第30話 交錯する少女たちの思惑。


「弱い……どうして私は、こんなにも弱いんだ……っ!」


 シルヴィア・エストホルムは、庭で剣を素振りしていた。

 夜更けになっても、彼女は一心に鍛錬に打ち込んでいる。

 だが、剣を振る腕は遅く、力もこもっていない。


 足さばきも鈍間だ。熟練の剣士たちが見せる、瞬間的な移動術は勿論、高速での戦闘など出来やしない。魔力操作が、研ぎ澄まされていない証拠だ。


「まだ七級なのか? つくづく、我が妹は出来が悪い」

「……お兄さま」


 ヴィンセント・エストホルム。

 学園を卒業した兄は、早くも祖国の騎士団に抜擢されている。


 彼は妹の出来の悪さを見るためだけに、王都へと足を運び、こうして酒を煽りながら無聊の慰みものとしている。


「俺が王都の魔剣学園に編入した時は、ひと月と掛からずに、五級まで上がった。半年後には三級。中等部卒業前には、一級だった。それと比べて……まったく、才覚を感じない。典型的な、失敗作だな」


「……っ!」


 ここまで罵倒されても、シルヴィアは押し黙ることしか出来ない。

 自分には、剣士の――いいや、魔力操作や魔法といった、戦闘技能に関する才覚が、ことごとくないのだ。怒り任せに飛び掛かっても、叩き伏せられるだけだ。


「なのに、学園では〝三級剣士〟を自称しているそうだな。ふはっ……雑魚で鈍間なのに、プライドだけは高い。そんな有様では、祖国には帰ってこれんな」


「分かっています!! だから、こうして……毎日、強くなろうとしているのです!!」


 シルヴィアの怒声も、ヴィンセントは酒を口に含ませてたのしんだ。

 彼女の怒りや無能っぷりを、一口一口、よく味わうように。


「久しぶりに、稽古をつけてやろうか? 愚図なお前には勿体ない手ほどきだが、学べるものもあるだろう」


 シルヴィアは悔しさを呑み込んで、顎を引いた。


「お願いします、お兄さま」


 それから兄と妹は、幾度となく打ち合っていく。


 その度にシルヴィアは、兄との実力差を思い知らされ、学ぶものがあるどころか、絶望するだけだった。


 強い……強すぎる。


 兄が通り過ぎたところには残像が映し出され、剣から伝う魔力は莫大だ。

 剣先が触れ合っただけで、シルヴィアの直剣は粉砕し、両腕には強烈な痺れが響く。たった一撃で風が吹き荒れ、それでもなお、兄は余力を見せつけるかのように、過剰なまでの魔力を総身から放出させている。


 以前にも、兄に手合わせしてもらったことはある。

 だが……いまの兄は、どう考えても強すぎる。

 これほどの腕前を持っているのなら、騎士団長にも至れるのでは……。


「俺は、来月の剣舞祭に出場する」


 地べたに這うシルヴィアに向けて、兄は声高らかと宣誓した。


「部門は、第一部。大陸中の剣豪が集まる、本当の闘いだ。そこで俺は、エストホルム家の威容を示し、騎士団長の座を勝ち取る。父上も大したものだが、祖国を守るのは、この俺だ」


 数年前なら、シルヴィアは心の中で笑っただろう。

 しかし、いまの兄なら、父上をも上回る剣士になるかもしれない。

 その圧倒的かつ、飛躍的な兄の成長に、シルヴィアはまた歯噛みした。


「それに比べて……お前はどうした、シルヴィア。王女だ、何だともてはやされているのに、剣舞祭に出場することはおろか、認定試験は六級で躓いているそうではないか。弱い……弱すぎる。もしもこのままなら、お前は、エストホルム家の恥だ。そんな有様で、祖国の地を踏めるとは思うなよ」


