第3話 さいご
茂と出会ってから、ナニカは山にある祠を見に行きました。瓦で出来た屋根に、丈夫そうな柱で囲まれた小さな社殿は、作られてから相当の歳月が経っているという話でしたが、綺麗に保たれていて、食べ物や花が供えてありました。
自分が祀られているのに、何も知らなかったというのはなんなんだ……と妙な気持ちになりましたが、まぁいいかと気にしないようにしました。丁重に扱われるのは、ありがたいことですから。ただ、なにもお返しが出来ないのでどうしようと悩みましたが。
そして茂とはよく遊ぶようになりました。茂が自身の友達と遊んだ後に続けて会ってくれたり、今日はひとりで暇だという日に会ってくれたりしました。
最初は、茂もナニカに対して堅苦しい態度をとっていましたが、遊ぶうちに友達という感覚に近くなってきたのか、敬意は忘れないながらも、少し砕けた態度で接してくれるようになりました。
そんなある日、ナニカは、茂にとあるおねがいをしました。それは、自分を『神様』『山神様』以外の言い方で呼んでほしいというものでした。
このお願いに、茂は大層焦りました。神様に名前を与えるなんて畏れ多い――そういう意味合いのことを言いましたが、ナニカは折れませんでした。だって、ナニカは神様ではないのです。集落の人々に信仰されていても、なにもお返しが出来ないのです。
しかしそんな理由は言わず、茂にはただ『ずっと山神様と呼ばれるのも変な感じがする』ということを伝えて、なんとか説得を試みました。
茂は、悩みに悩みましたが、そこまでいうなら、と呼び名をつけることに頷いてくれました。そして、うんうん頭を捻った茂は、ナニカを見た後『クロ』という名前を口にしました。
ナニカが黒いからというそれだけの由来でつけられたろう名前は、ナニカにとっては非常に嬉しいものでした。たとえどれだけ単純で安直でも、変な名前でも、ナニカにとっては初めての名前でしたから。
ナニカ改めてクロが『ありがとう』『嬉しい』と伝えると、茂はほっとしたように顔を綻ばせました。
それからまた時が経ち、山の色合いが赤や黄、橙に変わる季節の中、クロは、茂の友達と知り合いになりました。春頃に、茂と共に山道を走り回っていたあの子達です。
活発で少々乱暴な
それでも時々遊び仲を深めることで態度は柔らかくなっていきました。
クロは、茂達と山で頻繁に遊びました。季節が変わり冬が来ても春が来ても、茂達と遊びました。三郎に乱暴な遊ばれ方をしても、清五郎が躓いても、クロは怒りませんでした。茂や義雄は不安に思い焦っていましたが、クロは気にしませんでした。ただ、後ほど祠にお供えされていたことは、有難く思っていました。
クロは、ずっとこういった日々が続くと思っていました。茂たち4人の背が伸びても、見た目が変わっても、なにも変わらないと思っていました。クロは、4人のことが大好きでした。昔ほど攻撃されなくなった今、ニンゲンに対する普遍的な好意はもっていますが、その中でも特にその4人が大好きでした。一番は茂でしたが、三郎にも義雄にも清五郎にも相応に友情のようなものを感じていました。
ですから、それが崩れる日がやってくることを、クロは知りませんでした。
何度か季節が巡った後、三郎が『働きに出るんで、遠くに行きます。今まで、ありがとうございました』と頭を下げに来ました。
ほぼ同じ時期に義雄が『父さんが進学してもええって言ってくれたんで、都会に行きます。ほんま、今までありがとうございました』と礼を言いに来ました。
クロには、働きに出ることも進学するということもよく分かりませんでした。ずっと山にいてほしいと思いました。しかし、それはできないというのです。三郎は『きょうだいが多いから、おれも働かんと家族が食っていけへん』と困ったように言いました。義雄は『しばらくクロさまに会えやんくなるのは寂しいけど、せっかく父さんが許してくれたから勉強したいんです。向こうでも、クロさまに手ぇ合わせます』と申し訳なさそうに言いました。茂と清五郎にも説得されました。ですから、クロも、渋々納得し、遠方に向かうふたりを送り出しました。
