第2話 出会い
黒いナニカは、その日もいつものように山にいました。周りの獣とは距離を置いて、ひとりで岩を転がしておりました。
そんな時、遠くからガサガサと茂みが擦れる音と、ニンゲンの子供の声が聞こえました。気温は暖かくて雨も降っていない。少し前までは桜も咲いていた季節です。そんな日ですから、ニンゲンが山に来るのも想定できます。黒いナニカは、ニンゲンが遠くにいるならいいだろう、近づいてきたら隠れようとのんびり考えていました。
しかし、突然複数の子供の声がこちらにやってくるようでした。きゃあきゃあとした甲高い声と楽しそうな笑い声、いくつかの足音が聞こえ、慌てて近くの茂みに隠れました。
「やったあ、おらの勝ちだあ」
「うぅう! もっかい! もっかいじゃ! おらがこいつに負けるわけねぇだろ!」
「じゃあもっかいじゃ、ええか?」
「うん!」
競い合いでもしているのか、賑やかな声と合わせて子供たちはまたどこかへと走り去っていきます。
ナニカが、茂みの隅からこっそりと子供たちの様子を覗き込むと、その先では、4人の子供たちは坂のある山道をかけ登っていました。
子供たちの髪は短く揃えていたり坊主だったりと様々で、大抵は着物を纏っていましたが、暑かったのか脱いでいる子供もおりました。
子供たちは何度も競争をしたり木に登ったりしていて、ナニカは暫くそれを眺めていました。やがて子供たちは遊びをやめ、なにかやり取りをした後、ひとりふたりと手を振りながら帰っていきました。
山には一人の子供が取り残され、ナニカはそれをぼうっと眺めていました。その子は何をしているのだろうかと気になりました。けれど、どうやってその疑問を伝えたらいいのか分からなかったので、大人しく引き下がろうとしました。その時でした。ナニカは移動する時に茂みに体があたり、ガサガサと大きな音が鳴りました。
「っ、なに?」
ナニカが立てた音に子供は振り返り、こちらの方に歩いてきました。
ナニカは、しまった、と思いました。早く逃げないといけないと焦りましたが、うまく動けず固まってしまいました。本来は、ナニカは体の形を変えることができるのですから、そこで姿を変えればいいはずなのに、上手く動けなかったのです。ナニカは、こちらに近づいてくる音に怯えながら、昔、ニンゲンに狩られそうになったことを思い出しました。またあの時のようになったらどうしようか……そう思ってるうちにその子供は茂みから顔を覗かせました。
その子供は頭を坊主にしていて、目がキリッとした幼い顔つきの子供でした。藍色の着物を着ており、年齢は十に行くか行かないかでしょうか、髪型や先程の声色から、多分男の子でしょう彼は、ナニカを見つめたあと、目を丸くさせて大きな声で叫びました。
「やまがみさま!?」
ナニカは、その言葉に大層驚きました。ヤマガミサマ、という単語は、初めて聞いたものだったからです。
驚くナニカの前で、慌てて男の子は膝を折って座り頭を下げました。『ごめんなさい』と謝っている言葉さえ聞こえてきます。
ニンゲンの暮らしを観察する中で『カミサマ』という単語は今まで何度か聞いたことがありました。ニンゲンが手を合わせて頭を垂れる対象で、不思議な力を持つものだそうです。『ホトケサマ』と言っている時もあり、その違いは何となくでしか分かりませんが、ニンゲンにとってどちらも大事なものなのだろうとは理解していました。
その上で、ナニカは疑問に思いました。何故、自分がそういう言葉に近いことを言われてて、頭を下げられているのか分かりませんでした。
ナニカは驚き戸惑う気持ちを抱えながら、男の子を見ました。何となく、頭を上げてほしい、『ヤマガミサマ』とはなんなのか教えてほしい……そんなことを思っていると、男の子はゆっくりと顔を上げました。おでこに土の汚れがついた、困ったような顔が見えます。続けて、男の子は、目をうろうろと泳がせてからぽつりと言葉を発します。
「……ほんとに、あたま、あげて、ええんですか?」
まるで、己の声が聞こえていたかのような言葉に、ナニカは驚きました。声を発していないのに、どうして? 不思議に思う気持ちに呼応するように、男の子は言いました。
「だって、あたまンなかに、やまがみさまのこえ、きこえますに」
ナニカは、ついそんな馬鹿な、嘘だろう、とと思いました。すると男の子は『うそじゃありません』と言います。じゃあ、今考えたことが本当に聞こえているのか、と問うと、男の子は『はい』と返事をしました。更にこう言います。
「このやまや、このちかくにすんでるひとは、やまがみさまをだいじにしてますから」
笑顔で話す男の子に話を詳しく聞くと、どうやらナニカは、昔からこの辺り一帯の地域で『山の神様』として信仰されているようでした。その証拠に祠も建立され、定期的に清掃やお供えがされているといいます。
ナニカは、信じられませんでした。昔はニンゲンに狩られようとしていたのに、何故神様といわれるようになったのか? それは、狩られようとしていた時期以降に理由があったといいます。
大昔、ニンゲンが山で黒い何かを狩ろうとした時期の後に、そのニンゲンたちの村で病や不作といった出来事が続いたといいます。これは本来はただの偶然だったのでしょうが、ニンゲンはこれを神の怒りと考え、『あの黒い何かは神様だったのではないか』という意見から、祠を建立して神様として崇め、落ち着いてもらおうと思ったそうです。
ですから、ナニカは、この地域においては『神様』なのだそうです。
ナニカは、驚愕したと同時に、納得しました。いつの間にかニンゲンに敵意を向けられないようになったのはそのせいだったのかと。そして、あの『ホコラ』は、自分のためだったのかと。
ナニカは、嬉しいようなくすぐったいような、不思議な気持ちになりました。まさか、周りから攻撃的な気持ちを向けられていたのに、神様として信仰する気持ちを向けられているだなんて。
しかし、自分は、神様ではありません。黒いナニカです。手を合わせられても、何もできません。それを伝えようか少しだけ迷いましたが、せっかく自分を神様だと思ってる男の子に伝わっては申し訳ない気がしたので、ただありがとうとお礼を伝えました。
男の子は、にこりと笑って再度頭を下げて立ち上がりました。
「かみさまのまえですんませんが、そろそろかえらんと、おっかぁにおこられます。なので、しつれーさせて、いただきます」
そう言って立ち上がった男の子を、ナニカは引き止めました。慌ててしゃがみ直してなんですか? と聞く男の子に、ナニカは、名前を聞きました。
自分に名前はない。けれど、そちらの名前は知りたい。
男の子は大層驚いたあと、ゆっくりと言いました。
「おら、
男の子――もとい、茂の名前を知ったナニカは、胸の内で呟いたあと、短く礼を言いました。茂は、安心したようにニコニコと微笑んでいました。
これが、茂との出会いが、ナニカにとっての新しい区切りの始まりで、彼が、何かにとって初めての友達になるのでした。
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