 言われなくても、自分が弱いことなんてシルヴィアが一番、分かっている。


 だが、鍛錬を積み重ねたところで、剣筋には冴えがなく、動きも遅い、魔力操作は最悪だ。


 悔しさのあまり、ボロボロと泣き崩れてしまったシルヴィア。

 これを待っていたとばかりに、兄は邪悪な含み笑いを湛えた。


「強くなりたいか?」


 ヴィンセントはその瞳に、愉悦の色を漂わせながらもう一度言う。


「強くなりたいか、シルヴィア? 俺に従えば、お前は遥かなる高みを掴む」

「稽古を、つけてくれるのですか?」

「いいや……違うさ。この場では言えん。だが、お前は強さの本質を知るだろう」


 兄はいったい、なにを企んでいるのか。


 シルヴィアの脳裏には、幾ばくかの迷いがあった。彼の言葉も、彼の飛躍的な成長も、どこかおかしい。だが……強さは正義だ。弱い自分に、選択肢など……。


「俺に従えば、お前は剣舞祭にだって、出場できるぞ」

「……っ!!」


 妹の理性は、その言葉を聞いた瞬間に吹っ切れた。


「お願いします。どうか、私に力をお授けください」

「いいだろう。ついてこい」


 シルヴィアは、強くなるためならと、疑念もプライドも捨て払った。

 王女たる自分が、凡夫どもにすら劣る身に余んじるなど、あってはならぬのだ。

 強くならなければ……あの男のように、なってしまう。


 エルランデル家の長女は、湯水のように称賛を浴びているのに対し、弟のシグは際限のない無能だ。この前まで九級にいて、いまは七級……あんな男と自分が、同列? あり得ない……そんなことは、絶対にあってはならない!


「お兄さまに、付き従います。たとえ、そこが地獄の果てでも」


      ♰


「ひま」


 エルガードは、シグのいない学園生活に退屈していた。

 彼がいるのなら、その横顔を眺めているだけで千時間くらいは潰せるのだが、剣舞祭に備えて、しばしの休暇を取っている。


 彼女も休もうと思えば休めるのだが、それはできない。

 剣舞祭の開催まで一か月と迫ったいま、栄誉を頂戴しようと、各地域の貴族、学園の生徒、そして裏の者たちが陰謀を企てんと動き出す。


 エルガードは、学園の守護者としての任もあるのだ。


『可能性としては、十二分に。カスケーロ大陸にはない異能で、悪魔たちが潜入している可能性はあります』


 月光の監視者たちは、いまのところ、大陸に侵略した痕跡はないと言っていた。

 大陸間の境界には、いまも監視塔の礼拝者たちが警戒を続けている。

 だが、これだけ万全な体制を敷いていても、安全とは言い難い。


 冬と闇の大地、ホワイトコールに潜む種族、〝悪魔〟。

 奴らには、いったい何が出来るのか。


 せめて数匹捕らえて、拷問や実験でもやれば、幾つか判明するのだろうが、そんなことがバレた時には、こっちが先に仕掛けたという大義名分を奴らに渡し、本格的な抗争が始まってしまうかもしれない。月光の監視者たちのように、敵地に潜入するだけでも十分、危険が付き纏う。いまは、いずれきたる脅威に備えるしかない。


「もしも奴らが王都に入り込んでいるのなら、やはり、目星は学園につけるはず……その大陸の戦力や文明は、教育機関を見るのが、最もはやい。だからこそ、剣舞祭の意義も大きいのですが……」


 ぶつぶつと独り言を言っていたエルガードは、ぴたりと足を止める。


「「……」」


 廊下の向こう側で、こちらを凝視している金髪の少女。

 オリヴィエ・エルランデル。シグの姉だ。


「あら、また会ったわね」


 先日、オリヴィエとエルガードは、シグの寮前で遭遇した。


 しかし特に問題は起きず、てっきり自分に未練はなくなったのかと思っていたが、残念なことにそうではなかったらしい。


「あなたの顔を見たおかげで、ふと思い出せたの。そう言えば……六年前にも、金髪のエルフを目にしたことがあった気がして。あなた、わたしをボコボコにしたエルフよね? どうして、あなたがここにいるのかしら」