クロは、あるのかないのか分からない『心』がしくしくと痛む感覚がありました。かつて周りの獣に警戒された時も、ニンゲンに攻撃された時にも感じなかった辛さが、クロを覆いました。
それでも、クロは、まだ大丈夫でした。茂と清五郎が近くにいましたから。彼等とは、時間は減ったとはいえ遊ぶことはできましたし、彼等を通して三郎と義雄の様子は知ることが出来ました。三郎が勤め先で頑張っていることや義雄が進学先でいい成績を修めていることを聞き、とても嬉しくなりました。それに、暫くの間は年に1回は会うことができたので、まだ寂しさも紛れました。けれど、何年も何年も経つうちに、三郎も義雄も、全く山に来なくなりました。どうやら、働き先で家庭を持ったというのです。そうなると妻子を優先するのは致し方ないとはわかっていましたが、クロには納得できませんでした。
やがて、清五郎も頭を下げに来ました。『婿入りして、違うところで働かなあかん。家は1番上の兄さんが継ぐから。だから、ぼくがいつまでも家におるわけにはいかん』と。それに対しても、クロは悲しくなりましたが『ぼくも離れたくない。けど、仕方ない。それに、時々、会いに来ますから』という言葉に、頷くしかありませんでした。
それから、清五郎がここに来ることはありませんでした。
三郎にも義雄にも清五郎にも会えぬまま、時間だけが過ぎました。
一方で、茂は頻繁に山に来ました。遊び方も変わり走り回るよりただ話すだけの事が増えましたが、それはクロにとってはとても嬉しいことでした。ある時は許嫁という女性を連れて来て、ある時はその人が妻になったと紹介し、暫く後には子供を連れて来るようになりました。茂の大事な存在である妻と子供が少し嫌だと思うこともありましたが、会えないよりはよっぽどいいことでした。
茂が走り回らない代わりに、茂の子供がクロと山を走り回りました。それは昔茂や三郎、義雄や清五郎と遊んでいた頃と似ていました。
それから年月を重ねると、茂が山に来る頻度が減り、若い頃の様子は見る影もなくなりました。髪も白くなり、手もシワが刻まれているようになりました。それでも茂は山の近くに住んでいたので、クロは人間に見つからないように気をつけながら、山を下りて茂に逢いに行くことにしました。クロが行くと茂は優しく微笑むものですから、クロはとても気持ちが落ち着きました。
クロは、できるだけこういった日が続いてほしいと思いましたが、茂は、年とともにどんどん体を弱くし、ある日の夕方に二度と起き上がらなくなりました。クロと茂が出会ってから50年程が経過していました。
ですが、それを、クロが知ることはありませんでした。なぜなら眠りについたその時刻は、既にクロが見舞いに行った直後であり、その日以降数日は茂の家はなにやら人の出入りも多く忙しく見えたため、クロは気を使って家に踏み込みませんでした。その後、茂は、クロに死に顔を見られることもなく灰になってしまいました。
茂の妻子は、クロの祠の前でその報告をしましたが、それはクロには届きませんでした。
クロは、茂が亡くなって数日してから、茂のいない邸宅を訪れました。人はいても茂がどこにもいないことにクロは動揺しましたが、今日はたまたまいなかっただけかもと考え、また翌日邸宅へ向かいました。しかし、当然、次の日もその次の日も、茂に会うことはありませんでした。
クロは、何故茂がいないのか理解できなくて、行動範囲を広げて茂を探しました。けれど、どこにもいません。顔つきが似た人、同じ名前の人はいるのですが、クロの知る茂はどこにもいませんでした。
クロはいくら探しても見つからないことな苛立ち、悲しみ、怒りました。今までこんなにも強烈な感情を抱いたことがないほどに暴れ、疲れ、やがて冷静になると、自分がひとりぼっちになったことを理解して動けなくなりました。
ですが、空っぽな心で考えて、クロはひとつの行動を思いつきました。
何年かけてでも、茂を探そう。きっとこの世のどこかにはいるはずだと。
こうしてクロは、終わりのない長い旅を開始してしまったのでした。
クロと茂 不知火白夜 @bykyks25
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます