第2話 阿闍梨の不安

 私、阿闍梨は電車に乗っている。自分の人生で数え切れないほど電車に乗っているけれど、電車の外をこんなにまじまじと見るのは初めてだった。何でもないマンション、何でもない一軒家が右から左へともの凄い速さで流れてゆく。「ゆく河の流れは絶えずして」と記した鴨長明がもし電車に乗ったら、あまりの速さに驚いて、自分の小さな住処にすごすごと引き返してしまったに違いない。現代社会はもの凄いスピードで私たちを置き去りにしてゆくのだ。

 車窓の外には相変わらずたくさんのマンションが見える。こんなにもたくさんのマンションの中にはたくさんの部屋があって、そこにたくさんの人生がある。そして世界にはこの何万倍もの人たちの人生がある。今日が世界の終わりとも知らないで、人々は今日もご飯を食べたり、歯を磨いたり、デンタルフロスをしたりして、日々の生活を過ごしているのだろう。私は阿闍梨として、この世の生きとし生ける全ての者のために電車の窓越しに静かに祈りを捧げた。

 横浜駅で電車を降りると、鎌倉に向かう横須賀線へと乗り換える。いつもは観光客でごった返している横須賀線が今日はなぜだか空いていた。座席に腰を下ろすと、ゆっくりと息を吐く。今日で全てを終わらせないといけない。やらなければならない段取りを頭に何度も思い浮かべると徐々に目の前の視界がぼやけてきた。

 すると目の前の座席に懐かしい姿が浮かび上がってきた。そう、それは鎌倉幕府第三代将軍、源実朝。私がまだ十四歳だった頃、父親の葬儀が終わった日の夜に枕元に現れて、私に優しい眼差しで微笑んでくれた実朝。顔のあばたが特徴的な実朝は、私のイマジナリーフレンドとして長い間そばで私を見守ってくれた。体育祭のリレーの最終コーナーでド派手にこけてしまった時、携帯電話を落として液晶画面がバキバキになってしまった時、揚げたての唐揚げを丸ごと食べて口の中がやけどでベロベロになってしまった時、振り返るといつもそこには実朝がいた。秦野の実家を出て一人暮らしを始めた頃には、彼は私の前から姿を消してしまったのだけれども、今日世界の終わりの際に私の前に戻ってきてくれたのだろう。鮮やかな紫色の装束に身を包んだ実朝は、あの頃と同じように私を優しい眼差しで見つめていた。

 すると実朝の隣にもう一つの人影が浮かんできた。その丸眼鏡はもしや、かつての我が友、田畑ではないか。田畑とは小学校の時から仲良しで、中学生の時には町田のルミネまでよく一緒にイケてる服を買いに行ったものであった。その後同じ高校に入ったけれども、お互い別々のクラスになってしまってからは、徐々に話しかける回数も少なくなってしまっていた。大学受験を控えた頃には廊下ですれ違っても会釈をする程度。中学生の時には好きな男子の事で何時間もマックで話し込んでいたものなのに。ああ田畑よ、田畑。いつからお前は虎になってしまったのだ。いや、もしかしたら虎になってしまったのは私なのかもしれない。我が旧き友、田畑よ。私の自尊心の強さから出た尊大で傲慢な態度を許してくれないか。高校時代と変わらず、ブレザー姿で丸眼鏡の田畑にそうやって赦しを求めたが、田畑の表情はピクリとも動かなかった。

 そうする内に列車は北鎌倉駅を出て、鎌倉駅へと向かってゆく。家を出る時は「いざ鎌倉」マインドだった私も、鎌倉駅が近づくにつれて緊張で意識が朦朧としてきた。私は誰?私はどこ?私の魂の一部は鼻の穴からゆっくりと抜け出て、列車内へと広がってゆく。この薄紅色の魂は私が鎌倉駅を降りた後でも、横須賀線の列車の中を漂っていくのだろう。終点久里浜駅で折り返して、横浜、東京、千葉を抜けて、上総一ノ宮駅へ。海辺から海辺へ。私のさまよえる魂はいつかきっと真っ黒に日焼けしたサーファーが太平洋に向けて解き放ってくれるに違いない。

 いけない、いけない!私は阿闍梨!この末法の世に祈りを捧げる者。そう気持ちを引き締め直すと、実朝と田畑に別れを告げ、鎌倉駅のホームへと降り立った。鎌倉は冬。列車の外は寒い寒い冬。

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