 オリヴィエにとって、エルガードは因縁の相手だ。

 初めて剣で負けた相手であり、まったく歯が立たなかった、生涯唯一の強敵。

 オリヴィエは、剣舞祭、第二部、優勝筆頭候補である。

 この六年間で、姉の剣技は人間として異次元の領域に達した。


 強く、強く、より強くと積み上げた研鑽は他に及ぶものが、いても一人くらいなもので、彼女の才覚と努力をもってすれば、学園での剣術指導など、児戯も同然というレベルだった。


「……」


 エルガードは、オリヴィエの身体に眠る魔力を精査する。


 六年前もなかなかのものであったが、いまは、怪物とも呼べるほど強くなっている。――だが、あくまでそれは〝人間基準〟の話だ。


 巡礼者たちと比較しては、可哀そうな開きはある。


「どなたですか?」


 エルガードは、白を切った。実際、それが一番、穏便に済ませる手だ。


「面白いことを言うわね。散々、わたしを蹂躙したあなたが……ああ、そうね。弱い相手は、記憶にすら残っていないということかしら?」


 当然、エルガードの嘘は一蹴される。

 そこで彼女は、自身の級位バッジを見せつけた。


「なんのことを仰っているのか、分かりかねます。この通り、わたしは七級剣士ですよ。〝稀代の剣聖〟、オリヴィエ・エルランデルさまを蹂躙できるなんて、わたしでは、夢のまた夢でございます」


 オリヴィエは、目元を緩ませた。

 それは弟に見せる笑顔とかけ離れた、闘気の滲む笑顔だった。


「わたし、勝ち逃げされるのは嫌いなの」

「人探しなら、王都の役場を尋ねてみてはいかがでしょうか」

「いま不要になったわ」

「付け加えると、ここは中等部です。なぜ、高等部のオリヴィエさまが」


「弟の様子を見にきたのよ。最近、青髪頭の彼女ができたとか言っていたのだけれど、もう別れているはずよね? だって、シグはお姉ちゃんが一番なのだから」


「いえ、いまはわたしがお付き合いをさせていただいております」

「……は?」

「あっ」


 果たしてそれは、女のプライドなのか。エルガードはらしくもなく、つい口を滑らせてしまった。頭で考えるよりも、勝手に口が動いていた。


「あなたが……シグの、彼女?」

「お恥ずかしながら」

「……」


 実際は勘違いであるのだが、この場において、正せるものは一人もいない。


 オリヴィエは、仔細にエルガードの容姿を検分した。


 容姿はいい。いや、良すぎる。世界中を練り歩いても、エルガードを上回る美貌を持つ女は、自分を除いていないだろう。たかが一三歳の小娘とは言えない、涼やかな風韻と、煌びやかな品格を漂わせており、彼女の周りだけ空気が光っているような錯覚すら受ける。


「ふーん……あのシルヴィアとかいう女よりかはいいわね」

「わたしもそう思います」

「けれど、やっぱり一番はお姉ちゃんよ」

「血のつながっている姉弟の間で、結婚は認められていませんよ」

「関係ないわ、お姉ちゃんだもの」

「そうですか。では、わたしはこれで」


 エルガードが背を向けた瞬間、オリヴィエは一歩で間合いを詰めて抜刀する。


「……」


 狙いは首。確かな殺気をもって、姉は一撃で落としに来ている。

 見事な居合切りだ。踏み込みの一歩も、魔力による刀剣強化も粗がない。

 だが、エルガードにはこうして観察するだけの余裕がある。


 分かっているわ……脅し・・でしょ、それ?


「ひぅっ……うううぅ、殺さないで……」


 エルガードは尻餅をついて、目尻に涙を浮かべた。

 案の定、姉の抜刀は首を落とす瞬間に止まった。


 ブレーキがかかるところも見えていたエルガードにとって、この一撃は、恐れるに足りない。


「……本当に、別人なのね。失礼なことをしたわ」


 それだけを告げて、オリヴィエはエルガードの前から去った。


「暇つぶしくらいには、なりましたね」


 ちょうど休憩終了のチャイムが鳴り、エルガードは教室に戻った。

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