国道を外れた山の中の細い道。

 ほんの少しのカーブでも、タイヤがスキール音をあげ、車体が揺れる。


「ま。ちょいと事情があってな。意味はすぐに分かる。……ほれ、釣れた。うしろ、見てみ?」


 連続のカーブを抜け、直線になったところでガイトがぼそり、と言った。

 ミラーには、常軌を逸した速度で走るガイトたちとほぼ同じ速度で、若干距離をとって走るクルマが、カーブを抜けて現れる。


「つけてきてる……?」

「そういうこと。さすがにこの状況ならわかりやすいだろ? 白いの一台だけだとは思うが、次の直線。うしろ、みてくんねぇか?」


「わかった」

 そう言うと、エリーナはシートベルトを外してミニバンの中を後方へ移動する。


 スピードメーターは100キロを優に超え。

 ディスプレイパネルでは『制限速度 30Km/h 速度超過に注意!』の文字が点滅する。

 そしてその白いミニバンと速度を合わせつつ、距離を取りながら後方を走る車。

山間の道の短い直線が終わり、白のワゴン車はミラーから姿を消す。


「二台いた! 白いのの後ろ、もう一台。やっぱり背の低い黒いヤツ!」

「見えなかった、助かる。助手席が一番安全だ、戻ってベルト締めろ!」

 エリーナは、それを聞いて慌てて助手席に戻る。


「ガイトさん、なにする気? 安全ってどう言うこと!?」

「何らかの事故に遭遇した際、搭乗者の死亡率は助手席が一番低いことが統計上確認されている」

「なんで資料映像みたいな喋り方っ!?」

  

 ナビの画面にチラリと目をやったガイトが、カーブの出口でさらにアクセルを踏む。


「この先の直線で仕掛ける、シートの角度をあげてもうちょい前に出せ、足を突っ張ってしっかり何処かに掴まれ! 口を閉じて歯を食いしばれよ!」

「ちょっと、ミニバンで仕掛けるってなにするつもり!?」


「さっきの話。実は一番安全なのは運転席だ、気をつけろよ?」

「なにに気をつけたら良いのか、わかんないんですけどっ!!」


 言い合ううちにも、車体を大きく揺らしつつタイヤを鳴らしながらいくつかのカーブを抜けた白のミニバンは、直線前の最後のカーブでさらに速度を上げる。


 そしてカーブを抜けた直後に急ブレーキ。

 タイヤから甲高い音と、そして白い煙をあげながらクルマが前のめりになる。

 エリーナにはクルマがそのまま”前転“するように思えた。

 

「いやぁああああ!」

「口を閉じてろ! 舌噛むぞ!!」


 そう簡単に速度が堕ちるものではないと言いながら。

 後ろから来た白いワゴン車はたまったものではない。

 カーブから出る前に急ブレーキをかけ、直後にそのまま横転。横に転がりながら、ガードレールを押しつぶしつつ崖下へと消えていく。


「ちょいと揺れるぞ」

 

 それまで、フルブレーキのまま、直進を維持するために細かくハンドルを調整していたガイトが、目に見える角度でハンドルを切るとミニバンは、右の前輪を軸にぐるりと180度向きを変える。

 そのままアクセルを全開まで踏み込むと、タイヤの悲鳴がさらにかん高くなり、前輪から濛々と白煙を噴き上げ始めるが、前には進まず車はバックし続ける。


 そこへカーブを抜け、黒いセダンが現れるが白いミニバンは道路の真ん中、白線をまたいで正面衝突を免れない位置にいた。

 しかし、ガイトは対向車を見てもまったく気にするそぶりも見せず、アクセルは緩めない。

 ミニバンがここに来て、ようやくじわじわと前に進み始める。

 両車の間はほんの一瞬で詰まる。


「ぶつかるぅううう!」

「気合いの勝負だぜ!」


 黒いセダンはガイトたちを避けようと、反射的に壁側にハンドルを切るが。

 速度を殺す前に、タイヤの向きが大きく変わったことでコントロールを失った。


 壁に半分突っ込むように車体をこすりつけ、エアバッグが作動する。

 ボンネットが開いてフロント部分が半分、削り取られたようにめちゃくちゃになったうえ、右のフロントタイヤがもげて上にはじき出される。

 行き場のなくなったボンネットが、フロントガラスに巻きつくように被さったところで、黒いセダンはようやく止まる。


 その横を、タイヤがグリップを取り戻して音がやみ、タイヤの溶けた煙の中からカスリ傷一つ付いていない白いミニバンが姿を現し、悠々と通り抜けていった。




「さて、帰るか。遠回りだが山の向こうから一旦、高速に乗るからな」

「し、死ぬかと思った。……何するのか先に言ってよ! まだドキドキしてるってば!!」

「2秒で全部説明するの、無理だろ……」

「なんでブレーキかける直前!? そもそも車に乗った時からこうなるの、わかってたんだよね……?」

「……さて、どうだかな」

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