第3話 阿闍梨の鋭い爪

 待ち合わせ場所は鎌倉駅西口の時計台の下。寒さに震えながら待っていると、あいつが寝ぼけた顔でやってきた。

 「ごめん。待った?」

 「まぁ、10分ぐらいかな?」

 黒いテカテカに光るダウンの上に憎たらしい顔が乗っている。なんと間抜けな顔だろう。このどてかぼちゃ野郎。今日がお前の命日になるとも知らずに、鎌倉までのこのことやってきたのだろう。

 「じゃあ、銭洗弁財天まで歩こうか?」

 そうどてかぼちゃに声をかけると、二人で言葉少なに銭洗弁財天まで歩いて向かう。一体こいつはどういう気持ちで鎌倉までやってきたのだろう。自分の事を若くて胸がデカい女と浮気しながら、彼女とのデートもこなす器用な男だと思っているのかもしれない。愚か者め。お前に隠し通せる秘密などこの世にはない。

 銭洗弁財天まで20分。特にこいつと喋りたい事も無いが、道中喋らないのもなんとなく気まずいので、どてかぼちゃ人間に声を掛けてみる。

 「最近仕事忙しいの?」

 「正月休み明けてからは暇だったけど、最近忙しくなってきたんだよね。もう課長がうるさくてさ、なんか雑用ばっかり押しつけられるし…」

 どてかぼちゃが独りでにしゃべり出した。特に内容も無いのに良くしゃべる奴だ。よくよくそいつの顔を見ると目の周りに目やにがたっぷりついている。お前は目やにマンとして、今日その下らない生涯を終えることになるのだ。

 「ふーん、そうなんだ。いつも大変そうだね。まぁトモくんならきっと出来るよ。」

 当たり障りのない返答で時間を潰しながら、閑静な住宅街を通り抜け、急な坂道を上ると左手に小さな鳥居が見えてきた。ここが銭洗弁財天の入り口。鳥居の下の小さな洞窟の中を体を小さくしながら抜けると、赤い鳥居が連なる参道が目の前に現れる。久しぶりの銭洗弁財天に胸が躍ったが、しかしここはあくまでもデートに見せかけるためのフェイク。薄暗い奥宮で小さなザルに乗った二枚の千円札と五円玉を無心で洗う。私の運命は神のまにまに。懐には紙のMoney & Money。ハンカチでお金の水分を多少拭き取ると、コートのポケットの中にそっと忍ばせた。

 大した会話も無く銭洗弁財天を後にすると、鎌倉駅には戻らず、左手に曲がり更に急な坂道を上る。後ろを振り返ると、目やにどてかぼちゃは何やら気だるそうに後をついてきた。一方で私の足どりは軽い。そいつの事には目もくれずに曲がりくねった坂を上ると、木々に覆われた開けた道の先に葛原岡神社の入り口が見えた。縁結びのパワースポットとして知られる神社の中をそぞろ歩くと、鳥居の右手には囲いに覆われた「魔去ル石」が見える。あらゆる魔を粉々に打ち砕くという大きな石を目にすると思わず胸が高鳴った。石の前の机の上には白い小さな盃が置かれている。100円でその盃を手に入れた瞬間目にも止まらぬ速さで振り返り、あいつの顔を一瞬で我が目にCtrl+Cすると、盃の表面にCtrl+Vでしっかりと焼き付ける。気に食わない相手にゴリラがウンチを投げるスピードでその盃を岩に投げつけると、盃は岩に当たって粉々に砕け散った。幸先よろし。

 その後近くの縁結び岩まで歩いて向かう。五円玉を結んだ赤い紐が大量に括り付けられている二つの石、男石と女石の前で立ち止まると男にこう囁いた。

 「縁結びはもういっか?もう今まで十分にやったもんね?」

 私阿闍梨はその男の顔に浮かんだ一瞬の戸惑いを見逃さなかった。少し間を空けて男は「あぁ」と呟いたが、視線は縁結び岩の上空をあてどもなくさまよっている。哀れなるかな、どてかぼちゃ!お前の白い首はもう私の手中にあるのだ。今日のために深紅に塗った私の鋭い爪がお前の血で更に紅く染まることだろう。

 ぐるぐると回る二つの黒目を横目に本殿に参拝すると、私は葛原岡神社の横にある薄暗い道を指差した。

「ねぇ、次はこのハイキングコースを歩こうよ。」

 鎌倉駅では腑抜けた顔を見せていた目やにパンプキンマンだったが、阿闍梨の背後に漂うただならぬ気配に恐れをなし、上手く口から言葉が出てこないようだった。

 「いっ、いいよ…」

 なんとか絞り出した言葉とは裏腹に男は不安そうに自分の足元を見つめていた。どうやら茶色いハイカットのブーツは卸してから間もないものと見える。ははっ!汚れるなら汚れてしまえ、ティンバーランド!履きなれた白いスニーカーを履いた私は颯爽とハイキングコースを歩き始めた。ハイキングコースは舗装されておらず、木々の根っこも剥き出しの山道である。ブーツが汚れないよう恐る恐る歩く男を尻目に、阿闍梨は枯れ葉をサクサクと踏み潰しながら、ミュージカル女優のようなステップで軽やかに歩いてゆく。この日のために週2回ジョギングしてきたのだ。山道のアップダウンをもろともせずに、目的地に向かってグングンと進んでゆくと、ここまで両肩に乗っかっていた重荷が徐々に消えていった。出会った頃より7kg太ったジャンボパンプキンマンの険しい顔を見ながら、時折「無理しないでね」と声を掛けるのはなんと気持ちの良いことだろう。約20分かけてハイキングコースを歩き終わり、舗装された道路をしばらく下りながら歩いてゆくと、いよいよ最終目的地が近づいてくる。

 そこは臨済宗円覚寺派の寺院、東慶寺。かつての縁切寺である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る